昨日、厚南会館で、「第39回原・黒石・厚南・西宇部校区人権教育合同研修会」が行われました。「優しさの心って何?」と題して元萩市教育長・金谷天満宮宮司の陽信孝(みなみのぶたか)さんにご講演いただきました。
私は、当番校区=西宇部校区人権教育推進委員協議会会長として主催者挨拶などを行いました。
陽さんは、1991年の4月27日、親友でもある山本内科胃腸科の山本貞久壽さんから「胃がん」であることを通告されます。当時、陽さんは、萩市大島中学校校長でした。校長職を休職して胃がん摘出手術に挑みます。
陽さんの妻、八重子さんは、元音楽の教師。陽さんが胃がん宣告を受けた時「おとうさんが死ぬ、おとうさんが死ぬ」といいながら家の中をおろおろ歩き泣き叫びます。
八重子さんは、若年性アルツハイマーを発病しました。
陽さんは三度のガン手術から生還しますが、八重子さんの病状は改善の兆しが見えません。
陽さんは、自らの病と闘いながら、八重子さんを介護する四千日の軌跡を描いた「八重子のハミング」という本を上梓され、2005年、小学館から出版されました。
そして、2016年、「八重子のハミング」が佐々部清監督によって映画化され全国上映されました。
陽さんは、若年性アルツハイマーについて「今の事は殆ど分からなくなり、過去のことも昔の事から徐々に忘れてくる。学習させてはならない。自由にさせなければならない病だ。」と語りました。
三人の娘さんたちは、八重子さんの症状が進むことに戸惑いは隠せません。長崎で暮らす娘さんは久しぶりに自宅に帰り「お母さん」と八重子さんに声をかけると八重子さんは娘さんを認識できなくなっていました。娘さんは玄関先で泣き叫びます。
八重子さんが自分の排泄物を口にすることもありました。この事実も身近に暮らす家族には受け入れがたいものでした。
お孫さんたちも八重子さんの変化に戸惑います。お孫さんが学校に行こうとすると玄関に靴がありません。八重子さんが隠したのです。ある日、用事で外出していた陽さんにお孫さんから携帯電話がかかります。「廊下が洪水になっているよ」。八重子さんの尿で廊下が洪水に。そんなこともありました。
八重子さんの現実を受け入れて家族は戸惑いながらも協力しあいました。
八重子さんは、2002年12月11日に、お亡くなりになられました。
八重子さんの葬儀の様子を映したドキュメンタリー番組が会場で放映されました。
陽さんは、喪主の挨拶の最後に、八重子さんの遺影に向かって「やさしさの財産をありがとう」と八重子さんに最期の言葉を贈られました。
陽さんは、「親が子を殺す」「子が親を殺す」現代の人権が置かれた状況について、「相手の痛みが分かるよう、切れた糸をつなげていくことが大切ではないか」と話されました。
陽さんは、自分のように自宅で家族が介護したくても出来ない状況はあるとして、「仮に子どもさんが都会で働いていて、地方に両親がいる場合。子どもさんは税金を払いことで社会に奉仕しているのだから、地方で安心して老後が送れる福祉施策を構築しなければいけない」と話されました。
陽さんは、最後に、会場に皆さんに、「生きることは逃げない事」「優しさには限界がない」と話されました。
陽さんは、「妻の介護をしてきて私が強く心に感じるのは『優しさ』と『怒り』の限界についてだ。人間、怒りには限界はあっても、優しさには限界がないというだ。優しさは、後から後から湧き出てくる泉のごときもので、人間が持つ肉体すべてから醸し出されるものではないか」と話しを終えられました。
宇部市人権教育・啓発推進基本理念に「一人ひとりがかけがえのない尊い生命(いのち)の主体者であるという『人間尊重』を基本的な考え方とする必要があります」と書かれています。相手を尊い命だと思うためには、空いてに対して限りない優しさを持つことが大切です。陽さんの講演は、参加者にその事を気づかせるものだったと思います。
会場には、陽さんの話を一度聞きたいという方で溢れんばかりでした。暑い中、陽さんの講演に多くの皆さんにご参加いただき感謝しています。ありがとうございました。
私は、2013年(平成25年)の11月県議会で、医療的ケア児の処遇改善に関して次のような質問を行いました。
「医療的ケアが必要な子どもたちの校外活動の看護師の同伴についてであります。中国地方では、山口県だけが同伴を認めていません。子どもたちの学ぶ権利と親の負担軽減のために、看護師の同伴を山口県でも認めるべきですがお尋ねします。」
当時の田邉教育長は「本件では、医療的ケアが必要な児童生徒が安心・安全に学校生活を送ることができるよう、総合支援学校に看護師を配置し、校内での医療的ケアを実施しております。お尋ねの校外活動における看護師の同伴につきましては、学校とは異なる状況での医療的ケアの実施となりますことから、緊急時の連絡体制の確立や医療機関との連携のあり方など、安全確保の観点からの検討が必要であり、今後、校外活動への対応について研究してまいりたいと考えています。」と答えました。
その後、保護者の同伴が条件ではあるものの、市内の校外活動には、看護師が同伴できるようになりました。
そして、今年度から、保護者の同伴が条件ではあるものの、宿泊学習にも看護師が同伴できるようになりました。
児童生徒の学ぶ権利を保障していくために、現場の先生から私が要望をお聞きし、議会で取り上げて、その後、保護者同伴が前提であるとはいえ、校外活動や宿泊学習に看護師が同伴できる体制が確立したことを私はとても喜んでいます。
要求が前進した背景には、高教組・県教組の組合員さんのご努力や「障害児教育をすすめる会」の会員の方々の粘り強い運動があったことは明らかです。
私は、引き続き、医療的ケア児をはじめ障害児教育の処遇を改善するために奮闘する決意です。
障害児教育に関する皆さんのご意見やご要望をお聞かせ下さい。
安倍政権退陣させよう
山陽小野田市でつどい 清水衆議院議員力説
日本共産党北南地区委員会は、29日、清水忠史衆議院議員を迎え、山陽小野田市で「日本共産党を語る集い」を行いました。
会場一杯の120名の参加者が山口県で初めての演説という清水議員の訴えに聞き入りました。
清水議員は、「総選挙で野党共闘を実現し、共闘の要である日本共産党を躍進させよう」と呼びかけました。
その上で、清水議員は「都議選での自民党大敗北や安倍政権の支持率急落は、あらゆる分野で暴走する安倍政権への強い怒りの反映だ」と語りました。
森友・加計問題では、「国民には痛みを押しつけ、友人には便宜を図る安倍首相を政権から引き降ろそう」と訴えました。
経済や社会保障の問題では、税金の集め方を改め無駄遣いをやめることが大事だとし、「企業献金を受け取らない日本共産党だからこそ、大企業に相応の税金を納めよと言える。お金の心配なく介護を受けてというのが政治の役割で、誰も悲しまない経済政策こそ必要だ」と力説しました。
集会の最後に、藤本衆院山口3区候補と、今秋の山陽小野田市議選に挑む中島好人市議、山田のぶゆき市議と新人の寺岡としあき候補、阿武町議選で初の党議席獲得を目指す、よねつ高明候補が紹介され、必勝を誓いあいました。
清水議員は、松竹芸能所属の元漫才師という経歴の持ち主です。軽妙の語り口で、会場に爆笑と確信が大いに広がりました。
山陽小野田市議選は、9月24日告示、10月1日投票です。親戚や友人・知人に声をかけてください。
左から山田、中島、寺岡、清水、藤本、米津各氏
第63回山口県母親大会
7月2日、宇部市内で第63回山口県母親大会が行われました。
一般社団法人Colabo代表の仁藤夢乃さんが「若者が希望を持てる社会に~居場所のない少女たちに寄り添って~」とのテーマで記念講演を行いました。仁藤さんは、居場所がない、生きる希望ない、頼れる人や相談できる人がいない若者を支援する団体(Colabo)の代表として活動しています。物理的にも精神的にも難民化する青少年が増えている現状を仁藤さんのお話しでリアルに感じることが出来ました。
9・19安保法制強行「採決」2周年忘れない行動
安保法から2年-この間とこれからを考える
日時 9月23日(土)
14:00開会 16:00閉会
場所 宇部市男女共同参画センター2階軽運動室
宇部市琴芝1丁目2番5号
☎0836-33-4004
会費 500円
講師 香山リカさん(精神科医・立教大学教授)
精神科医の香山リカさん
主催 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動うべ実行委員会
宇部市常盤町1-1-9 緑橋教会内
☎0836-21-8009
事務局 藤本携帯 090-3747-2855
一気
7月18日聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが105歳で亡くなられました。日野原先生が監修された「歌われたのは軍歌ではなく心の歌」に日野原先生の戦争体験が語られています▼「戦争をするなということよりも、命を大切にするということを、シュバイツァー博士が蟻一匹でも殺すのはいやだと言ったヒューマンな気持ちを子どもに植え付けることによって、心からなる愛と平和の心をもっと心に強く芽生えさせるように、私たちの経験を伝えることがわれわれの使命であると思います。そのためには人から受けた過ちは許し、お互い愛しましょうと言いたいのです。そういう場合には強い国や弱い国を許さないと駄目です。」▼戦争を体験された方の話しを直接お聞きする機会は少なくなりましたが、こうして活字になれば、将来にわたって戦争の事実を知ることが出来ます。日野原先生が提唱された戦争のない、命を大切にする世界をの遺志を私たちはしっかり受け継いでいきたいと思います。
経済産業省は先月28日、高レベル放射性廃棄物(「核のゴミ」)の最終処分場候補になりうる地域を示す全国地図を同省資源エネルギー庁「科学的特性マップ公表用サイト」で掲載しました。
29日付しんぶん「赤旗」日刊紙は「応募自治体を待つ方式では一向に進まないことから、政府があらかじめ『敵地』を示し、政府が個別に申し入れる方式に変えました。政府は公表した地図に基づいて国民の理解を得たいとしています。しかし、国民の間には最終処分場の合意が、原発の永続的利用につながるのではないかという懸念があります。政府は原発の是非にかかわりなく今も使用済み燃料が存在することをもって、『現世代の責任』を強調します。しかし、国民の過半数が再稼働に反対するなか、核のゴミをさらに増やす原発再稼働を強引に進める政府のもとでは、処分場受け入れの合意を得ることは極めて困難とみられています。このため地図公表に続いて、上から押し付けを強める危険があります。」と書いています。
31日付中国新聞は社説で、この問題を取り上げ、「原子力政策の将来像をはっきりさせることが先だろう。福島第一原発事故で、国民の多くは原子力政策に批判的・懐疑的になった。しかし政府は、それを無視して再稼働を急いでいる。これでは最終処分場の必要性について理解は得られまい。」と書いています。
同日付の中国新聞は、「経済産業省は8月上旬にエネルギー基本計画の見直しに着手することが30日、分かった。2014年に閣議決定した前回の計画で盛り込まなかった原発の新設や建て替えにどこまで踏み込むかが焦点となる。」と報じました。
政府は、新しいエネルギー基本計画で原発の新設や建て替えを認めない方針を明確にすべきです。そして、原発再稼働をぱっぽん的に見直す時です。
繰り返し、本ブログで訴えていますが、上関原発の新設を新しいエネルギー基本計画に決して盛り込むべきではありません。
これ以上危険な負の遺産を増やさない対策を徹底する前提なしには、核のゴミの処分に向けた国民的な議論を進めることは出来ません。
皆さん、「核のごみ」と原発の新増設や再稼働の問題をどうお考えですか。
口承文芸学者の小澤俊夫さんのインタビューが16日の中国新聞に掲載されていました。
小澤俊夫さんは、小澤征爾さんのお兄さん、歌手の小澤健二さんのお父さんです。
私が、宇部市PTA連合会総務委員長をしていた時、読み聞かせをされている団体の方から、小澤俊夫さんを講師とした学習会を合同でやらないかとの申し出がありました。
私は、その時まで、小澤俊夫さんの事を知りませんでしたが、宇部市民会館での学習会で先生のお話しをお聞きして以来、傍観者の域を出ませんが、小澤俊夫さんに注目してきました。
その後、宇部市で行われた「昔ばなし大学」を聴講し、小澤先生の昔話の講義を何度か聞かせていただきました。
その当時、雑誌「子どもと昔話」を購読しており、小澤先生の平和主義のお考えを拝察し、本ブログで紹介したこともありました。
この程、小澤さんの自叙伝とも言える「ときを紡ぐ-昔話をもとめて」を読み、改めて、先生の平和主義の考え方に幾度となく共感しました。
今日から数回にわたって、先生の言葉を引用しながら感想を述べていきたいと思います。
小澤さんが小学生の頃、北京に暮らしておられました。
ある日、人力車から日本兵が降りのを目撃します。
その日本兵は、代金を払いません。中国人の車引きが料金をせがむと軍人は、軍刀を途中まで抜いてどなりつけます。
その姿を見て小澤さんは次のように語っています。
「この日本兵にも家族があるだろう。家族はこの人がこんな横暴な、野蛮な人だということを知っているだろうか、とぼくは思った。知っているはずはない。日本人はみんな、自分の夫は、父は、息子は、恋人は、天皇陛下のために聖戦に身を投じている勇者なのだと思っているだろう。そう思うと、ぼくは心の底から悲しかった。なぜだかわからなかったが、ものすごく悲しかった。」
小澤さんが北京で病院に作業に行き傷痍軍人の人からこんな話を聞きます。
「軍隊が進軍していって、村に近づき、畑でおばあさんが働いていると、必ず射殺した。なぜなら、日本軍が近づいてきたことを中国軍に知らせるからだ、スパイをするからだと、当然のようにいっていた。村に入ると、にわとりや豚を食料として調達した。軍票(軍隊が発行するお金)で買うこともあったが、ほとんどの場合は奪ったということだった。それらのことを、日本の傷痍軍人たちが、ぼくら子どもに得意になって話していた。南京攻略に参戦した兵隊がいて、てこずったときには毒ガスを使ったと、これも得意になって話してくれた。」
戦中に中国に滞在した経験を受けて小澤さんは、現在の政治の問題点を次のように指摘します。
「今にして思うと、このギャップが、戦後後になっても、日本人全体の、あの戦争に対する認識の誤りとして、いつまでも尾を引くことになったのである。つまり、日本の建前としては、日本が大東亜共栄圏の盟主として、アジアの国々を欧米の支配から解放してやることが戦争の目的だった。しかし実際には、アジア人に対して悪鬼のような振る舞いをしていたのである。中国、韓国をはじめアジアの人たちは、今もってこの悪鬼のような日本人を責めているのである。ところが、日本国内では、建前としての戦争しか知らない。しかも、戦争で心ならずも命を失った日本軍人ばかりを神として崇拝している。そればかりか、あの戦争を指導した軍や政治の指導者たちをも神として祀って、そこに首相が参拝しているのである。アジアの人たちが怒るのは当然と言わざるを得ない。」
不破哲三社研所長は、日本共産党95周年記念講演会で、「安倍政治」について「戦前の態勢に戻りたい、『戦前回帰』という『日本会議』系のウルトラ右翼の怨念を大きな特徴としたものです。」と指摘しました。
安倍内閣の閣僚が靖国神社参拝を繰り返し、首相自身も玉ぐし料・真榊の奉納を続けていることは、侵略戦争を美化する行為です。
在日韓国・朝鮮人や中国人を罵倒するヘイトスピーチが根絶されません。
安倍政権は過去の侵略戦争を反省しない政権だから、安保法制=戦争法を成立させ、憲法9条を改定して日本を戦争する国にしようとしているのではないかと思います。
小澤俊夫さんの「ときを紡ぐ」を読みながら、今日の政治に対峙していきたいと思います。
明日以降も、この本の読書ノートを続けていきたいと思います。
小澤さんは、中国新聞でのインタビューで「平和ってさ、そんなに軽いもんじゃない。やっとの思いで手に入れたんだぜ。その重みを少しでも考えてもらえるような材料を残したかった」と語っています。
小澤さんの本を座右に置いて、この夏、日本と世界の平和を考えていきたと思います。
日本共産党北南地区委員会は、昨日、清水忠史衆議院議員を迎え、山陽小野田市で「日本共産党を語る集い」を行いました。
会場一杯の130名の参加者が山口県で初めての演説という清水議員の訴えに聞き入りました。
訴える清水ただし衆院議員
清水議員は、「総選挙で野党共闘を実現し、共闘の要である日本共産党を躍進させよう」と呼びかけました。
その上で、清水議員は「都議選での自民党大敗北や安倍政権の支持率急落は、あらゆる分野で暴走する安倍政権への強い怒りの繁栄だ」と語りました。
森友・加計問題では、「国民には痛みを押しつけ、友人には便宜を図る安倍首相を政権から引き降ろそう」と訴えました。
経済や社会保障の問題では、税金の集め方を改め無駄遣いをやめることが大事だとし、「企業献金を受け取らない日本共産党だからこそ、大企業に相応の税金を納めよと言える。お金の心配なく介護を受けてというのが政治の役割で、誰も悲しまない経済政策こそ必要だ」と力説しました。
集会の最後に、藤本衆院山口3区候補(私)、今秋の山陽小野田市議選に挑む中島好人市議、山田のぶゆき市議と新人の寺岡としあき候補、阿武町議選で初の党議席獲得を目指す、よねつ高明候補が紹介され、必勝を誓いあいました。
左から山田、中島、寺岡、清水、藤本、米津各氏
私は、集会の司会を務めました。清水議員は、元松竹芸能所属の漫才師です。軽妙な語り口で、会場は爆笑の渦でした。
分かりやすく政治を語る姿勢を大いに学びました。