先日、念仏者9条の会主催の映画会で、元海兵隊員のアレン・ネルソンさんを取り上げたドキュメンタリー映画「9条を抱きしめて」を観ました。
その感動が冷めやらず、ネルソンさんの著作「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」を読みました。
私はこれまで、大岡昇平著「野火」などの戦争体験記を読んではきました。
これほどまでに、リアルな戦争体験記を読んだことはありません。
「倒れた兵士のもとにやっと到達すると、わたしはライフル銃を地面において、片ひざをつけました。そして、うつぶせにたおれている兵士をころがして、あおむけにしたそのときでした。わたしは恐怖にこおりつきました。わたしが見たのは顔がない顔でした。目も鼻もない、ただ真っ赤につぶれた顔でした。銃弾によって顔が吹き飛ばされていたのです。」
「考えたり、感じたりしてはいけなかったのです。戦場ではどんなことがおころうとも、恐怖をコントロールできなければならないのだと、わたしは強く思いました。タフにならなければならなのです。タフでなければ、私はあの兵士のように、顔を吹き飛ばされ、みじめに死んでいくのです。」
ネルソンさんの物語は、ただただ戦争体験を記録するだけのものではありません。
ネルソンさんが、平和活動家になるまでの過程も丁寧に描かれています。
ネルソンさんは、ベトナム人の人々との交流を通じて人間性を取り戻してきました。
ネルソンさんが戦場で殺した最後の人物についてこう書かれています。
「自分が殺したベトコンについては、報告するためにその死体を調べることになっていました。私は彼の持ち物を調べました。彼のズボンのポケットに財布があり、一枚の写真が入っていました。その写真の中では一人の男性と二人の女性がほほえんでいました。年齢からすると、真だ若者の父親と母親、もう一人は姉か妹のように思われました。写真を持つ指がふるえ、突然、涙があふれ出てきました。わたしはこんな思いにとらわれたのでした。この父親と母親は、自分の愛する息子がたった今、撃たれ、死んだことをしらないのだ、と。ベトナムに来て初めて流した涙でした。そして、そのほっそりした自分と同じような若者こそが、わたしが最後に殺した人間でした。わたしは19歳になったばかりでした。」
ネルソンさんは、平和活動家として活動を開始した後に、沖縄で12歳の少女がアメリカ兵にレイプされる事件が起こりました。
この時以来、ネルソンさんは、沖縄を拠点に、全国で、ベトナム戦争の話しを始めました。
そんな中で、ネルソンさん日本国憲法9条のことを知ります。
「わたしはそれ以後、世界中の国々がこの第9条を共有すべきだと確信するようになりました。第九条こそが戦争をなくす唯一の道だと思うのです。第二次世界大戦以降、日本は世界中のどこにも爆弾を一個も落とさず、世界中の人々の命をだれひとりもうばっていません。これが第9条の力であり、この力を日本人みずからがもっと理解すべきだと思うのです。」
ネルソンさんが指摘した「第二次世界大戦以降、日本は世界中のどこにも爆弾を一個も落とさず、世界中の人々の命をだれひとりもうばっていません。」という世界に誇れる日本の歴史が、戦後72年目の今年の冬で終わるかもしれない事態に日本が直面しています。
戦争法にもとづく初めての任務として、11月20日から南スーダンでのPKOに派遣されている自衛隊に新任務「駆けつけ警護」が加えられました。これまでとは違い、警護の名のもとに、自衛隊が武器を使用でき、人を殺すこともできるという、憲法違反の任務です。
ネルソンさん没後7年。憲法9条がここまで蹂躙されてきたことを痛感する今日です。
南スーダンに派遣されている自衛隊を即時に撤退させるために、戦争法を廃止させるために力を尽くす時です。
私は、ネルソンさんの映画を観て、本を読んで、日本国憲法第9条を守り広げるというネルソンさんの遺志を受け継ごうと決意を新たにしました。
日本国憲法第9に対する皆さんの想いをお聞かせ下さい。
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