日本共産党山口県委員会などが昨日、山口県に行った「西日本豪雨災害の復旧に係る要望書」に基づく対県交渉について、引き続き報告していきます。
ダムの事前放流について、県河川課の担当者と議論した内容を報告します。
山口県では、過去の災害を教訓として県営菅野ダムに於いて台風時に事前放流を行う基準を設けています。
この基準により、これまでに、5回程度、菅野ダムで事前放流が行われました。
県内では島田川流域で甚大な被害が発生しました。
島田川には中山川ダムがありますが、堰堤まで17センチの水量でした。
私は、「中山川ダムを始め、県内の菅野ダム以外のダムで、事前放流を行う場合の基準について、専門家も交えて検討すべきだ」と指摘しました。
河川課の担当者は、「ダムの事前放流は水利権者との協議が必要となる。中山川ダムを始めととする県内ダムでの事前放流について、指摘があった点については、課に持ち帰って協議したい」と答えました。
今回の豪雨で、愛媛県内のダムの下流で死者が出る事案が発生しました。
豪雨時に大量の排水を行う必要が生じる恐れを回避するために、事前放流の必要性が叫ばれています。
山口県でも、県民の命と財産を守るために、菅野ダム以外のダムでの事前放流の在り方について、専門家を交えて検討を行う必要があると私は強く感じました。
引き続き、豪雨災害に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
日本共産党山口県委員会と同県議団は、本日、村岡知事に対して、西日本豪雨災害の復旧に係る要望書を提出しました。
要望書提出には、大平よしのぶ前衆議院議員や、県議団、災害のあった地元自治体の議員らが参加し、私も参加しました。
豪雨災害に係る要望書を県に提出(左端が私)
要望した項目の一つは、県内で災害救助法の適用が岩国市だけだった問題です。
岩国市は、災害救助法施行令第1条第1項第1号が適用されました。
災害救助法施行令第1条第1項第4号には、「災害により、多数の者が生命又は身体に危害を受け、又は受けるおそれが生じており、継続的に救助を必要としている」場合に、法律を適用するとの規定があります。
これは4号適用と言われており、4号適用した自治体数は、山口県(0)、高知県(7)、鳥取県(10)、京都府(9)、兵庫県(15)、岐阜県(21)です。
これらの県で、全壊、半壊の住家被害数は山口県が最大であるにも関わらず、山口県は、4号適用応していません。
健康福祉部厚生課の担当者は、「山口県に特別警報が出ていなかったので、4号適用の申請はしなかった」と答えました。
4号適用の申請の基準として特別警報が出ている場合との規定はありません。
県が独自に判断をして4号申請をしていなかった実態が明らかになりました。
私は、「これからでも、被害の大きかった周南市、光市などを災害救助法の適用とするよう国に申請すべきだ」と質しました。
厚生課の担当者は、「指摘された事項は、課の中で協議したい」と答えました。
日本共産党山口県委員会の政府交渉で、内閣府の担当者は、「災害救助法を適用するかどうかの判断は都道府県が行い、国に申請するものだ」という趣旨の答弁を行いました。
災害が甚大だった、周南市や光市などに今からでも山口県は、災害救助法が適用できるよう国に申請を行うべきです。
豪雨災害に対する皆さんのご意見を引き続きお教え下さい。
この夏、NHKで放映された山田尚子監督のアニメ映画「聲の形」を録画して観ました。
小学校時代の聴覚に障がいをかかえる硝子に嫌がらせをする将也の関わりに胸を鷲掴みにされ、今、コミック本を一巻から読んでいます。
公式ファンブックで漫画原作者の大今良時さんは、インタビューの中で、「いじめ」や「聴覚障害」という非常に重い事柄を、あえて作品のテーマに据えたことに対して次のように答えています。
「『いじめがテーマ』とシンプルに語られることに、少し違和感を抱いているところはあります。自分としては『いじめ』や「聴覚障害』を主題にしたつもりはなくて、『人と人がお互いに気持ちを伝えることの難しさ』を描こうとした作品です。だから『聲の形』というタイトルにしても、『コミュニケーションそのものを描いた話』なんだよ、という想いを込めています。」
「『聲の形』は、実体験に基づく要素がとても大きく影響しています。あの子の声を聞けなかった、気付けなかった後悔が、『ちゃんと見る』『ちゃんと聞く』いう石田が抱える課題に影響を与えています。きっかえとなったその友達の耳が聞こえなかったわけではありませんし、自分にとっては、硝子の聴覚障害は作品のテーマを読者に気づかせるためのモチーフのひとつであって、描くべき『本題』ではなかったんです。」
友だちとの関係が世界そのものであるような小学校から高校までのヒリヒリする人間関係を物語に昇華させる大今良時さんの筆力に感服しました。
漫画というメディアの可能性の深さを実感する作品でもありました。
久しぶりに、ページをめくる手が止まらない漫画を読みました。
高校の友人とここ数年、毎年のように会食をしています。
同じメンバーであっても、上手く話せなくなったりすることが多々あります。
同じ言葉を同じ人にぶつけたとしても反応が変わってくることがあります。
言葉は表面的なものであり、やはり、トータルとして相手とコミュニケーションが取れているかどうかなのでしょう。
大今良時さんが語るように、究極の相手とのコミュニケーションは「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」ですね。
私は、「見ずに話す」「聞かずに話す」所があるなあと、この作品を見て実感しました。
私は、日本福祉大学で学びゼミナールは「障害者福祉」でした。
個人を取り巻く障がいを取り除き、一人ひとりの権利を尊重していくことの大切さを学びました。
障がいを持った方々の問題に関しても「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」が原点だと思いました。
私は、今、西宇部校区人権教育推進委員協議会の会長を務めています。
「障がい者」の問題をはじめ様々な人権課題がありますが、その解決の原点は。「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」ことだとこの作品から気づかされました。
全ての人々の人権が尊重されるためには、「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」ことが原点だと気づきました。
山口県では来週から2学期です。この時期に、自殺をする児童・生徒が多い国となりました。
私たち親たちが、スマホを置いて、この時期、子どもたちの「聲の形」を見つめる時だと痛感します。
子どもを取り巻く大人たちが子どもたちのを「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」ことが大切な時だと痛感します。
まずは、親として、わが子を「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」努力を続けたいと思いました。
コミック「聲の形」、映画「聲の形」のファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。
本日、山口市で行われた山口県医労連で日本共産党を代表して挨拶を行いました。
第53回山口県医労連定期大会で挨拶を行う私
私の挨拶した要旨は以下の通りです。
第53回山口県医労連大会にお招きいただきまして誠にありがとうございます。前県議会議員の藤本です。一言、ご挨拶申し上げます。
沖縄県知事選挙が今月30日投票で行われます。2013年1月、「オスプレイ配備に反対する県民大会」実行委員会と沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名で、安倍首相に建白書を提出しました。建白書は①オスプレイの配備を直ちに撤回すること、②米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念することとあります。
自民・公明の候補者は、前宜野湾市長の佐喜眞さん。佐喜眞さんは、宜野湾市長としてこの建白書にサインしています。亡くなられた翁長さんは、那覇市長として建白書にサインしています。
佐喜眞さんは、建白書の立場を投げ捨てて、辺野古新基地建設を推進するために、知事の権限を行使しようとしています。
昨日、沖縄県は、辺野古新基地建設に関する埋め立て承認を撤回しました。沖縄知事選挙は、日本の政治の在り方を左右する一大政治戦です。玉城知事を誕生させて、辺野古新基地建設をストップさせましょう。
昨日、防衛省は、2019年度軍事費の概算要求を決定しました。この中に、山口県と秋田県に配備を計画している陸上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の取得経費2352億円を計上しています。
防衛省は7月30日に、イージス・アショアに搭載するレーダーは、アメリカ・ロッキードマーチン社が製造する最新鋭のLMSSRだと選定しました。アメリカから、FMS(対外有償軍事援助)という契約で購入します。この契約は、米国の見積もりで前払いが特徴です。イージス・アショアは、まだ適地であるかどうかの調査を行うかどうかというという段階なのに、防衛省は、来年度、アメリカに、イージス・アショアの費用の前払い金として2352億円支払おうとしているのです。防衛省は地元説明会では「丁寧に」と言いますが、言行不一致とはこの事をいいます。山口県へのイージス・アショアの配備強行は絶対に許されません。
辺野古新基地建設もイージス・アショアも根拠は、北朝鮮の脅威であり朝鮮有事のためです。世界史の一大転換点である、朝鮮半島で始まった平和のプロセスが成功すれば、辺野古もイージスも根拠が消滅します。
・・・
今朝のしんぶん赤旗日刊紙の報道によると、イージス・アショアを購入する経費は、歳出化経費から支出される見込みとのことです。
歳出化経費とは、将来への借金ツケ払いである新規の「後年度負担」とするものです。
防衛省が概算要求として計上したイージス・アショア2352億円は、対外有償軍事援助として前払いであり、歳出化経費としてツケ払いで支払われようとしていることが明らかになりました。
本文で言っていますが、据え付ける場所が決まっていない装備品を先払い、ツケ払いで購入することは許されません。
配備ありきの防衛省の姿勢が明らかです。
防衛省が、地元には丁寧に説明するといいながら、イージス・アショア(レーダー部分)を来年度予算で、購入しようとしています。皆さんは、この問題をどうお考えですか。ご意見をお教え下さい。
私が、西宇部小学校PTA会長だった頃から西宇部小学校PTA(OB含む)で結成されている「グリーンエコーズ」に参加してかれこれ5~6年になります。
年末に毎年開催される「宇部市PTAコーラス交歓会」への出場に向けて、毎年、秋から練習を始めます。
今年は、盆過ぎから練習に入りました。3曲練習しているんですが、「鷗」という合奏曲は私の心を掴みました。
歌詞は、三好達治が終戦直後の1946年に書いたものです。2003年に木下牧子さんが曲をつけました。
インターネットで調べると、亀岡弘志さんという方が書かれた文章を以下引用したいと思います。
私が心を掴まれた三好達治の歌詞は「ついに自由は彼らのものだ」という歌詞です。
亀岡さんは、三好達治のこの詩への思いを次のように書いています。
「戦争中は誰もがそうであったように、彼も不本意にも戦争を賛美し戦意高揚の詩を書いていました。また、戦場に出陣する学徒へ餞の講演をしたりしていました。戦場に赴く高校生(旧制)を前にして、『なぜ、君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか』と号泣して声がつまり、しばらくの間話せなかったこともあったそうです。戦争が終わり、彼は多くの戦死した若者の魂を、自由に乱舞するカモメの姿に重ねて詩を作りました。カモメは、学徒出陣前の学生たちの白い制服からのイメージだったのです。『彼ら』とは、実は戦争で命を落とした学生たちの魂を指しています。『ついに自由は彼らのものだ』とは、戦争が終わり戦死者の魂が自由に躍動しているさまを、カモメの姿に託して表現しました。そう考えると『ついに』の意味がよくわかります。戦争中の若者には自由なんてありませんでした。死んでしまってからついに掴んだ自由です。9回も繰り返されるこのフレーズには、深い鎮魂の意味が込められています。紺碧の海、そして、抜けるような青空の間を自由に群舞する白い鴎、そこに映える夕焼け、朝焼けの赤に学徒出陣で亡くなった学生の魂が漂っています。」
作曲した木下牧子さんは、自らのブログにこの曲についてこう書いているそうです。
「繰り返し表現されている『ついに自由は彼らのものだ』という言葉に、強い祈りを感じる。彼らは戦争で肉体を失ったけれどその魂は今、自由に飛び回っている・・・そんなイメージが湧いてくる。」
戦争によって10代で早逝した学生たちへの思いが三好達治の詩から読み取れます。
二度と戦争を起こしてならない三好達治らの思いが結晶となって具現化されたのが憲法9条だと思います。
三好達治が生きていたら、9条をなくすなと言うでしょう。
三好達治の思いを胸に、恒久平和を願い、心を込めて「鷗」を歌いたいと思います。
合唱曲「鷗」について、皆さんの思いをお教え下さい。
中脇初枝著「世界の果てのこどもたち」を読んでいます。
珠子、茉莉、美子の三人の少女が戦時中の満州で出会います。
彼女らが、戦中・戦後どう生きるのかを描いた作品が「世界の果てのこどもたち」です。
私は、以前、日本中国友好協会の役員を務めていました。2009年に大連や瀋陽など旧満州の各地を訪ねました。
旧満州を訪ねて以来、「旧満州」での歴史に興味を抱き続けてきました。
先日、ポール・邦昭・マルヤマ著「満州 奇跡の脱出」が原作となったNHKのドラマが放映されましたが、とても興味深くドラマを見ました。
26日の毎日新聞には、「満蒙開拓団」の歴史に関わる記事が次のように書かれていました。
「1932年から45年、旧満州(現中国東北部)に国策で推計約27万人が送りこまれた「満蒙開拓団」について、戦後に都道府県が実施した全国実態調査の資料が13道府県で確認できず、1県は廃棄されたことが毎日新聞の全国アンケートで判明した。」
「満蒙開拓団」実態調査の資料が確認できないとしている13道府県の一つに山口県が含まれています。
毎日新聞の記事によると、山口県からは、満蒙開拓団に3763人、青少年義勇軍に2745人が、合計6508人が満州に渡っています。資料が確認できなかったとする11自治体の中で、満州に渡った人数が一番多いのが山口県で、全国で17番目に満州へ渡った人が多い県です。
山口県は、再度、満蒙開拓団の資料を確認し、永久保存すべきです。
毎日新聞の記事は、1940年に山形県置賜地域から三江省(現黒竜江省)に入植した「板子房開拓団」の集団自決に至る経過について次のように書いています。
「45年8月9日に旧ソ連軍が越境してきたことから、板子房開拓団は13日に避難を始めた。途中で4組に分散し、佐藤さん一家を含む組は近隣の別の開拓団と一緒に学校の校舎に立てこもった。だが、現地の盗賊に包囲され、団の幹部らは『万一の場合は総員玉砕の覚悟を定ること』『不能の婦女子らは他の男子代て処置すること』を申し合わせた。防戦するも18日午後8時に弾丸が尽き、午後10時ごろ、校舎に火を放って集団自決した。資料は生き延びた団員3人の証言で作られており、『火の玉となり遂に焼け落ち全員自刃玉砕する』とあった。分散した他の組も一斉に身投げして命を絶った。」
当時8歳だった佐藤安男さんは、生き残った一人です。
「当時8歳だった佐藤さんは『死ぬのは嫌だとの一念で火の海から逃げた』。三十数人の生存者と逃げ、母と弟、妹が一緒だった。隠れていたトウキビ畑で幼い子の泣き声が盗賊を寄せ付けないようにと、女性たちが泣きながら幼子の首を絞めた。妹は1歳になったばかりだった。その後、病弱だった母も力尽き、弟と二人になった佐藤さんは中国人に助けられ、その家族で育った。日中国交回復後の80年、中国残留孤児として帰国し、日本で既に抹消されていた戸籍を回復した。佐藤さんは『帰国できない開拓団の人が中国に何人いるかさえ正確に分かっていないのではないか。国と県が責任を持って記録を整理すべきだ』と話す。」
公文書管理に詳しい長野県短大の瀬畑源准教授は「歴史的に貴重な公文書を確実に残す仕組みを作ることが自治体には求められている」と毎日新聞の記事の中で述べています。
当時の都道府県機関が旗振りをして、多くの県民を「満蒙開拓団」や「青少年義勇軍」に入団・入軍させた歴史があります。
この歴史に照らしても、都道府県は、当時の文書を公文書として永久保存すべきです。
瀬畑先生が指摘するように公文書を確実に残す仕組みを作ることが自治体に強く求められていると思います。
満蒙開拓団などの資料が山口県を含め、14自治体で不明・廃棄されていることが明らかになりました。
皆さんのご家族の方々が満蒙開拓団や義勇軍におられた方もいらしゃると思います。
この実態をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。