敬愛する作家であり、精神科医でもある帚木蓬生さんの「生きる力 森田正馬の15の提言」を読んでいます。
本の裏表紙から森田正馬氏の人となりと本書のねらいについて引用します。
「20世紀の初頭、西のフロイトと全くかけ離れた、東の森田正馬が創出した『森田療法』とは何か。薬も用いず、現在も学校現場や職場のメンタルヘルスでも実践され、認知行動療法にも取り入れられている。その治療法の独自性と先進性を彼の15の言葉から読み解く。」
「一瞬一生」が森田療法の神髄だと帚木さんは次のように書いています。
「森田療法の大きな特徴は、患者の過去の来歴を一切問わない点です。通常の精神療法では、成育史や親子関係を重視します。そこに現在の症状の原因を見出そうとして多大の労力をつぎこみます。森田療法では過去を問わず、不問に付し、ひたすら現在の生きざま、動きのみを問題にします。なぜなら、人が変えられるのは現在、今の事象であり、過ぎ去った出来事ではないからです。今の目の前の一瞬に、一生をかける。森田療法の真骨頂は、ここにあります。」
「無所住心」の章も私が気に入った部分です。帚木さんはこう書いています。
「人がよって立っているのは、今現在です。今現在の床の上、地面の上であり、過去の床や地面は消えており、まして未来は床も地面ももっていません。過去と未来にばかり注意を向けるのは、時間の空費であり、体力と気力の浪費です。今ここの現在、人は自由であり、万能なのです。今現在、最も急がれる動きに手を出し続ける。目前の仕事を放置せず、次々と取り組んでいく。」
「一瞬一生」「無所住心」は、自分の気持ちを楽にしてくれるし、他人の見方も変わります。
人の悩みは、過去と未来に起因するものばかりです。今に中すれば、悩みも薄れます。
人の悩みは、人間関係に尽きます。人を過去と未来に捉われて見ていると、関係は変わらないのかも知れません。
失敗した後輩への見方や苦手な上司に対して、いやな事が起きたからまたいやな事が起きるのではないかと考え悩みます。
この呪縛を解き、今の自分と今の他人を見るように努力することを森田正馬さんは教えているのではないかと思いました。
森田正馬さんの直接の著書ではないけれど、私の敬愛する帚木さんの珠玉の言葉が私を癒してくれます。
心が陰った時は、この本を読んで、心を整えていきたいと思いました。私の座右に置きたい一冊となりました。
これからも帚木蓬生さんから学んでいきたいと思います。
さて、今日は、一般質問です。「一瞬一生」。今に集中して、しっかり質問していきたいと思います。
石井妙子著「女帝 小池百合子」を読んでいます。
妻が、ネットで、作者の石井さんのインタビュー報道を視聴していたものを横で観ていたことと、毎日新聞に、この本のことが大きく取り上げられていたので、読みたいと思いました。
市内の書店を複数周ってみましたが、どの書店にもありません。注文し、ようやく数日前から一般質問の原稿を書きながら、この本を読み進めています。
そして、6月26日に、作者の石井妙子さんが、しんぶん赤旗日刊紙に登場されました。
しんぶん赤旗で石井さんは、小池氏とカイロ時代に同居していた早川さん(仮名)へのインタビューを行ったことを次のように述べています。
「私のもとに、氏とカイロで2年間同居していた早川玲子さん(仮名)から『(小池氏は)カイロ大学では1976年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません』と記された手紙が届いたのは2018年2月でした。私は早川さんが住むカイロに行き、面会を重ね、当時の手帳、日記、手紙など全てを譲りうけました。小池氏より10歳ほど年上の早川さんは『生きているうちに、百合子さんが嘘によって現在の地位を得たことを公にしなければ、自分も罪を抱えたまま死ぬことになる』と言い、『きちんと当時、注意しなかったことを後悔している』と自分を責めていました。そして『今からでも遅くない。人生をやり直してほしい。本当の人生にしてほしい』と。小池氏は『卒業証書も卒業証明書もある。カイロ大学も卒業を認めている』と繰り返しますが、証書の矛盾や疑問点も本書で触れています。エジプトには日本から、氏が国会議員だった2016年度までに無償資金協力1568億円を含む多額のODA(政府開発援助)が投入され、カイロ大学にも一部が渡っています。こうした事実と併せて、読者に判断を託したいと思います。」
私は、本著を読む限り、小池氏がカイロ大学を卒業したとはいいがたいと思わざるを得ないと感じます。
作家の石井さんは、赤旗のインタビューでこう締めくくっています。
「なぜ小池氏はここまで上りつめたのか。ミニスカート姿で自身を『政治改革のチアリーダー』と称したりする新奇さに飛びついて、氏が語るままを検証もせずに報道してきたメディアの罪は大きい。女性議員をお飾りや広告塔のように利用する政治のあり方も問題です。本質を見ないで上辺のファッションやパフォーマンスにつられて投票する有権者にも責任があるのではないでしょうか。小池氏の半生からは社会の歪みも見えてきます。権力を握れば人は寄ってくるし思い通りになる。人を信用できない荒野のような孤独の中で、ひとり生き抜いてきた女性の姿も浮かんできて哀しみも覚えます。」
一昨日のしんぶん赤旗日刊紙には、日本共産党の小池書記局長が、宇都宮けんじ候補の応援演説で、小池百合子知事について次のように訴えたと報じています。
「小池書記局長は、小池百合子都知事が東京五輪延長決定までPCR検査数を抑えたこと、また『東京アラート』解除翌日に知事立候補を表明したことを挙げて『コロナ対策よりも自分の選挙を優先したと言われても仕方がない』『パフォーマンスだけの政治を終わりにしよう。誠実な都民のことを考える人を都知事に』と強調しました。」
私は、東京都知事選挙で投票することは出来ませんが、東京都の有権者の皆さんは是非、石井妙子著「女帝 小池百合子」を読んでから投票行動を決めていただきたいと思います。
東京都知事選挙の投票日は、7月5日です。パフォーマンスだけの都政と日本の政治の流れを変える結果にしましょう。
石井妙子著「女帝 小池百合子」を読んだ皆さん感想をお聞かせ下さい。
昨日、「日本科学者会議山口支部」などが主催された「イージス・アショアを考える」学習会に参加しました。
イージス・アショア配備撤回の情勢を受けて、これまでの運動の成果を確認し合う学習会となりました。
イージス問題で講演を行う増山山大名誉教授
個々の先生方の話の内容は省略します。
私がこの学習会に参加してイージス・アショア配備に対する県の認識の不十分さがあったことを総括する必要性を感じました。このことをランダムに書いてみたいと思います。
一つは、ブースター落下についての県の認識についてです。
村岡知事は、昨年10月18日、ハワイ、カウワイ島米軍太平洋ミサイル実験施設を柳居議長らと見学しました。
県のホームページに知事のコメントがあり「ブースター制御について」も米軍側から説明を受けたとあります。
ハワイ視察直後の昨年10月28日、知事記者会見録には、ハワイ視察の関連質問に応える知事の発言が掲載されています。
共同通信の記者がブースターについて米側からどのような説明があったのか質問します。村岡知事は「そうですね。ブースターの話もありましたですね。ブースターが落下するのにコントロールできる。ハワイでは、ブースターの落下についてはコントロールしていないけど、ルーマニアではコントロールすると、するようにしていると言っていましたね。そのコントロール自体は可能だという言い方をしていました。」と答えています。
村岡知事は、議案説明で6月19日、河野大臣からブースターを制御できない旨の説明が行われた後、「ブースター問題は、住民の命に関わる重大な問題でけに、十分な精査が行われないまま説明がなされていたことに対し遺憾の意を述べるとともに、周辺住民が居住する地域へのブースター落下の危険性は取り除けないのであれば、そうした場所での配備は受け入れられないと申し上げました。」と述べました。
村岡知事は、昨年10月のハワイ視察で米軍から「ブースターは制御できる」と説明を受け「国の説明内容に関する理解のための参考としたい」とコメントしました。ブースターは制御できないとの説明を政府から受けた今、知事らのハワイ視察そのものの意味を再検証する必要があると感じました。
次に、イージス・アショア配備に対する県の基本施政を再検証する必要があるということです。
河野大臣のイージス凍結発言があった6月15日のわずか3日前の6月12日、「イージスふあんクラブ・山口」の知事への申し入れに私は同席していました。
この中で、県は、イージス・アショアの基本姿勢について次のように回答しました。「イージス・アショアの配備については、国の役割と責任に属する防衛政策を尊重する一方で、県民の安心・安全を守る立場から、言うべきことは言うとの姿勢で、引き続き、地元市町と連携しながら、国に対し、住民の思いを踏まえた真摯な対応を強く求めいくこととしています。」と答える一方、反対している阿武町長の意思をどう捉えているかとの質問には、「現在は、まだ、国による説明の途中段階であり、阿武町長の発言はそうした中で現時点の思いを述べられたものと考えています。」と答えました。
県が国に対して、ブースター落下の問題など何度も意見照会をしたことは評価しています。しかし、阿武町長が国の役割に属する防衛政策に対して、配備反対を主張したのに対し、村岡知事は、河野大臣の凍結発言までは、イージス・アショア配備の認否判断は行いませんでした。
阿武町長と村岡知事の6月14日までの首長としての姿勢の違いを検証していく必要があると感じました。
昨日の学習会で、宇生賀女性の会の原さんの挨拶が印象的でした。
「イージス配備撤回後、おとといは梅を漬けました。きのうは、らっきょを漬けました。」
陸上自衛隊むつみ演習場周辺で配備計画浮上前の日常が再び訪れたことを実感しました。
引き続き、市民の皆さんから学んで、7月1日の質問を準備したいと思います。
6月県議会の一般質問の通告をしました。
県議会のホームページで公開している通り、私は、7月1日の午前中に、中島県議さんの後に登壇する予定です。
しっかり、準備して質問にあたりたいと思います。今朝、一般質問の第一稿を書き上げました。
提出した通告の内容は、以下の通りです。
1、新型コロナウイルス対策について
①医療・検査体制の強化について
・地域外来・検査センター
・病床確保計画
・保健所体制の強化
②県単独事業の各種応援給付金にいて
・支給対象及び支給方法
・朝鮮学校及び付属幼稚園に対する諸問題
③米軍岩国基地問題
・コロナ情報開示
2、イージス・アショアについて
3、行財政構造改革について
①総人件費縮減
②公の施設の見直し
4、教育問題
①少人数学級について
②空調の整備
③日本語教育の推進
・夜間中学設置
5.防災対策
①県管理ダムの事前放流
②コロナ下の災害時における避難所確保問題
6、メガソーラー建設問題
・岩国市美和町のメガソラー建設問題
・・・
インターネット中継もされるので多くの皆さんの視聴をお願いいたします。
引き続き、県政に関わる皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
帚木蓬生さんの近著「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を読み終えました。
この本は、5月27日の読売新聞の帚木さんへのインタビュー記事で知りました。帚木さんは、インタビューで、「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」について、こう述べています。「表題は19世紀初めの英国の詩人キーツの言葉です。和訳は難しいですが、『負の能力』でも良いでしょう。副題に『答えの出ない事態に耐える力』とあるように、手頃な答えに飛びつかず、分からなさ、不思議さに耐え、中ぶらりんな状態に踏みとどまる能力という意味です。そうすることで知性が研ぎ澄まされる。」と述べています。
精神科医としての帚木蓬生さんを支えてきたのが「ネガティブ・ケイパビリティ」だとして次のように述べています。
「精神科医としての私を支えてきた考えですが、私はコロナ禍に際しても負の能力の精神で対処すれば、人や情報について本物と偽物の見極めが冷静にできると考えます。」
帚木さんは、本の中で、「為政者は特に、そして国民ひとりひとりが、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しなればならないのです。」と書いています。
帚木さんは、同時に、戦争とネガティブ・ケイパビリティについて次のように書いています。
「先の戦争は、国の主権を軍部に乗っ取られた時点で、もう破滅への道を歩み始めていたのです。軍隊は、ネガティブ・ケイパビリティとは全く無縁の存在であり、それが大手を振って歩きだした先では、寛容も踏みにじられ、戦争が待っていると言っていいでしょう。」
帚木さんは、ナチスとネガティブ・ケイパビリティの関係及び現代について次のように考察しています。
「悲しいことに、現代は不寛容が社会に深く根を張りつつあるのです。格差や貧困、差別が存在するときこそ、寛容の精神が発揚されなければいけないのにもかかわらず、喧嘩腰の不寛容さが世の中を支配しています。障害者は世の中のお荷物だとうそぶいて、重度の障害者を19人殺害した若者の考え方は、ナチスが障害者を抹殺した思想の丸写しです。」「不寛容が行く先は、いったい何でしょうか。私はそれが戦争だと考えています。そして平和を支える精神こそが寛容だと心から思うのです。」
政治家として、「平和を維持するためには、為政者は特に、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しなければならない」「平和を支えていく精神こそが寛容だ」との帚木さんの言葉をこれからも大切にしていきたいと思います。
新聞のインタビューに戻ると、帚木さんは、インタビューをこう結んでいます。「私は、人と人の共感が利潤追求よりも人生では大切だという意識が人々の心のどこかに生まれ、とどまることに期待した。共感を柱に国民が一致団結して克服できたとなれば、世の中は一段とよくなるはずです。人々は外出を自粛するなか、ビデオ通話でお互いの表情を確かめ合いながら、真剣に対話しているようです。そうした姿を傍らで見るにつけ、人々に共感が芽生え、連帯が育まれることを私は願ってやみません。人はうちひしがれるばかりの存在ではないのです」
答えの出ない事態に耐える力=ネガティブ・ケイパビリティを大切に生きていきたいと、帚木さんの言葉に励まされています。
これからも、帚木蓬生さんから学んでいきたいと思います。
河野太郎防衛大臣は25日、防衛省内で記者会見し、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の秋田、山口両県への配備を断念することを24日の国家安全保障会議(NSC)で決定したことを明らかにしました。今朝のしんぶん赤旗日刊紙に、この問題で、竹下岳記者の解説が掲載されましたので紹介します。
・・・
政府は陸上配備型ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備断念を受け、新たな「ミサイル防衛」のありかたを含む、新しい安全保障戦略の検討に着手しました。重要なのは、「ミサイル防衛」計画そのものが破綻に直面していることを直視し、そこからの脱却を図ることです。
もともと、「ミサイル防衛」は宇宙空間を音速の10~20倍で飛行する弾道ミサイルに迎撃ミサイルを直撃させて破壊する、技術的にも極めて困難なものです。しかも、敵の攻撃能力が強化されれば、従来の迎撃システムが陳腐化され、開発をやり直さなければならないため、際限のない支出につながります。
実際、政府は従来、「ミサイル防衛」網の総額について「概ね8000億~1兆円」と説明していましたが、すでに2兆円を大きく超えています。この間、北朝鮮はロフテッド(超高高度)攻撃や発射位置が特定できない潜水艦からの発射、多弾頭による飽和攻撃など、攻撃能力を飛躍的に向上させており、日本の「ミサイル防衛」能力はこれに追い付いていません。
陸上イージスも、その能力は従来のイージス艦と本質的な違いはありません。そもそも、北朝鮮から日本上空を通過してグアムやハワイに向かう弾道ミサイルを迎撃し、日本近海に展開する米イージス艦の「肩代わり」をすることが配備の目的であり、「日本防衛」とは無縁の存在です。
重大なのは、「ミサイル防衛」の限界を口実に「敵基地攻撃能力」保有の動きが強まっていることです。
安倍政権はすでに、長距離巡航ミサイル(スタンドオフミサイル)や「いずも」型護衛艦へのF35Bステルス戦闘機の搭載など、敵基地攻撃能力の保有に向かっています。これに偵察衛星や電子戦機、爆撃機などを加えれば、兆単位の軍事費支出につながります。
「敵基地攻撃」は国際法上も違法である先制攻撃につながるものであり、憲法9条とは根本的に相いれません。
日本が行うべきは、弾道ミサイルが不必要となる平和な安全保障環境の構築に力を尽くすことです。ところが、ボルトン前米大統領補佐官が23日発売した回顧録で、安倍晋三首相はボルトン氏と一緒になって、朝鮮半島の非核化・朝鮮戦争終結に向けた日朝交渉を妨害したことが暴露されています。
これでは、憲法9条改悪の口実にするために、むしろ安全保障環境の悪化を望んでいるとしか思えません。
・・・
河野大臣が陸上イージス断念を表明したことは、山口・秋田での住民・自治体の配備反対の声に追い詰められた結果です。
同時に、竹下記者が指摘するように、「敵基地攻撃能力保有」の議論が始まったことは重大です。
今こそ、憲法9条の立場に立った平和外交が求められています。
私は、6月県議会でイージス・アショアの問題をしっかり議論していきたいと思います。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。