昨日の中国新聞は、イージス・アショア配備計画のある山口県と秋田県の姿勢の違いについて次のように書きました。
「山口県は、アショア配備を含め防衛政策について『基本的に協力する』との立場。国には住民の不安を払拭するよう求めるが、あくまで地元の意向を前面に掲げる。配備の是非について県の考えは見えてこない。もう一つの配備候補地の秋田県と比べると、第三者的なスタンツは際立つ。『現段階ではノーだ』。7月23日、秋田県の佐竹敬久知事は防衛省の説明後、報道陣に言い切った。候補地が山間部の山口と比べ、住宅密集地に近い秋田は住民の反発が強い。『非常に不愉快』『デリカシーがない』。佐竹知事の口からは国への不満が相次ぐ。『防衛は国の専管事項』と述べる村岡知事とは対照的に映る。」
確かに、イージス・アショアの配備が計画されている秋田市の陸上自衛隊新屋演習場周辺の住宅数は、陸上自衛隊むつみ演習場周辺より多いのかも知れません。
私は、防衛省が行った第一回説明会では、萩市むつみ地域に、第二回説明会では、阿武町福賀地域に参加しました。
私が参加した説明会で発言したのは殆どが地元住民の方でした。そして、その殆どが配備には批判的な内容でした。
萩市・阿武町の住民の反発は強いものがあると思います。
中国新聞は、「自民党山口県連の関係者は『総理のお膝元で反対するわけにはいかない』と山口特有の事情を口にする。」とも報じています。
住民は反対しないだろうと考えていた自民党山口県連の関係者の方は、少し焦っておられるのではないでしょうか。
政策決定に当たり住民の意思が最優先されるべきことは当然です。イージス・アショアに疑問を持つ萩市・阿武町の住民の方は多くいらしゃいます。自民党山口県連は民主主義を尊重する意思があるのかが今問われていると思います。
中国新聞は、沖縄大学客員教授の小林武さんのコメントを掲載しています。
「自治体は住民への言い訳として国の専管事項という表現を使いがちだが、国と地方の役割分担に主従関係はない。安保は住民の暮らしに影響する。首長も積極的に意思表示をすべきだ。」
阿武町福賀地区での説明会には花田町長が参加し、直接住民の声を聴く姿が見られました。
花田町長は、適地調査の再検討を国に要望しています。
村岡知事は、イージス・アショアの問題で、直接住民の声を聴いているのでしょうか。
第三回目の説明会が行われたならば、知事自らが参加すべきであることを私は要望したいと思います。
住民の声を聴かず、「地元の意向は尊重する」と言ってみても、その真意は「国の意向を尊重する」としか聞こえてきません。
他の問題同様、村岡知事は、イージス・アショアの問題でも、直接、住民の声に耳を傾けるべきです。
村岡知事は、秋田県知事ともこの問題で対話するべきだとも思います。
イージス・アショアの配備に関して、秋田県知事は、「現段階ではノーだ。」とのスタンツです。
一方、山口県知事は、配備の是非について、自らの考えを明らかにしていません。
皆さんは、村岡知事の姿勢をどうお考えですか。
NHKドラマ「夕凪の街 桜の国2018」を妻と一緒に観ました。
原作は、「この世界の片隅に」で有名なこうの史代さん。
8月6日付「しんぶん赤旗」日刊紙にこのドラマを紹介する記事が掲載されました。
このドラマの田中意澄制作統括は、「こうの先生の世界観は、ささやかな日常、被爆によるトラウマ、喜怒哀楽をていねいにすくい取って描いています。私たちとしては何年の何月何日に、誰が原爆投下したという歴史の一ページにしたくない。被爆地には、何十万人の人たちが生きて、生活していて、川栄さん(主人公・七波の伯母・平野皆実役)と同じ世代の人たちが恋をしたり、将来を悩んで生きていたんですから。核兵器の廃絶に目を向けてもらうためにも、平和へのメッセージとなればと思っています。」と述べています。
被爆した平野皆実を演じた川栄さんは、「戦争は、映像や、写真でしか知らない世界なので、どういう気持ちで日常生活を過ごしていたんだろうと悩んでいました。」と語っています。
皆実が、職場の同僚の男性から好きだと告白されて悩み苦しむシーンなど、川栄さんの演技は出色でした。
皆実の母=フジコを演じたキムラ緑子さんは、「70、80代の方が今まで語れなかったことを、後世のために一生懸命、伝えてくださっている。私たちがきっちり受け止める。それがこの作品を、努力してみんなで作り上げていくことなんだろうなと思いました」と語っています。
被爆者の方の平均年齢は、82歳を越えました。
私たち一人ひとりがしっかりと被爆の実情を後世に伝えていくことがこれからとても重要な問題になってきます。
その点で、この作品は、最良の作品だと思いました。
「夕凪の街 桜の国」を観て読んで、一番、印象に残るのは、
皆実が被爆10年後に亡くなる前に、つぶやくセリフです。
「嬉しい? 10年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」
数日前に読んだ「非暴力の人物伝」に取り上げられていたマハトマ・ガンディーが広島への原爆投下と事実を知って語った言葉を思い起こします。
「原子爆弾という恐怖の存在によって、世界に非暴力を実現させることはできません。」
核保有国が主張する「核抑止力論」を乗り越えて、一日も早く、核兵器のない世界がやってくることを願ってやみません。
日本政府が一日も早く、核兵器禁止条約にサインすることを願ってやみません。
「夕凪の街 桜の国2018」いいドラマでした。
実は、半月前に、このドラマの重要なスタッフの方とお話することがあり、思い入れがひとしおでした。
スタッフの皆さん、いいドラマをありがとうございました。
一人でも多くの皆さんにこのドラマを見ていただきたいと思います。
毎日新聞の客員編集委員・玉木研二さんの今朝のコラム「火論」は興味深い内容でした。
玉木編集委員は東京国立博物館で開催されている特別展「縄文-1万年の美の鼓動」を観て語っています。
歴史学者・網野善彦さんは「日本社会の歴史」(岩波新書)でこの時代についてこう書いています。
「人間の生活がきびしい自然に圧倒されていたことは、平均寿命が30歳余ときわめて短いことが端的にあらわれているが、それだけに生命の貴重さは大きく、身体障害者がかなり長寿を保っている例もあることから見て、障害者や票委任に対する差別などもなかったと考えられる」
玉木編集委員は、この文章を引用した後、次のように書いています。
「タイムマシンあらば、国会議員が唱えた『生産性』うんぬんについて縄文の人々の意見を聞いてみたいものだ。首をかしげるばかりだろう。縄文から弥生時代へ。農耕による定住、占有の時代へと移ろいながら人間たちの間に階層が生じ、組織的に争い戦う時代へと変質する。」
人々は、組織的に争う時代に入っていったが、日本国憲法という英知を私たちは得ました。
日本国憲法は、国会議員には憲法擁護義務を課しています。
憲法で保障する個人の尊厳や基本的人権の尊重を理解しない国会議員の発言は、批判されて当然だと思います。
発言を行った議員の所属政党の幹部は「人生観」の問題として一蹴しました。
人類は争いの中にあっても、国際的な様々な文章で、「一人ひとりの人権を尊重する」ことの大切さを説いてきました。
これらの人類の到達を無視して、むき出しの争いの時代へ戻そうとする言葉の一つが「生産性」なのかも知れないと、今朝、玉木編集委員のコラムを読んで感じました。
先日も障害を持った方から「生産性」発言への怒りの言葉をお聞きしました。
改めて、「生産性」発言に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
大月書店の「非暴力の人物伝」マハトマ・ガンディーに続いては、沖縄のガンディーと言われた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんが紹介されています。
阿波根さんは、沖縄本島の北西にある伊江島で米軍からの土地取り上げに遭います。
米軍は、測量のお金を支払うためと言われた書類は、立ち退きを約束する書類でした。
その上、米軍は、ブルドーザーで伊江島の人たちの畑や家をつぶしていきます。
阿波根さんたちは、米軍と交渉する上での決まりを1954年10月に決めました。
(伊江島陳情規定)
1、怒ったり悪口を言ったりしないこと。うそや偽りを言わないこと。
1、米軍と話をするときは、何も持たないで、すわって話すこと。
1、耳より上に手をあげないこと。
1、大きな声を出さず、静かに話す。
1、人道、道徳、宗教の精神と態度で接し、道理を通してうったえること。
阿波根さんたちは、1967年、伊江島の米軍演習場の入り口に「団結道場」を建設しました。
道場の壁には、「米軍に次ぐ 土地を返せ ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ(中略)剣をとるものは剣にて亡ぶ(聖書)基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)」と書かれてあります。
阿波根さんの章の後半にこう書かれてあります。
「いま沖縄では、米軍基地に反対するたたかいがつづいています。名護市の東側の海岸、辺野古に新しい基地を作ることが決まった1999年から、反対のすわりこみがつづけられているのです。沖縄の人ばかりでなく、日本全国から、海外からも平和を願う人びとが集まってきて、暴力をふるわれても暴力で返さず、暴力的なことばもつつしむという、非暴力のたたかいを守っています。その精神は、昌鴻たちがかかげた、伊江島の陳情規定を受けついでいるのです。」
辺野古への新基地建設の是非を問う県民投票条例の制定を求める署名運動は、10万1千人分寄せられ圧倒的な成功をかちとりました。
翁長知事は、7月27日、「埋め立て承認撤回」の手続きに入ることを表明し、新基地建設は許さない断固とした決意を示しました。
安倍政権は、8月17日に辺野古に土砂を投入することを県に通知していますが、8月11日に、県民は、土砂投入を許さない県民集会を計画しています。
昌鴻さんが生きておられたら、8月11日の集会成功のために奔走されているところでしょう。
今こそ、伊江島の団結道場の掲げられている言葉「基地を持つ国は基地にて亡ぶ」を思い起こしましょう。
安倍政権は、辺野古への土砂投入を強行すべきではありません。
昌鴻さんの遺志を受け継ぐ沖縄県民と連帯して、辺野古新基地建設をゆるさないたたかいを高めていきたいと思います。
今度、沖縄県に行く機会があったんなら、昌鴻さんらが設立された反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を見学したいと思います。
阿波根昌鴻さんから更に学んでいきたいと思います。
皆さんは沖縄の現状をどうお感じですか。ご意見をお聞かせ下さい。
大月書店から児童書としてシリーズ「非暴力の人物伝」が刊行されました。
日本ペンクラブ会長の吉岡忍さんが、「刊行によせて」でこう書いています。
「人間の歴史をふり返ってみると、大きな武力や権力、あるいはお金の力を持った国や集団が領土や資源をもとめて戦争をはじめたり、他国の他の集団から利益をしぼり取ったり、文化や宗教や性別のちがいを理由に差別したり、ということが少なくありませんでした。もしきみたちが、そんな時代に生きていたら、と考えてみてください。戦争で攻め込まれたり、持っているものをうばわれたり、差別されたりする側にいたとすれば、その力こぶや腕力でたちむかえますか。でも、そういう時代を生き抜いてきた人たちがいます。この人たちは、自分のなかにある力を、腕力や暴力ではなく、知識や知恵としてたくわえ、信念や信条として語り、やさしさや友情や愛や、ときにはユーモアとして広めていきました。この行動は時代をこえ、国境をこえて広がっていきました。こうした非暴力の活動こそが、理不尽な支配を終わらせ、人びとの心にしみついた、にくしみや偏見をときほぐし、ことばによっておたがいを説得し、理解しあう民主主義への道を一歩一歩ふみかためてきたのでした。非暴力-それは世界を大きく変えた力でした。いったいそれはどんな力なのか、どういう人たちが切り開いてきたのでしょうか。」
このシリーズでは、マハトマ・ガンディー、阿波根昌鴻、チャップリン、ハブロ・ピカソ、田中正造、ワンガリ・マータイ、キング牧師、ネルソン・マンデラ、平塚らいてう、萱野茂が取り上げられています。
刊行は来春まで続きますが、今から楽しみです。
ガンディーは、イギリスからインドの独立を「非暴力と不服従」で実現した人物です。
アムリットサルイギリス兵によるインド人への大虐殺が行われた時、ガンディーは「仲間や身内を殺されて、開いてをやつざきにしてやりたいという気持ちはわかります。しかし、敵をゆるすことは、敵を罰するより、ずっと気高い行為だということを、どうか忘れないでおしい」
ガンディーは「力は、腕力からではなく、不屈の意思から生まれます」と述べています。
ガンディーは、第二次世界大戦がはじまり、1942年、「すべての日本人に」と題する文書をインドの新聞に寄稿しました。
「わたしは、あなたがた日本人が中国に加えている攻撃を極度にきらっていることを、はっきり申し上げておかなければなりません。」
1945年8月6日のアメリカによる広島への原爆投下のニュースに対し、ガンディーは次のように言いました。
「原子爆弾という恐怖の存在によって、世界に非暴力を実現させることはできません」
核兵器禁止条約は、核で他国を威嚇する行為も禁止しています。
そして、朝鮮半島で始まっている非核化の流れを世界に広げるべきです。
ガンディー1948年1月30日に暗殺されましたが、ガンディーが生きていたら、核兵器禁止条約を評価し、朝鮮半島の非核化の流れを評価したでしょう。
そして、ガンディーが今、「すべての日本人への手紙」を書いたならば、「唯一の被爆国政府として核兵器禁止条約にサインする」よう書いたでしょう。また、「朝鮮半島の非核化の流れを加速するために役割を発揮する」よう書いたでしょう。
更に、北朝鮮の脅威に対抗するとして、新たにミサイル基地を日本に二か所設置することについては、「やめるよう」書いたでしょう。
「非暴力」とは素晴らしい概念だと思います。
これからも、この言葉を大切にしながら、本シリーズに登場する人々から学んでいきたいと思います。
そして、ガンディーからも学んでいきたいと思います。
明石家さんまさん原作の「Jimmy」を読んでいます。
後にジミー大西となる大西秀明さんは、小学校低学年まで一言も言葉を話しませんでした。
子どもの頃からいじめられてばかりの大西少年でした。
高校卒業後、吉本興業に入った大西青年でしたが、ミスばかりの日々が続きます。
ある日、吉本の重役が、明石家さんまさんに、大西青年を吉本新喜劇に出演させたいと伝えます。
さんまさんは、「やめといた方がええ」とアドバイスしますが、大西青年の新喜劇出演が決まります。
やっぱり、大西青年は、舞台の上で大失敗。
吉本の重役は、大西青年に「お前はクビだ」と怒鳴ります。
さんまさんは、「そもそもあいつ出せと言うたん誰や?」と重役に切り返し「俺も吉本辞めたる」と言い返します。
その騒動をきっかえにして、大西青年は、ジミー大西として明石家さんまさんの付き人になります。
大西青年が吉本新喜劇で重大なミスを冒した時、明石家さんまさんは、大西青年にこのような声をかけます。
「今までの自分、笑い飛ばしてみ。そうしたらな、お前いじめてきた奴とか、からかってきた奴とか、全部見返えせんで!」
「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもr