三上智恵監督の映画「標的の島 風かたか」を防府市公会堂で観ました。
三上監督の「標的の村」「戦場ぬ止み」に続いて三上作品の鑑賞制覇です。
「風かたか」とは、「風よけ」「防波堤」を意味する沖縄県の方言です。
三上監督はこの映画の意義を映画パンフレット「ディレクターズ・ノート」でこう書いています。
「できることなら、世間の強い雨風から我が子を守ってやりたいというのが親心。でも、どうやったら日米両政府が沖縄に課す残酷な暴風雨の防波堤になれるというのか。しかし勝算はなくても、沖縄県民は辺野古・高江で基地建設を進めるトラックの前にたちはだかる。沖縄の人々は、未来の子供たちの防波堤になろうとする。一方で日本という国は今また、沖縄を防波堤にして安心を得ようとしている。中国の脅威を喧伝しながら自衛隊のミサイル部隊を石垣、宮古、沖縄本島、奄美に配備し、南西諸島を軍事要塞化する計画だ。その目的は南西諸島の海峡封鎖。だが、実はそれはアメリカの極東戦略の一環であり、日本の国土も、アメリカにとって中国の拡大を封じ込める防波堤とみなされている。この映画はそれらの三つの「風かたか」=防波堤を廻る物語である。」
アメリカの中国の拡大を封じ込める防波堤とは、映画のパンフレットの別の所にこう書かれてあります。
「なぜ今、先島列島を軍事要塞化するのか?それは日本列島と南西諸島を防波堤として中国を軍事的に封じ込めるアメリカの戦略『エアシーバトル構想』の一環であり、日本を守るためではない。」
昨夜、NHKスペシャル「沖縄と核」が放映されました。
日本がアメリカに返還される前、沖縄には最大で1300発の核兵器が貯蔵されていました。
キューバ危機の際には、核爆弾を発射する基地が沖縄本土に建設されました。
当時、沖縄の核弾薬庫に従事していた元兵士が「キューバ危機の際には、核戦争にいつでも投入できる態勢だった。標的は中国だった。」と語りました。そして、元兵士は「もし、沖縄から核爆弾が発射されると沖縄は終わると思った。ソ連が沖縄を標的にしない訳がない。」と語りました。
アジア太平洋戦争では、沖縄は本土決戦の捨て石となり、沖縄は、連合軍の標的になりました。
米ソ冷戦の時代には、沖縄に核が集中し、沖縄は、ソ連側の標的になりました。
そして、今、中国を軍事的に封じ込めるアメリカの軍事戦略「エアシーバトル構想」により、先島諸島にミサイル基地が建設され、沖縄は、中国側の標的にされようとしています。
映画の中で、石垣島で、自衛隊ミサイル基地建設推進派の方が、反対派の住民に「ミサイル基地が建設されると、なぜ、石垣が標的になると考えるのか。」と反論する場面がありました。昨夜の米ソ冷戦時代に核爆弾の貯蔵庫に従事した元兵士の発言を聴いて戦争の道理が分かりました。
敵からみれば、自分たちを討つ基地を狙うのは当然です。
映画のパンフレットに、「『標的の島』とは、沖縄のことではない。それは今あなたが暮らす日本列島のこと。」とありドキリとしました。
アメリカの「エアシーバトル構想」=中国封じ込め作戦でアメリカが防波堤にしようとしているのは、先島諸島や沖縄本島、奄美諸島だけではありません。大国中国を封じ込める防波堤には、日本列島が含まれているのです。
そして、私が住む、山口県には、海兵隊岩国基地があります。空母艦載機部隊が移駐して東アジア最大の基地になろうとしています。中国などから観れば、まさに岩国は標的の基地の一つになることは明らかです。
この映画を観て、私は改めて、未来の子どもたちの防波堤になろう「風かたか」になりたいと思いました。
日米両政府が沖縄に課す残酷な暴風雨から子どもたちを守ろうと今日も運動を続けている沖縄の人たちと連帯して力を尽くしていこうと思いました。
沖縄を知ると日本と世界が観えてきます。
これからも沖縄から様々なことを学んでいきたいと思いました。
三上監督、今回も私たちを励ます映画をありがとうございました。
闘いは続きます。三上監督には、新しい沖縄を伝え、私たちを励ます映画を製作していただきたいと思います。
「標的の島」シリーズ第4作に期待しています。
11月には、姪の結婚式で沖縄に行きます。少しの時間ですが、沖縄の今を学んできたいと思います。
映画「標的の島 風かたか」をご覧になったみなさん感想をお聞かせ下さい。
大分空港に10日間滞在した米海兵隊普天間基地所属のMV22オスプレイが岩国基地に移動しました。
9日土曜日のしんぶん赤旗日刊紙の報道を引用します。
「大分空港に緊急着陸し、10日間にわたり整備を続けていた米海兵隊普天間基地所属のMV22オスプレイは8日午前10時35分、大分空港を離陸し、10時51分に米軍岩国基地に着陸しました。同機は前日の7日にエンジンから多量の白煙を上げており、十分な説明もない米軍に批判の声があがっています。同機は着陸の約1時間前からエンジンを始動させ、ヘリコプターモードに切り替えて整備士が機体回りを点検した後、爆音を上げて飛び立ちました。」
オスプレイは、昨日、岩国基地から普天間基地に飛び立ちました。
今朝の読売新聞の報道を引用します。
「大分空港に8月29日に緊急着陸した米軍の輸送機オスプレイは9日、所属する米軍普天間飛行場に帰還した。」「同機は米軍岩国基地から普天間飛行場に向かう途中、大分空港に緊急着陸。着陸後、右エンジン付近から白煙と炎が上がった。同空港でエンジン交換作業などを行い、8日に岩国基地に移動していた。」
今回大分空港に緊急着陸したオスプレイは、今年6月に米軍伊江島補助飛行場に緊急着陸し、大分への緊急着陸の前日に、岩国基地で白煙を上げたことが分かっています。
このオスプレイは、整備不良のまま、日本中を飛行していたことになります。
そして、日米両政府は、トラブルの原因について何も説明しないまま、岩国基地を経由して普天間基地にこのオスプレイを移動させました。
極めて住民の命を軽視する対応と言わなければなりません。
オスプレイの国内での飛行の停止と、オスプレイの普天間配備撤回が求められていると思います。
大分空港に緊急着陸したオスプレイが岩国基地を経由して普天間基地い帰還しました。
みなさんはこの問題をどうお考えですか。お教え下さい。
本日、山陽小野田市で日本共産党大演説会が行われ、約150名の市民が参加しました。
この秋たたかわれる、山陽小野田市議選に立候補を予定している中島・山田市議と寺岡さんと、阿武町議選に立候補する米津さんと小選挙区山口3区予定候補の私を時田北南地区委員長が紹介しました。
そして、私と、山陽小野田市議選の3人の候補が訴えました。
メイン弁士は、辰巳孝太郎参議院議員です。
山陽小野田市で訴える辰巳孝太郎参議院議員
辰巳議員は、「日本共産党の躍進で、参議院の予算委員会の理事を務めている。予算委員会の運営に直接関われるようになったのも日本共産党の躍進の力だ。」と切り出しました。
辰巳議員は、米朝問題について、「世界は、二国間の直接対話を求めている。直接対話を否定する日本政府の姿勢は、世界の流れに逆行している」と訴えました。
辰巳議員は、日本共産党国会議員団の森友・加計問題追及委員会の責任者。これらの問題を丁寧に訴えました。
辰巳議員は、森友問題について「財務省は、深さ9.9メートルまで大量のゴミがあることを理由に、大幅な国有地の値引きを行った。しかし、森友学園が行ったボーリング調査の資料を国の機関に観てもらったら、3メートル以下に埋設物はないという結果だった。財務省が森友学園に公有地を大幅値引きした根拠は崩れている」と訴えました。
辰巳議員は、加計学園について「安倍首相は、この間、加計孝太郎氏と食事やゴルフを15回行っている。安倍さんは国会で、『加計さんにおごってもらったことがある。』と答弁している。安倍さんが加計さんが国家戦略特区で獣医学部を新設したいということを知っていて、食事の提供を受けたら、大臣規範に違反して総理大臣を辞職しなければならない事態になるので、これを回避するために、今年1月20日に知ったと答弁している。このような答弁は認められない。」と訴えました。
辰巳議員は、来る総選挙について「参議院選挙では、32の一人区で11人の野党統一候補が当選した。衆議院の280の小選挙区で野党統一候補が実現できれば、戦争法を廃止できる国会をつくることができる」と訴えました。
最後に辰巳議員と候補者が参加者の激励に応え手を取り合って万歳をしました。
辰巳議員を中心に万歳をする候補者(右端が私)
私が、訴えた要旨は以下の通りです。
山陽小野田市の演説会で訴える私(3区候補)
・・・
日本共産党大演説会にご参加の皆さん衆議院山口3区予定候補の藤本一規です。私は、現在、宇部市立厚南中学校のPTA会長を務めています。今日は、秋季大運動会です。先程、PTA会長としての挨拶を行いました。
今年の運動会のスローガンは「限界突破~自分の精一杯をこえて~」です。力の限り競技に挑む生徒たちに励まされてきました。
「安倍9条改憲No!憲法生かす全国統一署名」がスタートしました。
19人の発起人の一人の瀬戸内寂聴さんが、明日付けのしんぶん赤旗日曜版のインタビューに答えておられます。瀬戸内さんが岩手県で法話をした後、中学生の男の子が手を上げて「ぼくは死にたくありません」と質問しました。瀬戸内さんが「どうして」と聞くと、男の子が「このままでいけば、憲法9条が改定されそうです。するとぼくは戦争に行かされる。それは嫌です。日本はどうなるのでしょう」と聞きました。瀬戸内さんは、「あなたの言う通りよ。あなたが戦争に行きたくないなら、嫌だと胸を張って言いなさい。憲法はまだ生きています。」「でも、あなたの不安は正しい。日本の政府は戦争のできる憲法に改定しようとしています。憲法が改定されないように、たたかいましょう。一緒に頑張ろうね」と話しました。
今月の23日には、私が事務局長をしている総がかり行動うべ実行委員会主催で精神科医の香山リカさんの講演会を行います。香山さんも「全国統一署名」の発起人の一人です。香山さんは、戦争法が強行された時、「私はもう誰にも遠慮せず、何にも忖度せず、自由と民主主義のためにジブンができるあらゆることをやっていこう」と決意したと述べています。
安保法制に反対するママの会のスローガンは「誰の子どもも殺させない」です。私は、4人の子どもを持つ父親として、PTA会長として、誰の子どもも殺させないために、安倍改憲NO!の声を山口3区から国会に届けていくために力を尽くします。どうか総選挙で藤本へのご支援お願いします。
当面する山陽小野田市議選、阿武町議選の日本共産党候補の全員当選のために、皆さんの先頭に立って頑張る決意を述べて私の挨拶を終わります。
・・・
暑い中、ご参加いただきました皆さんに感謝いたします。
当面する山陽小野田市議選で日本共産党の候補にご支援をお願いいたします。
安倍首相の国政私物化をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
沖縄県出身の作家である池上永一さんの最新刊「ヒストリア」を読み始めました。
本の帯の文章を紹介します。
「第二次世界大戦の米軍の沖縄上陸作戦で家族をすべて失い、魂(マブイ)を落としてしまった知花煉。一時の成功を収めるも米軍のお尋ね者となり、ボリビアへと逃亡するが、そこも楽園ではなかった。移民たちに与えられた土地は未開拓で、伝染病で息絶える者もいた。沖縄からも忘れさられてしまう名か、数々の試練を乗り越え、自分を取り戻そうとする煉。一方、マブイであるもう一人の煉はチェ・ゲバラに出会い恋に落ちてしまう・・・。果たして煉の魂の行方は?著者が20年の構想を経て描破した最高傑作!」
私が読んでいるのは、煉が「第二次世界大戦の米軍の沖縄上陸作戦で家族をすべて失」う場面です。
この小説の冒頭、米軍の沖縄上陸作戦の状況が文学に昇華して見事に表現されています。
米軍の沖縄上陸作戦といっても三段階あったのですね。
まずは、空襲。鉄の雨が降る様子を池上さんはこう表現しています。
「空襲は回遊魚の産卵に似ていた。火薬を含んだ卵塊を抱えて空を泳ぐ魚の群れが一斉に産卵する。命を増やすか殺すかの違いはあるが、ある種の営みを感じさせる。」「
次に、軍艦からの艦砲射撃。
艦砲射撃の様子を池上さんはこう表現します。
「海が黒い緑に囲われたのを見た。数千の軍艦が堤防を作るように幾重にも島を囲んでいるではないか。」「艦砲射撃の勢いは弥増す。あの日見た光景の横倒しの世界だった。火が壁になって村をなぎ倒していく。回遊魚の産卵を彷彿とさせた空襲は、ほんの小手調べであった。アメリカ軍の本陣は海にいたのだ。途切れなく炸裂する砲弾は地鳴りになって大地を揺さぶり続けた。」
そして、戦車の上陸です。
池上さんはこう表現しています。
「艦隊は消えることもなく、無数の上陸艇を放って島を目指していた。彼らは上陸部隊を無傷のまま投入するために、今まで空襲と艦砲射撃を繰り返していただけだったのだ。」「浜に上陸してくるアメリカ兵たちこそ、戦争の主役であった。やすやすと浜に上陸したアメリカ軍は戦車部隊を投入し、無数の歩兵たちが砂浜を黒く染めていく様を茫然と眺めた。私は戦争は今から本番で、前座の賑やかしが終わったことだけと理解した。私はたった数日の戦争だけで壊れてしまったのに、これ以上どうやって自身を保っていたらいいのかわからなかった。」
対する日本兵に池上さんは手厳しい批判の筆を振るいます。
「戦況をより悪化させたのは日本軍のせいだ。どう見ても劣勢なのがわからないのだろうか。海から一万発の砲弾が飛んできたら、一発撃ち返すのが精一杯だ。やがて十万発に一発の反撃になり、百万発に一発になり、一千万発に一発と、負け戦を徒に長引かせている。降伏さえすればこの地獄は終わるのに、どこに勝機を見いだしているのかさっぱりわからない。」「世界中を敵に回したような数の軍艦を相手に降伏しない馬鹿がどこにいるのだろうか。子供でもわかる論理だ。否、獣でさえ数で劣勢と知るや尻尾を巻いて逃げていく。しかしそれでも戦争を続けるのが人間というものなのだ。もはや勝敗など関係なく、戦争を続けることが目的化していた。初期にあった国民の生命と財産を守るという大義名分はどこにもなく、ほとんどの人が財産を取り上げられ、命を差し出してまで戦争を続けさせられた。」
池上さんは、1970年生まれで戦争体験は当然ありませんが、沖縄県出身の作家として、『鉄の暴風』といわれる激しい戦闘が沖縄で展開された事実の描写は秀逸です。
県民の4名に一人が犠牲になり、地上は山の形が変わるほどに破壊された沖縄の想いをこの作品が具現化しています。
今日、沖縄戦は、本土決戦をひきのばすための『時間稼ぎの捨て石作戦』だったと言われています。
まさに「戦争を続けることが目的化」された沖縄戦だったことがこの作品でよく理解できました。
アメリカは再び沖縄周辺を「バトルフィールド」にしようとしていると言われています。
池上文学で沖縄戦の実情を追体験したいと思います。
600ページを超す大作「ヒストリア」を最後まで読みたいと思います。
ひとえに「戦争を終わらせる」ために。
池上永一ファンの皆さんお勧めの作品をお教え下さい。
NHKドラマ「植木等とのぼせもん」が先週から始まりました。
このドラマの原案である「のぼせもんやけん」は入手できませんでしたが、小松政夫さんの近著「時代とフザケた男」を読みました。
NHKドラマは、小松政夫さんが、植木等さんの付き人兼運転手になった所から物語は始まります。
「時代とフザケた男」に掲載されている「小松政夫の仕事略年表」を見ると、小松さんが植木等さんの付き人兼運転手になったのが、1964年。ちょうど私が生まれた時です。
小松さんは、翌年、バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」に出演し、芸能生活をスタートさせ、芸歴50年を越えました。
私たちの世代で、小松さんと言えば、バレエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」での小松さんです。
先述した年表によると「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」が放映されたのが、1976年です。
私が小学校6年生の頃にスタートした番組でした。小松さんが30代中盤の頃ですね。
この番組でヒットした「電線音頭」「しらけ鳥音頭」は今でも私の脳裏から離れません。
「チュチュんがチュン 電線にスズメが三羽止まってた それを猟師が 鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いて 食ってさ ヨイヨイヨイヨイ おっとっとっと」
「しらけ鳥 飛んでゆく 南の空へ みじめ みじめ しらけないで しらけないで しらけたけれど みじめ みじめ~」
小松さんは、現在75歳。「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」以後も、数々のバライティ―や映画・ドラマで大活躍です。
小松さんは、植木等さんに初めて会った時の事をこう書いています。
「初めて会う植木のオヤジはね、グリーンとホワイトのタテジマの、カシミヤのカーディガンを着てた。『君が松崎くんか、植木等です』光ってるの。優しいオーラがカッチョよくっね。ああこの人のためならなんでもしよう!って思いましたよ。」
小松さんのターニングポイントだったんですね。
ドラマ「植木等とのぼせもん」の中で、植木等演じるのが、山本耕史さんです。植木さんのお父さんを演じるのは、伊東四朗さんです。伊藤さんは、「ベンジャミン伊東」として、小松さんと一緒に「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に出演した方です。
そして、小松さんが、淀川長治さんのモノマネで、登場します。
伊東四朗さん演じる植木等さんのお父さんは、真宗の僧侶でもあった方です。
植木さんが「スーダラ節」を歌うことになった時、お父さんが、「あの歌詞には、親鸞の教えに通じるものがある」というシーンが1回目のドラマに出てきました。
「わかちゃいるけど、やめられない。ここのところが人間の弱さを言い当てている。親鸞の教えに通じる。」
植木等さんは、「夢を食いつづけた男-おやじ徹誠一代記」を書いています。
この本の後半部分に、スーダラ節は親鸞の教えという部分が出てきます。
私は、20代の頃、植木さんが書かれたお父さんの人生をかかれた本に出会いました。
植木さんのお父さんの徹誠さんは、戦前は、労働運動、水平社運動に関わり、治安維持法違反で逮捕・投獄されていました。
戦後は、民商運動に参加されました。日本共産党員でもありました。そして、戦前・戦後と浄土真宗の僧侶をされていた方でもあります。
植木さんは、お父さんの人生を冒頭に「支離滅裂だったと言うしかない」と書いていますが、表題は「夢を食いつづけた男」としているところは、お父さんへの敬愛を感じます。
社会変革運動に深く関わりながら浄土真宗の教えとともに歩まれた植木徹誠さんの人生を私の人生とも重ねています。
こんな想いで、伊東四朗さん演じる植木さんのお父さんを応援している私がいます。
とにもかくにも、NHKドラマ「植木等とのぼせもん」をこれからも観ていこうと思います。
そして、コメディアン小松政夫さんをこれからも応援していきたいと思います。
NHKドラマ「植木等とのぼせもん」の感想をお聞かせ下さい。
念仏者9条の会編で2010年に刊行された「『三悪趣』からの解放-憲法9条・20条の持つ意味」を読みました。
念仏者9条の会は、戦後60年の2005年に発足しました。
先日亡くなられた初代の世話人代表であった信楽峻麿さんが冒頭で、「今日の本願寺教団が、宗教的にこれほどまでに凋落した原因はどこにあるのか。それについてはいろいろ要因が考えられる。現代の社会が過疎化、世俗化したことも大きな原因であろう。しかし私は、この本願寺教団がかつてのアジア・太平洋戦争において、全面的に協力したことに最大の原因があると考える。本願寺教団は、この戦争がはじまるやいなや、仏教徒は正義のためには戦争をしてもよいといい、この戦争を聖戦といって全面的に賛成した。そして門主は、『念仏の声高らかに各々その職務に挺身し、あくまで驕敵撃滅に突進すべし』と教示し、真宗学者たちは、阿弥陀仏と天皇は同じである。親鸞の自然法爾とは日本の神ながらの道のことである。天皇の命令に背くものは往生できない。真宗の教えは『教育勅語』におさまる、などといいたてた。」「もしも本願寺教団が、このような教言をまっとうに受けとめて、かつての戦争に際してその反対を表明していたならば、そのことは当時の状況の中では、最後まで貫徹できなかったとしても、戦後の真宗信者、そして一般の大衆は、そのことを通して、仏法、そして親鸞の真実性に深く認識し、また本願寺教団の存在意義を高く評価して、この真宗の教えに心から敬意を評したことであろう。そしてまた、本願寺教団の戦後の歴史は、それによって大きく変わったにちがいない。」と書いています。信楽先生の諫言を本願寺教団並びに私たち関係者は深く耳を傾けなければならない今だと思います。
表題である「『三悪趣』からの解放」の意味について、大谷派僧侶の根津茂さんの小論から引用します。
「『三悪趣』とは『地獄、餓鬼、畜生』の世界です。戦争と殺戮は地極道の最たるものでしょう。貧困や飢餓など生活苦は餓鬼道です。世界の発展途上国の状況であるのみならず、この日本において、差別が拡大し、富めるものがますます富む中で、ワーキングプアの人たちや派遣切りになった人など、その日の糧すらない人が続出している状況は、まさに餓鬼道といえます。では、畜生道とは何でしょうか。他者の存在を認めず、抑圧している状態、つまり人間性が見失われている社会が畜生道であると思います。企業の都合でいつでも解雇されるような現在の雇用状況や、サービス残業や労働強化で、多くの人々が人間らしく働くことができないこのごろです。私たちは今、畜生道を生きています。『地獄、餓鬼、畜生』の『三悪趣』は、私たちの生きる現実と、人類の歴史そのものなのです。」
根津さんは、憲法前文の「われらは、平和を維持し、先制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を引用し次のように書いています。
「これは、地獄、餓鬼、畜生なき、『無三悪趣の世』を選んだことであるとともに、わが国だけではなく全世界が、『無三悪趣の世』になってほしいと願っています。」と書いています。
本願寺派布教使の吉岡隆義さんの小論には多くの示唆をいただきました。
一番、示唆をいただいたのは、「なぜ、人を殺してはならないのか」という部分です。
「『私の命は、私に貴族しているのであって、他の何物にも帰属するものではない』という大原則です。従って他者によって奪われてはならないということです。他者とは私以外の何者かです。その他者は軍隊であるかもしれません。国家もまた他者ですから『あなたの命を出せ』『他者の命を奪え』という戦争には加担できないのです。もちろん自らが権力者と結託して、他者の命を奪わせてはならないのです。」
私は、50数年の人生の中で、「なぜ人を殺してはならないのか」の問いに対する答えとしてこれほど納得する答えに出会ったことはありません。
私のこれまでの経験の裏打ちも当然あるのでしょう。吉岡先生の意見に同感です。
皆が「私の命は、私に帰属しているのであって、他の何者にも帰属するものではない」と思える社会の実現のために力を尽くしたいと思いました。
この社会の実現のために、安倍政権による憲法9条の改悪を許してはならないことを実感しました。
これからも念仏者9条の会の会員の一人として大いに学び実践していきたいと思います。
安倍9条改憲を皆さんはどうお考えですか。