ジャーナリストの小笠原みどりさんの「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」を読んでいます。
小笠原みどりさんは、元朝日新聞の記者です。1994年に記者になった小笠原さんの初任地は、山口市。
この頃、私は、30歳で、宇部市議会議員1期目でした。小笠原さんと何らかのイベントでご一緒したことがあったのかも知れないと思うと身近な存在に感じられました。
これまでに読んだのは、小笠原さんがスノーデン氏への独占インタビューをする前の時期の部分です。
小笠原さんの記者時代の率直な思いが綴られています。
「9.11と直後さら開始された『対テロ戦争』が、その変化のプロセスの始まりだった。このプロセスは日本のメディアだけではなく、米国でもメディアが腐敗し、公衆の目を逃れて監視システムが発達していった時期と重なる。」
米英機がアフガニスタンへの空爆を開始した翌日、朝日新聞社説は「限定ならやむをえない アフガン空爆」と書きました。
小笠原さんは当時、福岡社会部の記者でした。社説のゲラを見た小笠原さんは、東京の論説委員室に電話しました。
論説副主幹を名乗る人物が電話口で「うちはこれまでも武力攻撃を否定していないから」と答えました。
この時の事を小笠原さんはこう振り返っています。
「こうやって日本の新聞はかつて戦争に協力し、政府のお先棒を担いで、嘘を書きまくった。戦争に負けると、今度は変わり身早く『国民と共に立たん』などと宣伝して、人々を戦争に駆り立てた責任を曖昧にぬぐい去り、『新日本建設』の騎手であるかのように振る舞った。自らが考えを転換したことをけっして認めず、『これまでもそうだった』といいながら、うちという集団に隠れながら、大転換をやってのける。これならどんな個人も責任を取らなくても済む。日本の言論機関はそうして権力に寄り添ってきたのか。そして、これからもそうしていくのか・・・。からくりが全部見えた気がした。
「屋台骨としてあると信じた新聞の平和への意思、人間への共感が社説で否定されたことは、デスクを含む記者たちの内面を確実に蝕んでいったと思う。記者が言葉を書く起点は、つきつめれば一人の人間であるということでしかない。人はほかの誰かに伝えたくて、言葉を送り出す。国家暴力がその一人の人間を殺すことを容認してしまったら、自分のような人間が殺されてもやむをえないと支持してしまったら、自己矛盾に陥る。つまり、価値基準の頂点にもはや人のいのちを置かなくなってしまったことで、記者たちは自分の人間存在を起点に書けなくなってしましった。自分の存在を否定して、思いを言葉にできるだろうか。だれに向かってなにか伝えたいと切実に感じるだろうか。軸足を失った新聞は、時代に果敢に切り込んでいく指針を失ってしまったのだ。いま新聞には、書き手が信じてもいない言葉が氾濫している。」
昨日、「共謀罪」法案が衆院本会議で強行採決されました。
今朝のメディアは、価値基準の頂点に国民を置いて報道しているでしょうか。
価値基準の頂点に国家を置いて報道はしていないでしょうか。
小笠原さんは、メディアが再び自由を取り戻すためにこう書いています。
「自由を取り戻す方法は、真実に足場を据えて一人ひとりが反論することだろう。蓄えた言葉で、口々に。」
「共謀罪」法案は参議院に審議の場を移しますが、真実に足場を据えたメディアの報道を大いに期待したいと思います。
小笠原さんの「価値基準の頂点に人のいのちを置く」ことは「人間存在の起点」だという言葉は、大いに励まされます。
各組織はこうあるべきと思います。
人としてこうありたいと思います。
いよいよ、小笠原さんの本は、スノーデン氏へのインタビューの部分に入ります。
小笠原さんの紡ぐ言葉に魅了されつつ、読み進めていきたいと思います。
平和と自由な社会を願って、この本の後半部分の感想は次回以降の本ブログで紹介したいと思います。
「共謀罪」法案に対するご意見や、今日のメディアに対する想いをお聞かせ下さい。
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