本日、安保廃棄・岩国基地撤去山口県実行委員会(藤永佳久代表)は、二井知事に対し「沖縄海兵隊部隊の岩国移駐反対で共同し、米軍再編の白紙撤回を要請するよう求める申し入れ」を行いました。
日米両政府は、米軍再編のロードマップの見直し協議を始めました。この中で、アメリカは日本に、在沖縄海兵隊のうち1500人を米軍岩国基地に移駐させることを打診したとの報道が行われました。
この事態を受け、安保廃棄・岩国基地撤去山口県実行委員会は、以下の4点を申し入れました。
①在沖縄海兵隊の岩国基地への移転は、一時移駐も含め、絶対に容認しないこと。
②「在沖縄海兵隊の岩国移駐は反対」は、岩国市民はもとより県民の総意であることを日米両政府に示すため、山口県が「在沖縄海兵隊の岩国移駐は反対」の一致点での県民集会の開催を呼び掛けること。
③空母艦載機部隊の岩国移駐に伴う米軍家族住宅建設のための愛宕山開発用地の防衛省への売却方針は撤回すること。
④米軍再編の見直しが必死となった状況を踏まえ、日米両政府に空母艦載機部隊の岩国移駐を含む「米軍再編計画」の白紙撤回と、米空母の国内母港化の返上を求めること。
対応した基地担当の小松総務部理事は以下の趣旨の回答を行いました。
①については、「2月13日に、『これ以上の負担増は認めらない』などの基本スタンスから在沖縄海兵隊の岩国移駐は認められない主旨を外務大臣などに伝えた」と答えました。
②については、「両大臣は、沖縄海兵隊の岩国移駐は考えていないという意向だった。県民集会などの開催は考えていない」と答えました。
その上で、小松理事は、「今後、国等に新たな行動を起こす必要も生じてくるかもしれないが、その時点で適切な方法を考える」と答えました。
③については、「国へ、これ以上の負担増がないことが日米間で明確になるまでは、『愛宕山開発用地』の売却について留保せざるを得ないと伝えた」と答えました。
その上で、小松理事は、「日本政府の考えは理解したが、アメリカ側の考えを見極めることが重要だ。パッケージ論についても現時点での再検証も必要だ。新年度予算においても、国へ売却をしない内容での編成となる」と答えました。
④については、「米軍再編の白紙撤回について国に求める考えはない。米空母の国内母港化については、見解を述べる立場にない」と答えました。
日本共産党県委員会と県議団は、月曜日に、防衛省中国・四国防衛局にこの問題で申し入れをすることにしています。
この問題について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
申し入れを行う安保廃棄県実行委員会(左端が私)
宇部市政施行90周年写真集「保存版 ふるさと宇部」を大先輩のYさんからお借りしました。
「藤本君は、楠出身だね。船木鉄道の事が詳しく出ているよ」と言われお借りしました。
私たちの時代の船木鉄道は、バス事業のみでした。しかし、吉部に住むものとしては、宇部や厚狭や小野田に出るためにはなくてはならない交通手段でした。
昔、宇部から吉部まで汽車が走っていたことは子どもの頃から聞かされていました。
今のJA山口宇部吉部出張所辺りが、吉部の駅でした。また、万倉のこもれびの里から、興産道路に至る真っすぐな道は、船木鉄道の軌道の後です。
私たちが通った吉部中学校(今の小学校)の前後に、鉄橋の跡があったことも懐かしく思い出します。
この本を読んで、驚いたのは、最終的には萩にまで鉄道をひく計画であったことです。
そして、船木鉄道は、昭和36年10月14日まで運行していたということです。
私が生まれる3年前まで鉄道が走っていたとは驚きです。船木の旧道にも踏み切りがあったのですね。
鉄道が人々の交通手段として生き生きと活動していた時代。そして、中山間地域に人々が多く生活していた時代。
それが、昭和30年代まであったのですね。
私の祖父は、明治33年生まれで、吉部村の職員を長く務め、最後は、助役をしていました。
「大正15年、船木鉄道の吉部開通記念アーチ」の前でという写真がこの本にありました。大正15年頃、祖父は、27才。
後列の左から二人目が祖父のような感じがするのですが、確証はありません。
5年前鬼籍に入った父にも聴けません。叔父や叔母に、今度聞いてみようと思います。
貴重な写真の数々。まさに「保存版」ですね。Yさんありがとうございました。
皆さんの船木鉄道の思い出をお聞かせ下さい。
在沖縄海兵隊の新たな移転先として岩国基地が浮上し、1500人規模を検討してほしいという打診が米側から日本政府にあったという報道が行われました。
二井県知事と福田岩国市長は、13日、玄葉外務大臣と田中防衛大臣に会い、「在沖縄海兵隊の一部が岩国基地に移駐することについては断固反対であり、また、このような事態にならないことが日米間で明確になるまでは、「愛宕山開発用地」の売却についても留保せざるを得ない」とする要望書を手渡しました。
玄葉外務大臣は、「在沖縄海兵隊の岩国飛行場への追加的な移転をお願いするつもりはないので、安心していただきたい」と答えました。
この回答を受け、二井県知事は、「愛宕山開発用地の売却契約については、岩国には、これ以上の負担がないということが明確になるまで留保せざるを得ないと考えているので、これらの日米協議の状況等を見極める必要がある」と述べました。
安保条約廃棄岩国基地撤去山口県実行委員会として、明後日、この問題で県に申し入れを行う予定です。
また、日本共産党中国ブロック事務所として、来週の月曜日に、防衛省中国四国防衛局に申し入れを行う予定です。
県は、国の解釈ではなく、アメリカの意思が確認されない段階で、国に愛宕山を売却しないことが重要です。
また、国は、これ以上の海兵隊の追加移転を岩国に求めないという玄葉大臣の発言を堅持すること。
そして、県も国も、パッケージである米軍再編をアメリカが見直しているので、それぞれ、切り離して進めることはしないようにする事が大切です。
その点では、空母艦載機部隊の岩国移駐そのものも白紙撤回することが求められていると思います。
06年の米軍再編の総決算を行う。それまでは、全ての作業をストップする対応が必要なのではないでしょうか。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
長生炭鉱水没事故70周年犠牲者追悼集会
県・市は遺族の声聴いて!
悲劇描いた合唱「海の墓標」歌う
五日、宇部市文化会館で、長生炭鉱水没事故七〇周年犠牲者追悼集会が行われました。最初に主催者を代表して「長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会」の山口代表が「七〇周年の時が、真の歴史を紡ぎ出し、真の平和をつくり出す時となることを願って止みません」と挨拶を行いました。
遺族の次男である全さんが、当時の状況を証言しました。全さんは、事故があった当時西岐波小学校五年生だったそうです。坑口付近には、家族の「アイゴー(お父さん)」という叫びがこだましていました。全さん家族は、日本で終戦を迎えますが、社宅は追い出され、母親に安定した職はなく、苦労の連続でした。
全さんは、「私は、県庁や市役所で様々な要望を行ってきたが、私たちの望む答えを聞いたことがない」と語ります。
長生炭鉱の歴史を描いた合唱「海の墓標」が歌われました。『悪魔の飽食』を歌う東京合唱団と『海の墓標』をうたう山口合唱団が力強く歌いました。
長生炭鉱の悲劇描いた「海の墓標」の合唱
新春のつどいで石村比例候補があいさつ
十二日、二〇一二年宇部市新春のつどいが市内で行われ、約二〇〇名が集いました。
新春のつどいでは、建設山口宇部支部の肥塚書記長らが来賓あいさつを行い、石村衆院比例代表予定候補らがあいさつを行いました。
左から私、石村比例候補、五十嵐小選挙区候補
二井知事と福田岩国市長が
愛宕山売却留保を国に表明
在沖縄海兵隊の新たな移転先として岩国基地が浮上し、一五〇〇人規模を検討してほしいという打診が米側から日本政府にあったという報道が行われました。
二井県知事と福田岩国市長は、十三日、玄葉外務大臣と田中防衛大臣に会い、「在沖縄海兵隊の一部が岩国基地に移駐することについては断固反対であり、また、このような事態にならないことが日米間で明確になるまでは、「愛宕山開発用地」の売却についても留保せざるを得ない」とする要望書を手渡しました。
玄葉外務大臣は、「在沖縄海兵隊の岩国飛行場への追加的な移転をお願いするつもりはないので、安心していただきたい」と答えました。
この回答を受け、二井県知事は、「愛宕山開発用地の売却契約については、岩国には、これ以上の負担がないということが明確になるまで留保せざるを得ないと考えているので、これらの日米協議の状況等を見極める必要がある」と述べました。
一気
長門市に住む次姉の長女。私の姪の新宅由貴子(以下、由貴ちゃん)が五月にメジャーデビューすることになりました▼子どもの頃から踊りや歌が大好きでした。高校卒業後、大学に進学しようか悩んでいたようですが、音楽スクールに通いながら、県内の様々なCMソングを作ったり、イベントに出演するなどしてきました▼叔父の私として、由貴ちゃんのこれまでの努力が実った結果だと大変喜んでいます。とにかく、子どもの頃から、家族や周りに気くばりが出来て、本当にやさしい由貴ちゃん。叔父さんとしては、由貴ちゃんを心から応援したいと思います。由貴ちゃんもこれからが大変でしょうが、体に気を付けて、日本武道館でライブをするという夢を叶えて下さい▼本誌も彼女の情報を紹介します。CDがリリースされましたら、皆さんも応援よろしくお願いします。
長門市に住む次姉の長女。私の姪の新宅由貴子(以下、子どもの頃から呼んでいる由貴ちゃんとします)が今年5月にメジャーデビューすることになりました。
詳しくは、11日の山口新聞(県西・北部版)を参照して下さい。
子どもの頃から踊りや歌が大好きでした。高校卒業後、大学に進学しようか悩んでいたようですが、音楽スクールに通いながら、県内の様々なCMソングを作ったり、イベントに出演するなどしてきました。
妻は、いくつかのイベントに参加していますが、実は、私は、彼女の歌を聴いたことがありません。
CDがリリースされれば、早速聴きたいと思います。
叔父の私として、由貴ちゃんがメジャーデビューすることなど想像ができません。
しかし、由貴ちゃんのこれまでの努力が実った結果だと大変喜んでいます。
とにかく、子どもの頃から、家族や周りに気くばりが出来て、本当にやさしい由貴ちゃん。
叔父さんとしては、由貴ちゃんを心から応援したいと思います。
由貴ちゃんもこれからが大変でしょうが、体に気を付けて、日本武道館でライブをするという夢を叶えて下さい。
このブログで、彼女の活動の様子をこれからも紹介したいと思っています。
CDがリリースされましたら、皆さんも応援よろしくお願いします。
正月に実家で撮影(左から二人目が由貴子です)
本日、2012年宇部市新春のつどいが宇部市総合福祉会館で行われ、約200名の市民が集いました。
新春のつどいでは、建設山口宇部支部の肥塚書記長、山口民医連三藤副会長が来賓あいさつを行いました。
その後、五十嵐ひとみ衆院山口三区予定候補、石村衆院比例代表予定候補があいさつを行いました。
私は、地元県議・市議を代表してあいさつを行いました。
あいさつの内、米軍再編問題の部分の要旨を掲載します。
・・・
先月まで、岩国基地問題で、二井知事と対決していました。それは、普天間基地移設の見通しが立たないうちに、空母艦載機の移駐のみを切り離して進めることは認められない」と言う知事が、空母艦載機移駐を前提に家族住宅をたてるための用地として愛宕山開発用地を国に売ると表明したからです。しかし、ここに来て二井知事とも一点共闘しなけらばならない情勢です。2月8日に、日米両政府が、「在日米軍再編に関する日米共同報道発表」を行いました。これまでは、沖縄海兵隊1万8000人のうち、8000人をグアムに移転する計画を、グアムに4500人しか移転しない計画に変えようというのです。ならば、沖縄海兵隊3500人の新たな移転先を決めなければなりません。その移転先の一つが、岩国基地で1500人規模の移転を検討してほしいという要請が米側から日本にあったという報道が行われました。
これまでの米軍再編計画で、岩国基地には、厚木基地から空母艦載機59機と隊員と家族をふくめ4000人の移転が計画され、普天間から空中給油機12機の移駐が計画されています。
「これ以上の負担増は認められない」とする二井知事は、明日、玄葉外務大臣と田中防衛大臣に会い、この要望書を手渡します。この要望書には、「報道されているような在沖縄海兵隊の一部が岩国基地に移設することについては断固反対であり、また、このような事態にならないことが日米間で明確にされるまでは『愛宕山開発用地』の売却についても留保せざるを得ない」と書かれてあります。この点では、二井知事はあっぱれです。
二井知事と私たちが共闘しなければならないほど、野田政権は、自民党以上に自民党的な政権だということだと思います。
・・・
2部では、董童子の太鼓など、様々な出し物で賑わいました。