黒石・厚南・西宇部人権学習会~みなみかぜの集い~に西宇部校区人権教育推進委員協議会副会長として参加しました。
「あなたもゲートキーパー」と題して、宇部市の保健師の方からお話しをお聞きしました。
ゲートキーパーとは門番のことで、「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人」のことです。
日本の自殺者数は、年間3万人を越えていた時期よりは減少しましたが、2万5千人にのぼります。
交通事故での死者数が4000人程度ですから、自殺者数は交通事故での死者数の約6倍となります。
15歳から39歳までの死因順位の第一位が自殺となっています。
先進7カ国の15歳から34歳までの自殺率を比較すると日本が第一となっています。
日本は、依然として、自殺大国と言われる状況だということが分かりました。
宇部市内でも年間30人~40人が自殺している状況だということも学びました。
後半は、自殺を考えている人にどう接していったらいいのかがテーマでした。
ゲートキーパーは①気づこう②耳を傾けよう③つなごう④見守ろうの役割があると話されました。
声かけは「はい、いいえ」で答えられない「オープンクエスチョン」を活用することが大切だとのことでした。
視線を合わせ、うなずき、相槌を打ち、体をあいてに向けるなどの聴く態度が重要だとのことでした。
相手の話を聞いて、諭したり、とがめたりせず、相手のペースにあわせることが大切だとのことでした。
まずは、これらがわが子に出来ているか問い直しました。
話を聞いたうえで専門機関につなぐことが大切だとのことでした。
最後に、ゲートキーパー自身のケアの大切さを話されました。
私の身近な人の中でも自殺された方が何人かおられます。
自殺したいと思ったことのある人は23.4%。4人に一人です。
私も自身のケアをしながら、回りの方々に寄り添っていきたいと思いました。
最近の人権学習会は、今日的な様々なテーマが設定されています。
今回のゲートキーパーのお話しもとても大切な内容でした。
いい勉強が出来ました。
これからの人権教育推進委員としての活動に生かしていきたいと思います。
私は、山口県PTA連合会から選出され山口県自殺対策連絡協議会委員の委嘱を受けています。
まだ、会合には出席していませんが、県自殺対策連絡協議会委員として、これからもしっかり勉強していきたいと思います。
講師の先生、昨日は、ありがとうございました。
5月22日付しんぶん赤旗「日曜版」に作家の原田マハさんへのインタビュー記事が掲載されていました。
原田マハさんは、最近「暗幕のゲルニカ」という本を上梓しました。
戦争とファシズムへの怒りが表された、ピカソの名画「ゲルニカ」を軸にしたサスペンスです。
1930年代後半、ドイツ、イタリアのファシスト政権に呼応しスペインでフランコ将軍が蜂起。反乱軍と共和国軍との内戦になります。37年、スペイン北部の古都ゲルニカをヒトラーとムソリーニの空軍が空爆。世界に衝撃を与えます。スペインで生まれ、パリで活躍していたピカソはこの事件をもとに「ゲルニカ」を描きました。
21世紀のいま、なぜ「ゲルニカ」なのかの問いに原田マハさんは答えます。
「『ゲルニカ』のメッセージ性は、古びない。それは人類が愚かなたたかいを繰り返しているということが、残念ながら変わっていないからです。パリの連続テロ事件もありましたけれど、人間が人間を苦しめている。国益や富や『イデオロギー』のために殺し合う生物なんて、すべての種のなかで人間だけです。こんな愚かな人類を痛烈に批判しながら、ピカソは一方でこういう世の中が変わってほしいという願いをこの作品に込めたのだと思う。いまのこの不穏な世の中にあって、もう一度『ゲルニカ』の意味を見つめ直してもらいたいという思いがありました。自分たちの行為を反省し、反戦・平和についてしっかり考える。こんな時代だからこそ、『ゲルニカ』をもう一度。そんな思いで書きました。」
「ピカソは戦後、作品を通して反戦・平和を訴えることを続けました。自分の作品で訴えるべきときには訴えるということをやった人です。第二次世界大戦後には朝鮮戦争への批判を込めた作品も描いています。49年にパリで開かれた『国際平和擁護会議』では、白いハトのリトグラフ(版画)を作り、そのポスターがパリの街中にはられました。いま、ハトは平和のシンボルだといわれますが、それは実はピカソが起点になっているんです。鳥一羽で平和を象徴するなんて本当に天才的です。こういう人を、私は小説のなかで、自分の筆じゃなくキーボードですけど(笑い)。あこがれの人をついに、という感じですが、とても御せる相手ではなかった。一生かけて追いかける相手です。とにかくいったん、ここで書けてよかった」
私も10代の一時期は将来、絵に関わる仕事をしたいと考えていました。
当然、ピカソとその作品「ゲルニカ」は知っていました。
「ゲルニカ」についても漠然と反戦を訴える作品だろうことは知っていましたが、このインタビューを通じて、とてもピカソと原田マハさんの興味を持ちました。
書店で原田さんの名前は最近よく目にしていましたが、手に取ることはありませんでしたが、このインタビューを読んで、「暗幕のゲルニカ」を手にして、数日前から読んでいます。
物語は二段構え。ピカソの恋人・ドラの視点から描かれている20世紀のパリの話と、21世紀のアメリカでピカソ展の開催をめざす学芸員・瑤子の話が交互に展開します。
ピカソがどのような過程で「ゲルニカ」を制作したのか、ドラとともに現場に立ち会うように描かれ、名画の誕生と当時の反応が伝わります。
21世紀の章では、「9.11」のテロで夫を亡くした瑤子が、悲しみに打ちひしがれそうになりながらも「ピカソの戦争 ゲルニアによる抗議と抵抗」展の開催に尽力する姿が描かれます。
巻頭にピカソの言葉「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」が書かれています。
この物語を読みながらピカソのこの言葉の意味を感じています。
時同じく、沖縄で米軍関係者が地元住民を暴行する事件が発生しました。
時同じく、オバマ米大統領が被爆地・広島を訪問します。
世界の平和が一歩づつでも構築されることを願うばかりです。
21世紀を生きる私たちは、ピカソの遺志を受け継き、平和を築くためにすべきことを考え実行していきましょう。
原田マハさん、すばらしい作品をありがとうございます。
マハファンの皆さん、お勧めの作品をお教え下さい。
今年も田植えのシーズンがやってきました。
今年は、5月31日に田植えを行いたいと思います。
そのために、26日に本代かき(田植え前最後の代かき)を行う予定です。
その前の荒代かき(田に水を入れて最初の代かき)を22日に行いました。
夏日の中、作業を順調に行うことができました。
22日は、宇部市は25度を超える夏日だったと思います。
半日、トラクターを運転して一気に日焼けをしました。
水を入れた田はカエルの大合唱。のどかな風景です。
今年生まれたかえるたちが大合唱しています。
この風景がいつまで維持できるか不安もあります。
私の近所で耕作をしている人の中で一番若いのが私です。
70代が農業の主力です。
我が家でも私の子どもたち誰かが農業を続けてくれればいいのですが。
水田ですので、水が不可欠ですが、農業用水を供給するためのポンプや水路の維持が年々困難になっています。
日本が今後とも瑞穂の国であり続けるために、農家政治家の一人として、実体験したことを発言していこうと思います。
このような現状のもとで、海外からの農産物の輸入を増やすTPP交渉からはやはり撤退すべきだと痛感します。
とにもかくにも、父なる山=荒滝山、母なる川=厚東川に守られて今年も農業を続けていけることを喜びたいと思います。
父なる山=荒滝山に抱かれて今年も田植えです。
農家の皆さん、皆さんのお宅の田植えはいつですか。準備は順調ですか。
関東大震災の時に起きた、朝鮮人虐殺事件を追った映画「隠された爪跡」の事を昨日書きました。
この映画を観ながら、自宅の本棚にある加藤文三著「亀戸事件-隠された権力犯罪-」の事を想起していました。
今日は、この本を引用しながら「亀戸事件」の概要を追っていきたいと思います。
この本の冒頭、「亀戸事件」について、角川書店の「日本史辞典」が引用されています。
「1923年(大正12)年9月、関東大震災の混乱の中で、当時の革命的労働運動の拠点南葛労働組合の川合義虎ら8人とサンジカリスム系の平沢計七ら2人の計10人が亀戸警察署に不法検束され、自警団員4人とともに軍隊に刺殺された事件。関東大震災の戒厳令下で、朝鮮人・社会主義者が騒乱を企てているとの流言がなされ、多くの虐殺・不法弾圧がなされたが、その代表的事件の一つであった。」
川合義虎は、日本共産党員であり、日本共産青年同盟の委員長でした。
関東大震災直後に戒厳令が布告され、関東戒厳司令部がおかれました。
「亀戸事件-隠された権力犯罪-」にはこう書かれています。
「関東戒厳司令官と山本内閣が」「朝鮮人の背後に社会主義者があるとの流言を流すことによって、朝鮮人虐殺を正当化しようとしたのである。」
警視庁は、9月5日、「社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ」という正力官房主事と馬場警務部長の通牒を発しました。
さらに11日いは、正力官房主事が、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」という命令を発しました。
この正力とは、戦後、読売新聞社の幹部を務めた正力松太郎だと歴史家の飛田勘弐氏は、書いています。
この本の作者である加藤文三さんは、当時の資料を元に、川合義虎らが殺害されたのは、9月4日用夜から5日未明にかけてと確定します。
更に、亀戸事件の犠牲者は、10人とされているのは、南葛労働界の関係者の犠牲者であり、この時期、亀戸署で、砂町の自警団員4名などの日本人や、多数の中国人と朝鮮人が、軍隊と警察の手によって虐殺されたと加藤文三さんはこの本で述べています。
関東大震災直後いは、大杉栄夫婦らが殺害された甘粕事件なども起こりました。
関東大震災直後に、国家権力が朝鮮人とともに多くの社会主義者らを殺害した事件を私たちは忘れてはならないと思います。
そして、この歴史を繰り返してはならないことを痛感します。
憲法を守り民主主義を発展させることを誓い合いたいと思います。
昨日、第三回「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の定期総会が行われ、私は、昨年に続いて、運営委員に選ばれました。
長生炭鉱の水非常を後世に伝えるために、引き続き、力を尽くしていきたと思います。
定期総会の後に、1983年に作成された呉充功(オ チュンゴン)監督の映画「隠された爪跡」の上映会が行われました。
映画会は、50名を超える参加者で盛況でした。
1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が、関東地方におそいました。
関東大震災直後に政府は戒厳令を布告しました。戒厳令と同時に、「不逞朝鮮人暴動」の流言飛語が流布され、この時、6500名以上の朝鮮人が、軍隊、警察、そして日本の民衆の手によって殺されました。
1923年の大虐殺の時にかろうじて生き残った在日朝鮮人の曺仁承(チョ インスン)さんの証言を軸に、直接目撃した20人余の証言を集めた作品です。
映画の主人公であるチョさんは、大震災の前年の22才の時、「日本に行けば白い飯が食える」からと慶尚南道居昌(コチャン)から日本に渡って来た後、あちこちを転々として建設現場で日雇い労働者として働きました。地震が起きた日、現在の東京押上付近の工事現場にいたチョさん一行は、避難して四つ木橋付近で消防団に捕らえられました。チョさんは、自警団、警察などによる朝鮮人虐殺に巻き込まれ、兄を殺され、自らも傷害を受けます。
チョさんは事件後、大井町のホルモン焼き店を営みますが、夜うなされたり暴れたりすることがあると妻が語ります。
朝鮮人の遺体を集めて焼いたり埋めたりした荒川ベリで事件の60年後に遺骨の発掘を行いますが、発見することは出来ませんでした。
主人公のチョさんは、1984年に亡くなっておられます。朝鮮人虐殺の事実を遺した映像としては、現在とても貴重な作品と言えます。
熊本県で4月14日に地震が発生しました。地震発生から数分後に「熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ」などの差別的な投稿がツイッターに登場しました。
関東大震災の朝鮮人虐殺を思わせる流言飛語が、今日でも発生している事実を私たちは忘れてはなりません。
「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が多くの方々の協力を得て、犠牲者183人の名を刻んで建立した追悼碑は、「私たちは、このような悲劇を生んだ日本の歴史を反省し、再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓い、ここに犠牲者の名を刻みます。」との文章で締めくくられています。
「このような悲劇」には、長生炭鉱水非常とともに、関東大震災の朝鮮人虐殺があったことをこの映画を観て痛感しました。
この程発生した熊本地震の際に、朝鮮民族の方々を差別する流言飛語が出されている事実を受け、改めて「再び他の民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓う」決意が、この映画を観て湧き上がってきました。
私の生き方を励まし、決意を新たにしてくれる映画でした。
呉監督、素晴らしく、貴重な映画をありがとうございました。
この作品の視聴を希望される方は、自主上映会を開催することも出来ますので私に申し出ていただければと思います。
浅田次郎の原作を橋本一監督が映画化した「王妃の館」をDVDで視聴しました。
浅田次郎さんの作品は、時代小説か現代小説。
現代小説は日本を舞台にしたものが多いですが、本作は、フランスを舞台にした喜劇でありながら、ルイ14世の時代が学べるという浅田文学の中でも希少な部類の作品です。
さすがに日本を代表するストーリーテラーである浅田作品です。
笑いあり、涙あり、最後の大団円は納得できるものです。
舞台は、ルイ14世が寵姫のために建てたという「王妃の館」(シャトー・ドゥ・ラ・レーヌ)。
日本の倒産寸前の旅行会社がダブルブッキングのツアーを企画します。
昼に滞在する客は、10日間で150万円。夜に滞在する客は19万円の格安ツアー。
出遭ってはいけない両者が入り乱れトタバタ劇が展開されます。
主役の作家・北白川右京役を水谷豊さんが好演します。
私がこの映画で注目したのは、パリの町並みの美しさです。
映画の中で、北白川右京が、戦火を潜り抜けていかにパリの街が守られたかを語ります。
この映画を観て一度でいいからパリを訪ねたいと思うようになりました。
しかしながら、フランスを舞台にしても、巧みな物語を綴る浅田次郎さんのスートリー力に感服しました。
映画の感動がさめない内に、原作を読むことにしましょう。
浅田さん橋本監督、いい作品をありがとうございました。