今日の宇部市は数年ぶりの大雪です。
身動きが出来ず、今日の予定は全てキャンセルになりました。
昨年購入していた、山田和秋著「映画を観ることは社会を知ることだ」で紹介されてある作品の中で、ネットフリックスにある作品を探したところ、唯一、マイケル・ムーア監督の映画「華氏119」があり、今、観終わったところです。
この映画のホームページからこの作品の概要を紹介します。
「支持率も得票数さえもヒラリー・クリントンの方が上だったのに、そもそもなぜ当選できたのか―トランプが勝利を奪うために駆使した、アメリカ大統領選の『裏技』とは?そして、トランプ支持の少数派が望む政策が、アメリカ全土の意思へと変わってしまう、見事なまでに狡猾な『からくり』とは?ムーアの執念の突撃取材により、驚愕の真実が次々と暴かれていく。やがてムーアは、トランプの言動が狂気に突き進む直前のヒトラーに重なることに気づき、ナチスを裁いた99歳の元検察官に意見を仰ぐと、恐ろしい答えがー。」
山田和秋さんは、この作品の紹介でこう書いています。
「この映画はトランプを非難するだけでなく、アメリカが生んだ政界の罪とそれに立ち向かう人々の姿を追ったドキュメンタリーだ。ムーアは、既成政党に頼らずに立候補する一般市民や、高校生による銃規制の訴えなど、草の根運動の力に迫る。ニューヨークやワシントンの街を埋めつくした群衆が権力に敢然と抗議する姿をも映し出す。」
2018年2月14日、フロリダ州の高校で起きた銃乱射事件で生き残った高校生の一人、エマ・ゴンザレスさんのスピーチ「大統領がお悔やみしか言えないなら、犠牲者が変化を起こさなけれなならない」は衝撃的でした。
彼女にヘイトスピーチを行った共和党議員は、選挙に立候補できなくなった。
NHKEテレ「100分de名著」「カールマルクス 資本論」のテキストで、講師の斎藤幸平さんが、アメリカを中心とした若者の変化を次のように書いています。
「近年のアメリカでは、ミレニアム世代やZ世代と呼ばれる若者を中心に『社会主義』を肯定的にとらえる人が増え、サンダース旋風を巻き起こしました。Z世代の代表的な人物、国連の会議で、各国の気候変動対策を痛烈に批判したスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリも、『無限の経済成長というおとぎ話』を批判し、資本主義に代わる『新しいシステム』を求めています。環境意識が高く、資本主義に批判的な若者が『ジェネレーション・レフト(左翼世代)』として、社会主義に共鳴するようになっているのです。」
映画「華氏119」は、アメリカの「ジェネレーション・レフト」の運動を生き生きと描き出しています。
山田和秋さんは、この作品を紹介し、こう書いています。
「日本は市民の声が大きな風となって一つに結びつくことができるだろうか。2012年、反原発で数万人が国会を取り囲んだように。安倍政権の権力濫用が頂点にある日本で、私たち市民は、原発、貧困、TPP、差別などの問題で、一つの大きなエネルギーとして闘うことを可能にしなくてはならない。」
マイケル・ムーア監督の「華氏119」は、政治の主役は市民であることを描いています。
アメリカでは、トランプ支持者が連邦議事堂に乱入したようですが、バイデン氏の当選が確認されたようです。
日本では、安倍首相が辞任し、菅政権が発足しましたが、支持率が下がり、菅政権の「終わり」が見えてきました。
映画でマイケル・ムーア監督が「華氏119」で「独裁者が成功するのは、民衆がうんざりし、諦めたときだけ」と訴えました。
沖縄の運動では、「負けない方法は、勝つまで諦めないこと」という言葉があります。
マイケル・ムーア監督の「華氏119」は、私たちに「諦めない」ことを強く教えてくれた作品でした。
「諦めない」ために、これからも学び続けていきたいと思いました。
映画「ジョーンの秘密」を観ました。
映画のチラシから、概要を紹介します。
「夫に先立たれた、仕事も引退しジョーン・スタンリー(ジュディ・デンチ)は、イギリス郊外で穏やかな一人暮らしを送っていた。ところが、2000年5月、ジョーンは突然訪ねてきた(MI5)に逮捕されてしまう。半世紀以上も前に、核開発の機密情報をソ連に流したというスパイ容疑だった。ジョーンは無実を主張するが、先ごろ死亡した外務事務次官のW・ミッチェル卿が遺した資料から、彼とジョーンがソ連のKGBと共謀していた証拠が出てきたというのだ。彼女の息子で弁護士を務めるニック(ベン・マイルズ)立ち合いのもと、次々と明かされるジョーンの驚くべき真実とは-。」
この物語のモデルは、2005年6月に93歳で亡くなったメリタ・ノーウッドさんです。
彼女は生前ソ連の諜報員だった過去について「私は、お金が欲しかったのではない。私の関心があったのは、そこではない。私はソ連が西側と対等な足場に立つことを望んでいたのだ。」と語ったと、この映画の日本語版サイトにあります。
映画の中で、彼女が、アメリカによる広島・長崎への原爆投下を知り、イギリスの核開発の情報をソ連に流すことを決意する場面があります。
また、映画の中で、逮捕後彼女が東側に核兵器を保有させ西側と「核抑止力の均衡」を図り「戦後の平和」が維持されたことを語る場面が出てきます。
この映画は、戦中戦後の世界情勢とソ連の役割を知る上で、重要な映画だと思いました。
その上で、ソ連の諜報員だった彼女には、日本のヒバクシャの「核兵器を廃絶してほしい」との願いは届いていなかったことを、この映画を観て痛感しました。
2017年に国連会議で採択された核兵器禁止条約の批准国が50を超え、今年1月22日に発効する事実を彼女が知ったらどう感じたでしょうか。
日本政府は、核兵器保有国と非保有国の「橋渡し」をすると繰り返していますが、実際の行動は、核保有国の代弁者であり、お先棒担ぎという恥ずかしい卑劣な役回りを演じています。
ソ連の諜報員だった彼女は、東側に核開発の情報を流すことで「平和に貢献」できたと映画で語りましたが、私は、唯一の戦争被爆国・日本が、核兵器禁止条約に署名・批准することが、世界の「平和に貢献」する道だと感じます。
菅政権が、核兵器禁止条約に署名・批准しないのなら、署名・批准する新しい政権をつくることが、総選挙が行われる今年の大きな政治課題だと、この映画を観て痛感しました。
「ジョーンの秘密」は、「平和」とは何かを根本から考えさせてくれる映画でした。YCOMで上映中です。一人でも多くの皆さんに観ていただきたいと思います。
一昨日から、NHK Eテレ「100分de名著」カールマルクス「資本論」が始まりました。
講師は、経済思想家の斎藤幸平さんです。
マルクスは資本論で「資本主義的生産様式が支配的な社会の富は『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品は、その富の要素形態として現れる。」と述べています。
斎藤さんは、「富」について次のように説明しています。
「例えば、きれいな空気や水が潤沢にあること。これも社会の『富』です。緑豊かな森、誰もが思い思いに憩える公園、地域の図書館や公民館などがたくさんあることも、社会にとって大切な『富』でしょう。知識や文化・芸術も、コミュニケーション能力や職人技もそうです。貨幣では必ずしも計測できないけれども、一人ひとりが豊かに生きるために必要なものがリッチな状態、それが社会の『富』なのです。」
この「富」が資本主義社会では次々と「商品」に姿を変えていくのです。
この点について斎藤さんはこう説明しています。
「例えば、都市部の公園を更地にして、そこに高層マンションやショッピングモールを建てたり、森を切り拓いてゴルフ場を造ったり、一番わかりやすいのは『水』でしょう。私が子どもの頃、飲料水は『商品』ではなく、水道からタダで飲める物でした。ペットボトルに入った水が『商品』として定着したのは、ここ20年くらいのことです。このように、ありとあらゆる物を『商品』にしようとするのが、資本主義の大きなと特徴の一つです。」
マルクスは「商品」には二つの顔があることを指摘しています。
一つは「使用価値」という顔です。
齋藤さんは、こう説明しています。
「『使用価値』とは、人間にとって役に立つこと(有用性)、人間の様々な欲求を満たす力です。水には喉の渇きを潤す力があり、食料品には空腹を満たす力があります。マスクにも、感染症の拡大を予防するという『使用価値』があります。」
「商品」の二つ目の顔は、「価値」です・
斎藤さんはこう説明します。
「『商品』になるためには、別の何かと交換されなければなりません。交換されない椅子は、座るという『使用価値』を持った、ただの椅子です。これに対し、『商品』としての椅子は、市場で1万円の値札がつき、100個の卵や20枚のシーツなど別の同じ価値で交換されるわけです。」
次に斎藤さんは、「物象化」について次のように説明しています。
「『価値』のためにモノを作る資本主義のもとでは立場が逆転し、人間がモノに振り回され、支配されるようになる。この現象をマルクスは『物象化』と呼びます。」
斎藤さんは、「物象化」を象徴的に教えてくれるのが「Go toキャンペーン」だと次にように述べています。
「旅行や外食による感染拡大のリスクがあっても、経済を回していかなければ社会として存続できない。だから、何としてでも経済を『回していく』-といっていますが、本当は『回させられている』というほうが正しい。人間のために経済を回すのではなく、経済を回すこと自体が一種の自己目的になって、人間は、資本主義経済という自動装置の歯車としてしか生きられなくなっている。」
斎藤さんは、物象化の強まりが公共事業の民営化や規制緩和による市場の自由化を進めてきたとして、これが「新自由主義」政策だと述べています。
その現れとして、全国の公立図書館で非常勤職員が増えている問題を指摘しています。
都道府県別の図書館員の非常勤職員の割合を示した表が、テキストに掲載されています。
全国平均は、64.2%、最低の福島県は、40.6%です。
一方、最高の長野は79.0%、山口県は、全国ワースト8位で72.7%になっています。
斎藤さんは、この点を次のように述べています。
「公立図書館という場やその蔵書は、まさに社会の『富』、大事なコモンです。しかし、『商品』ではないので、儲けは生みません。『使用価値』より『価値』を優先する資本主義の論理で図書館運営が『改革』されれば、社会の富は痩せ細ってしまうのです。」
ついに、「資本論」が私たちの暮らしの矛盾を解明してくれました。
この章の最後に斎藤さんは、「資本論」の一文を引用しています。
「本書の最終的な目的は、近代社会の経済的運動法則の暴露である。近代社会は、自然的な発展諸段階を飛び越えることも、法令で取り除くこともできない。だが、近代社会は、生みの苦しみを短縮し、緩和することはできる。」
齋藤さんはこの文章を引用した後にこう書いています。
「マルクスは、資本主義社会に内在する矛盾を明らかにすることで、資本主義とは別の、よりよい社会を生み出す近道を示そうとしていたのです。」
残り3回、斎藤幸平さんによる「資本論」の解説をテキストとともにしっかり学んでいきたいと思います。
菅首相は、4日、首相官邸で年頭記者会見し、東京都と埼玉、千葉、神奈川の3県を対象に新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言再発令の検討に入ると表明しました。7日にも発出し、対象期間は1カ月程度とする方向です。
宣言に基づく対象としては、飲食の場の感染リスクを軽減する必要性を強調し、「限定的、集中的に行うことが効果的」だと述べました。一方、休業要請などに伴う補償については語りませんでした。
菅首相が1都3県に緊急事態宣言の発出を検討すると述べたことに対して、5日のしんぶん赤旗日刊紙は、志位委員長記者会見で次のように述べたと報じました。
「『これだけ新型コロナウイルス感染拡大が止まらない状況で、1都3県の知事の要請は重いものであり、宣言を発出すること自体はやむを得ない』と述べました。志位氏は、菅政権がコロナ対策について無為無策で、「GoTo」事業に固執するなどの逆行を続けてきたと指摘し『こういう事態に立ち至った責任は極めて重い。まず菅政権の重大な政治責任が問われなければならない』と批判。そのうえで、『十分な補償と検査の抜本的強化がどうしても必要だ。この二つの点で、従来の政策の延長上の対応では感染は止められない。政策の転換が必要だ』と強調しました。志位氏は、すでに出されている要請も含め、休業要請やさまざまな行動制限の要請について、『お店をつぶすわけにはいかない。安心してお店を閉め、休むためには、今度こそ十分な補償をすることが大事だ』と指摘。『政府が今やろうとしている持続化給付金や家賃支援給付金の打ち切りは、とんでもない話であり、継続・拡充こそ必要だ」と述べました。日本共産党、立憲民主党、国民民主党、社民党の野党4党共同の『新型インフルエンザ特別措置法等改正案』に触れ、『自粛を要請するさいには十分な補償、協力金、給付金、これとセットで行うことを法律で定めるという内容だ』と述べました。」
昨日、NHK山口放送局は、昨日行われた年頭の記者会見で村岡知事が、菅総理が、1都3県を対象に緊急事態宣言を発出することを検討する考えを表明したことについて、「村岡知事は『大都市部での感染拡大を収めることが全国に間違い無くつながるので、ぜひ思い切った対応を期間限定で行って欲しい』と述べました。その上で『政府の判断を見てからになるが、より強いメッセージが出るのであれば、われわれもそれに呼応してより強い要請をしなければならないのではないか』と述べ、県としても今後の対応を検討していきたいという考えを示しました。」と報じました。
私は、11月県議会の一般質問で、「県が、飲食店への時間短縮や休業要請を行う場合、協力金の支給とセットで対応されるものと考えるがいかがか」と質しました。これに、内海総務部長は、「今後、県内の感染状況が拡大し、事業者に対して、営業時間の短縮や休業の要請を行う場合には、業種ごとの『感染拡大予防ガイドライン』に基づく感染防止対策の状況を踏まえながら、協力金の支給について検討する」と答えました。
今後、山口県が飲食店などに営業時間の短縮等の休業要請を行う場合、国の財政支援を求めながら、協力金を支払うことは当然です。
11月県議会でこの問題を質問した議員として、今後、山口県の動向をしっかり注視していきたいと思います。
首都圏1都3県に緊急事態宣言が発令され飲食店への営業時間の短縮などの要請が出されようとしています。この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私は、12月2日に一般質問を行い、災害に強い県づくりについて、急傾斜地対策について質しました。
私は、「周防大島町で急傾斜地崩壊対策事業の実施を求める交渉において、当該急傾斜は、土砂災害特別警戒区域内にあったが、事業実施対象は保全人家戸数が5戸以上という理由のため、該当しないとの回答であった。鳥取県は、保全人家戸数1戸以上の単県斜面崩壊復旧事業、単県小規模急傾斜地崩壊対策事業を創設している。山口県も鳥取県同様の保全人家戸数1戸以上の制度を創設すべきだが、尋ねる。」と質しました。
これに、阿部土木建築部長は「急傾斜地のがけ崩れ対策については、土地所有者もしくは被害を受けるおそれがある方による実施が原則ですが、多額の費用負担や技術的な困難性などの理由により、土地所有者等が対策を行うことが困難な場合には、保全人家戸数5戸以上などの国の基準に基づき、急傾斜地の崩壊対策事業を行っている。また、国の基準に満たない場合でも、がけ崩れが発生し、人家戸数2戸以上に被害が及ぶと認められて、早急な対策が必要なものについては、事業を行う市町に対し、県費補助などの支援を行っているところであり、更なる支援の拡大は考えていない。」と答えました。
次に私は、危険ため池改修問題を取り上げました。
私は、「山口県は1998年度から危険ため池整備促進対策として補助率を上げた。県内では、下関市・山口市・長門市・防府市・下松市が市町の補助率を上げ、農家負担をゼロにしている。高知県では、事業主体が県のため池改修事業で地元負担を0%で実施している。農水省は、来年度、危険なため池の補助率を上げる概算要求を示した。危険なため池の国の補助率引上げの動きを受け、来年度、県は補助率を挙げ、農家負担ゼロの制度を創設すべきだ。」と質しました。
これに農林水産部長は「県ではこれまでに、国が示す水準を上回る補助率の嵩上げを行い、危険ため池の整備促進を図ってきたところだ。現在、国において、危険なため池の整備促進に向けた、補助率の引上げ等を検討されているが、農家の費用負担をゼロとすることについては、各市町において判断されるものと考えている。」と答えました。
私は、更に「県全体で地元負担ゼロに来年度からなるように県が市町と協議すべきだ。」と質しました。
これに、松岡農林水産部長は「農家負担をゼロとすることについては、各市町において判断されるものと考えている。」と答えました。
今回で、私の11月県議会の報告は終了いたします。
来る2月県議会でも皆さんのお声をしっかり県議会に届けたいと思います。
引き続き、皆さんのお声を藤本にお届け下さい。
年末年始に読んでいる本は、ナオミ・クライン著「地球が燃えている」です。
数年前に、知人からナオミ・クラインさんの本をプレゼントされて読んだのがきっかけで、ナオミ・クラインさんは、私が敬愛するジャーナリストの一人となりました。
この本の帯に、この本の推薦者の名前が二人登場しています。
一人は、気象活動家のグレタ・トゥーンベリさん。二人目は、経済思想家の斎藤幸平さんです。
私が注目している二人が推薦する本ですから、読まない訳にはいきません。
特に、斎藤幸平さんは、この本について次のように評しています。
「気候崩壊は新たなショック・ドクトリンとエコファシズムを生み、さらには文明を崩壊させる。だからこそ、資本主義に終止符を打ち、脱成長型経済をめざすグリーン・ニューディールが必要だ。『社会主義か、絶滅か』。これは、かつてないほどラディカル化したナオミ・クラインによる革命の書だ!」
斎藤さんにこう書かせた部分を紹介します。
ナオミ・クラインさんは、本書でこのように書いています。
「変革につなががるプラットホォームを擁護する私のような者は、気候危機に乗じて、この危機に着目する前から抱いていた社会主義的、または反資本主義的なアジェンダを推進しようとしていると非難されることもある。これに対する私の答えは簡単だ。私は成人してからの人生全体を通してさまざまな運動にかかわり、現在の経済システムが、非情な利潤追求によって人々の生活と自然の景観を粉々に潰す無数の方法に立ち向かってきた。(中略)このような経済活動が悲惨で、時には生命を奪うような影響を引き起こすことは否定しようがない。そこで、あっさりこう論じられた-こうしたものは、膨大な富を生み出すシステムの必要コストであり、恩恵が徐々に下々に滴り落ち(トリクルダウン)、やがて地球上のほぼすべての人の生活を改善することになるであろう、と。しかし実際に起きたことは逆だった。(中略)率直に認めるが、私はこの気候変動危機を、自分なりに長年記録してきた、市場経済の生み出す局所的な危機と切り離せるものだと思っていない。両者の違いは悲劇の規模と範囲だ。いまや人類のたったひとつの家が存亡の危機に瀕しているのだ。私は常にすさまじい焦燥感をもって、もっと劇的に人道的な経済モデルへと転換する必要性を感じてきた、しかしいまでは、その緊急性の質が変わってきている。なぜなら、期せずしていま私たち全員が、進路を変更することによって想像を絶する規模の生命を救う可能性のある最後の瞬間を生きているからだ。」
その上で、ナオミ・クラインさんはこう結論づけています。
「以上のことはいずれも、すべての気候政策は資本主義を解体するものでなければならない、さもなけれれば却下されるべきだという、一部の批評家の愚劣な主張にはつながらない。排出量削減のためには可能な限りのすべての対象が必要であり、それもいますぐ必要だからだ。むしろ、IPCCがきわめて強い調子で確認したように、体系的な経済と社会の変化を進んで受け入れようとしない限り、決してこの使命を達成することはできないことを意味しているのだ。」
今朝のしんぶん赤旗日刊紙で音楽家の坂本龍一さんがこのように述べています。
「コロナ感染拡大で、貧困と格差、地球温暖化、差別などさまざまな問題が明るみに出ました。資本主義が行き着いた『ニューリベラリズム(新自由主義)』の政策は、効率を何よりも優先して福祉や教育を切り縮め、医療体制を脆弱なものにしてきました。」
「これまではニューヨークの自宅の庭から街の喧騒が聞こえていましたが、ロックダウン(都市封鎖)で人間の活動が制限されたことで、街が静かになり、鳥の鳴き声がよく聞こえてきました。アメリカの温暖化ガスの排出量もこの30年間で最も少なくなりました。コロナ禍により、経済活動が制限され、困窮された方も多いと思いますが、一人ひとりに余裕のある生き方は、自分の体にも自然環境にも優しくなります。何十年も突っ走って
きた暮らし方、社会のあり方を変えても、暮らせると分かった人は多いはずです。どんな暮らしをしたいかをこの機に考え、声をあげていくべきだと思います。」
日本共産党の志位和夫委員長は、第二回中央委員会総会で、「日本でも、労働苦、格差拡大、高学費、環境問題など、息苦しく希望が見えない社会の根源には、人間が人間を搾取するシステム、『利潤第一主義』を本性とする資本主義の矛盾があります。」と述べました。
地球温暖化問題を改善するために運動に参加し発言を続けてきたナオミ・クラインさんは、「すべての気候政策は資本主義を解体するものでなければならない」と述べました。
音楽家の坂本龍一さんは「資本主義が行き着いた『ニューリベラリズム(新自由主義)』の政策は、効率を何よりも優先して福祉や教育を切り縮め、医療体制を脆弱なものにしてき」たと述べました。
二人の問題意識に共通する問題把握と解決の方向があると感じました。
志位委員長は先述した総会で「パンデミックは、資本主義というシステムをこのまま続けていいのかという重大な問いを人類に突きつけるものとなっている」と述べました。
私は、更に、ナオミ・クラインさの本から地球温暖化問題を解決するために、どのような変革をすべきかを学んでいきたいと思いました。
今年も少しづつ学び続け、その想いを本ブログに書き留めたいと思います。
ナオミ・クラインファンの皆さん、彼女の著作の感想をお聞かせ下さい。