妻の友人からコーヒーの小瓶いっぱいのひまわりの種を半年以上前にいただきました。
コーヒーが入っていた小瓶いっぱいのひまわりの種
最近、この事を思い出し小瓶を引き出しから引っ張り出したところ、我が家の小学生二人が、庭に植え始めました。
我が家の庭は、20坪切る面積です。その中に、桜、橙、杏、キウイ、ツツジなどの木が植えられています。その間の僅かな面積に、小学生たちが、せっせとひまわりの種を植えているのです。
昨日は、小6の三男が、今日は、小3の長女が。
小3の娘がひまわりの種を我が家の庭に植えています。
ひまわりが順調に成長した場合、我が家の庭はどうなるのでしょうか。
その様子は、本ブログで紹介していくことにいたしましょう。
小瓶の種は、まだまだ残っています。もう植える土地が我が家にはありません。
小学生はどうするのでしょうか。
吉部の実家に植えれば解決しますね。
我が家のひまわりが一つでも花を咲かせますように。
その事を今は願うばかりです。
ここ最近の重点は、当然、参議院補欠選挙の取組みが第一。
次に、始めたばかりのフェイスブックなどのSNSの更新作業。
その間に、2013年本屋大賞第一位、百田尚樹「海賊とよばれた男」を読んでいます。
今、上巻の270ページ辺りです。
この本は、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしたドキュメント小説。
今、第二章の「青春」を面白く読んでいます。
福岡から神戸高商に入学した鐡造。
卒業後、小麦を扱う小さな商店に就職。
その間にも父が破産するなどの出来事が。
その後、起業するが、様々な困難に阻まれます。
廃業を決意しますが、支援者に支えられながら活路を切り開いていきます。
とにかく諦めない鐡造の姿勢に頭が下がります。
そして、冒頭記述されいた終戦直後を表した第一章「朱夏」に、鐡造は、従業員を馘首しなかったとあります。
従業員を家族のように扱い続けた鐡造の姿に、今の経営者は学ぶべきだと痛感しました。
明治・大正・昭和、経営者として生き抜いた鐡造を活写した百田さんの筆致が冴えた本作。
グイグイ読み進んでいます。
「海賊とよばれた男」を読まれた皆さん感想をお聞かせ下さい。
宇部市西岐波床波地区は、台風などで浸水被害を度々受けてきました。
私は、床波漁港東側から白土海水浴場までの間の海岸線に消波ブロックを設置してほしいとの要望を受けました。
消波ブロックの設置が要望されている床波の海岸線
今朝、荒川市議と一緒に現場を調査し、市役所に要望を届けました。
市水産振興課の担当者は、「この地域の海岸線への消波ブロック設置は、昭和59年から取り組んでいる。これまでは、床波漁港西側に設置してきた。来年度以降は、床波漁港東側についても、消波ブロックを設置していきたい。」と答えました。
現地で、ブロックを作成し、約3年放置をし、設置されます。要望のあった箇所に実際に消波ブロックが設置されるには、早くても数年かかりますが、可能な限り早く設置されるように引き続き要望していきたいと思います。
皆さんの地域の要望を引き続き、藤本にお寄せ下さい。
今日は、美祢地域で、街頭宣伝を行いました。
朝方は天候が悪かったのですが、午後は、天候も良く、まさに春爛漫です。
新緑のシャワーをたっぷり浴びることができました。
先程、娘を学校の学童保育所に迎えにいきました。
校地が広い西宇部小学校には、様々な植物があります。
最初の写真は、藤の花です。(少しピンボケですが)
近くによるといい香りがしました。
薄紫の藤の花です。
真っ白の藤の花です。
次の写真は、つつじです。きれいですね。
つつじも競い合うように咲いています。
桜は散りましたが、つつじを始め、野山の花々が一斉に咲き出しました。
季節も政治も春爛漫といきたいと願う今日この頃です。
山田洋次名作映画DVDマガジンVol.「息子」を観ました。
この映画で父親役を演じた三國連太郎さんが、14日、90歳でおなくなりになりました。
三國さん出演の新しい映画を観ることができないことがとても残念です。
「息子」が製作されたのは1991年。三國さんが68歳の時の作品です。
88年から「釣りバカ日誌」シリーズが始まりました。三國さんが65歳からのシリーズだったのですね。
私がこの映画を観た当時は、26歳。市会議員になったばかりの頃で、当時立候補に反対していた父との関係のことがダブリ、複雑な想いでこの映画を観ていたことを思い出します。
息子の立場で観ていた当時とは違って、4人の子どもが思春期を迎えた今、この映画を観る視点は、父親の立場に変わっていました。
次男の下宿で、息子の彼女を紹介された父が、真夜中眠れずに、ビールを飲んで歌い出すシーンに、涙が滲みました。
父は、次男に「いつまで面倒かけるんだ」と口癖のようにいいます。
しかし、父親とは、面倒かける子どもほどかわいいものですよね。
私にも心あたりのある子どもがいますが、今は内緒にしておきましょう。
三國さんは、赤旗新聞に度々登場し、お孫さんを通していつも語る言葉がありました。
「この子が大きくなった時、日本はどうなっているのか空恐ろしい気がします。あれだけの犠牲を出して構築した平和憲法だけは、守っていかなきゃいかんと思います」
三國さんは天国で、憲法「改正」の要件を緩和しようとする政府の動きなどをどう観ておられるでしょうか。
「息子」の中でも三國さんが「戦友会」に参加するシーンがあります。
「あれだけ犠牲を出して構築した平和憲法」の重みを知っている三國さんの死は重ね重ね残念です。
残った私たちは、三國さんの遺志を継ぐ決意を固める時だと思いました。
「息子」は心に沁みました。三國さんありがとうございました。安らかにおやすみください。