釜山に行く船の中だったでしょうか、ということは、26日。
右手の親指の爪の内側が、数ミリ割れました。とっさに、その爪を自分で剥いでしまいました。
ここ数日、日増しに痛みや腫れの症状が顕著となり、今日、近所の整形外科を受診しました。
先生曰く「膿がたまっていますね。切開しましょう」。
麻酔により、痛くはなかったのですが、膿を出す簡単な手術を受けました。
今までは、カットバンを貼って、風呂に入ったり、炊事をしたりしていたのですが、今日から不自由です。
この数日の不衛生が、今日の症状を生んだわけですが。
「たかが爪、されど爪」。健康のありがたさを実感します。
怪我をした時は、少しゆっくり生活しろと体が言っているのかも知れません。
今週は、少しゆっくり過ごしたいと思います。
明日、妻が帰省します。妻に今日たまった食器は洗ってもらいます。
家族の有り難さも実感します。
パソコンのキーも少々打ちにくいですが、がんばりました。
大袈裟ですが、親指の爪の内側を負傷しました。
今日は、私が通っている空手道場の日帰り春合宿に参加しました。
9時30分に道場に集合し、道場近くの松江神社でランニングやダッシュなどのトレーニングをしました。
今日は、雲一つない晴天で、春風の中、気持ちよくトレーニング出来ました。
道場に帰り、昼食を食べ、午後からは、型などの練習をしました。
難しい型が多く、きょろきょろ回りを見ながらでしたが、勉強になりました。
練習を終え、湯本温泉の旅館に移動し、温泉で汗を流し、皆で食事をしました。
薫風の中、いい汗をかき、いい一日でした。
明後日あたり筋肉痛にならないことを祈ります。
下関地方気象台は、今日、サクラ開花宣言をしたようです。
我が家のサクラもほころびはじめました。
我が家のサクラがほころびはじめました
我が家の杏は、今が満開です。
長男誕生記念に植えた杏が今満開です
今年の冬はことのほか寒かったですが、ようやく春がやってきました。
そして、今日、各小中学校では離任式が行われました。
私は、西宇部小学校の離任式に参加しました。
退職される先生が三人、転任される先生が五人おられました。
一人一人の先生の子どもたちへのお別れの言葉が私の心にも沁み込みました。
西宇部小学校を転任・退職される先生方、お世話になりました、ありがとうございました。
別れの春です。同時に出会いの春です。
離任式が行われた体育館はしばし休憩ですが、来月9日には、小さな仲間を迎える入学式が行われます。
新しい先生も赴任され、新しい年度がはじまります。
さて、子どもたちと妻は、妻の実家である大阪に集団疎開です。
満開の杏をめでながら今日は、一人きりの夜です。しばし、静かに読書の春を満喫したいと思います。
中国新聞は、米海軍新鋭電子戦機EA18Gグラウラー6機が、24日、米軍厚木基地に配備されたと報道しました。
この部隊は、原子力空母の艦載機で2014年までに米海兵隊岩国基地へ移転される計画です。
米軍再編計画は、厚木基地の空母艦載機部隊59機を岩国基地に移転させようとするものです。
空母艦載機部隊59機の内、電子戦機は、4機の予定でした。厚木基地の配備された電子戦機が6機なら、空母艦載機部隊は61機になるのでしょうか。
二井知事は、「これ以上の負担増は認められない」としており、厚木基地に電子戦機が6機配備されたことは、岩国基地移設に直結する重大問題です。
私は、先日、この問題の認識を県担当者に質しました。
県担当者は、「厚木基地からの空母艦載機部隊の岩国基地移転は59機であり、電子戦機は、4機だという認識だ」「厚木基地に電子戦機が6機配備されたことを受けて、中国四国防衛局に確認した。その結果、①艦載機部隊の移設計画に変更はない②岩国基地では、電子戦機4機を前提に受け入れ準備を行っている、との回答だった」と答えました。
戦術電子飛行部隊が136から141に交代したことを受けて6機となったということです。この戦術電子飛行部隊は、第五航空団に属していることに変わりはありません。
第五航空団が空母艦載機部隊といわれるものです。第五航空団の機数増がなし崩し的に、空母艦載機部隊の機数増にならないように、引き続き、動向を注視していきたいと思います。
この問題で、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
次男の小学校卒業記念旅行として釜山に行ってきました。
旅行の様子をお伝えします。
26日の月曜日。下関国際ターミナルビルに予定より早く到着しました。
初めてのターミナルビルでしたし、時間があったので、あちこち見て回りました。
韓国・光陽行きフェリー乗り場の窓口に「運休」の文字を見て淋しい想いがしました。
国際ターミナルビルが、東アジアの方々の笑顔が満ちるようになるように私も力を尽くしたいと思いました。
さて、関釜フェリーには、18時頃乗り込みました。
左側がターミナルビル。右側が関釜フェリー
早くも韓国の方々の熱気を感じました。
60代以上の韓国の女性の方々が明るい服に身を固め、集団で元気に話をされている姿に圧倒されました。
私たちが宿泊した部屋は、日本人ばかりの相部屋でしたが、自己紹介は程ほどで、静かに釜山に向いました。
午前2時には、釜山港沖に到着したようです。錨をおろす音で目を覚ましました。
釜山は快晴で、朝日を拝むことが出来ました。
初めての釜山の朝は、美しい朝日でした。
予定通り、27日火曜日、釜山に8時頃上陸することが出来ました。
手続きを済ませ、ツアーのバスに。南さんというやさしい笑顔のガイドさんが気持ちよく一日を過ごさせてくれました。
最初に訪ねたのは、龍頭山公園。120mのタワーから釜山が一望出来ます。
釜山広域市の人口は、370万人。韓国第二の都市です。
下関市の10倍以上の人口を抱える街並みに圧倒されました。
釜山がこんな大都市だとは知りませんでした。
次に、ロッテホテルの免税店で買い物。
その前に、3万円を39万9千ウォンに交換しました。
息子がウォンを持って嬉しそうです。
円より10倍以上になったウォンを手に上機嫌で買い物をしましたが、やはり消費して行くお金は同じですね。
私は、カバンを、息子はTシャツを買いました。
続いて、国際市場で、皆で昼食。
私たちは、息子の大好物石焼ビビンバを食べました。熱々のビビンバに大満足。
熱々のビビンバ。本場の味は最高でした。
今回のツアーの息子とのテーマは、韓国の食でした。
焼肉を食べようと自由時間に二人で「トンマル」という店に行きました。
3人分を二人で満腹になるまで食べ尽くしました。
自由時間に二人で食べた焼肉です。満腹です。
韓国の焼肉は、キムチやサラダなど、様々な野菜類が一緒に出てきます。
とてもヘルシーだと感じました。
その後は、国際市場で、家族やそれぞれの知人へのお土産を買いました。
手前の緑の服が次男。国際市場を散策しました。
国際市場周辺は、韓国国内の人、私たち日本人やアジアの人、欧米の人などなど、平日にも関わらず、ごった返していました。
東京や京都などでも平日、これだけの賑わいがある地域があるでしょうか。
観光地としてとても賑わっていることを感じました。
様々な露天の店も数多くあり、日本の1960年代=映画のオールウェイズの時代の懐かしさを感じました。
多くの露天が市場の中央に陣取っていました。
同時に、韓国の今も感じました。道路には高級車が走り、若者だけでなく年配の人たちも携帯電話は全てスマートフォンでした。
釜山市街地の大きな交差点。高級車も多いです。
韓国の勢いを実感する釜山滞在となりました。
下関に向けて、関釜フェリーには18時頃乗り込み、一日の疲れで、20時頃に就寝しました。
今朝の8時に無事、船は下関港に到着。
今朝、無事に薄曇りの下関港に帰ってきました。
薄曇りでしたが、釜山より少し暖かい下関に上陸してほっとした二人でした。
釜山への小旅行でしたが、日本が客観的に観れるのは、海外旅行のいいところですね。
今度は学生時代の友人たちと再び釜山に来たいなあと思いました。
今度は、韓国の戦跡も訪ねたいと思います。
近くて遠かった釜山に初めて行くことが出来て、私も次男も幸せな三日間でした。