議員日誌

劇映画「母」

 山田火砂子監督の劇映画「母」を観ました。

 三浦綾子さん原作の「母」は、作家・小林多喜二と母の物語です。

 山田監督は、映画のパンフレットにこう書いています。

 「小林多喜二は銀行に勤め、たくさんのお給料をもらって安楽に暮らせたのに、世の不平等に怒りを覚え、その安楽な暮らしを投げ打ち貧しい人の味方になり、国家権力に文章で立ち向かっていった。その頃の日本は1900年代に入り、日清日露の戦争に勝利して、軍国主義国家となり、少しでも戦争反対とか天皇陛下の事を言ったら『治安維持法』を持ち出して警察権力や特高警察の人達が殴る蹴るは当たり前、殺すまで拷問した。どれだけの人が国家の暴力によって殺されたか・・・。

 映画のパンフレットに「小林多喜二の軌跡」があります。

 1922年、多喜二が小樽高等商業学校に入学した翌年に日本共産党が結成されます。

 その翌年の1923年に関東大震災が起こります。

 本ブログで、先日、映画「払い下げられた朝鮮人」の事を書きましたが、この関東大震災の時に、「亀戸事件」が起きました。

 警察庁は「社会主義者は不逞先人と提携し活動しつつあり」との流言を流布しました。

 「亀戸事件」の著者である加藤文三さんは、「震災という天災を社会主義運動の弾圧に利用しようとする官憲の作為に違いない。」と書いています。

 この時に、日本共産党で日本共産青年同盟委員長であった川合義虎らが官憲の手で虐殺されました。

 この時に、約6500人もの朝鮮人の方々が虐殺されたことは、先に書いた通りです。

 小林多喜二は、1931年に日本共産党に入党し、1933年に特高警察による拷問で死亡しました。

 日本共産党に入ってわずか1年半で殺されたことになります。

 私は、日本共産党に入って30年目を迎えました。感慨無量です。

 改めて、日本共産党の戦前の壮絶な闘争をこの映画でリアルに感じることが出来ました。

 そして、「治安維持法」の再来を許さない。「共謀罪」法案の廃案を、この映画を観て誓いました。

 引き続き県内で劇映画「母」の上映会が行われています。一人でも多くの皆さんがこの映画をご覧になることを念願するものです。

 映画の上映時間は、本ブログのインフォーメーションに書かれています。

 

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