今年の本屋大賞翻訳小説部門で1位を獲得した韓国の作家ソン・ウォンピョン著「アーモンド」を読んでいます。
翻訳本で、これだけ感情移入でき共感できる作品は久しぶりです。
主人公のユンジェを通して、韓国の今が見え、それに通じる日本や世界の今が見えてきます。
本の帯に書かれた本書のストーリーを紹介します。
「扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない16歳の高校生、ユンジェ。そのは彼を『かわいい怪物』と呼んだ。15歳の誕生日に、祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙って見つめるだけだった。母は、感情のわからない息子に『喜』『怒』『哀』『楽』などの感情を丸暗記させて、『普通の子』に見えるように訓練してきた。だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちに。そんなときに現れた、もう一人の『怪物』ゴニ。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく-。」
物語も内容も全く違う小説ですが、本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんの「流浪の月」とこの小説が通底しているように感じました。
二つの小説に共通しているのは、「普通」を強いられる現代を描いている点です。
ユンジェは、感情表現が出来ないことに加えて、通り魔事件の家族ということで、高校に入り、強烈ないじめを受けます。
ユンジェがスマホのアプリで対話する場面が出てきます。
「ほかの人と似てるってどういうこと?人はみんな違うのに、誰を基準にしているの?」
「流浪の月」の更紗も文も「普通」と格闘しながら物語が進んでいました。
この二つの小説のテーマが共通していることは、偶然ではなく、必然であり、アジアで、世界で「同調圧力」のようなものが強まっている時だということを私たちに作家の彼女らは教えてくれているように感じます。
そして、「アーモンド」の主人公ユンジュは、激しい感情を持つゴニと出会います。
ユンジュは、扁桃体が小さいことが理由なのか、ゴニを恐れません。
ユンジュは、元死刑囚のアメリカの作家ノーランの言葉を引用します。
「救うことのできない人間なんていない。救おうとする努力をやめてしまう人たちがいるだけだ」
そして、母たちを襲った男やゴニのことをこう書いています。
「母さんとばあちゃんにハンマーとナイフを振り回した男は、そしてゴニも、ノーランと似てるのだろうか。それともノーランに近いのは、むしろ僕の方なのだろうか。僕は、世の中をもう少し理解したいと思った。そういう意味で、僕はゴニが必要だった。」
このくだりを読んでいて、親鸞の教えを唯円が書いた「歎異抄」の第三章の有名なくだりを思い出しました。
「善人なほもって往生をつぐ。いわんは悪人をや。」
「善人さえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。」という意味です。
仏教学者の釈徹宗さんは、このくだりを「自分自身の中にある悪への自覚に関する問題」と指摘しています。
ユンジュが「ノーランに近いのは、むしろ僕の方なのだろうか」と考え「そういう意味で、僕はゴニが必要だった」と考えるくだりに、うなる私でした。
そして、この本で、「歎異抄」が少し理解できたような気にもなりました。
人間は、善人と悪人の両面を持っている。その事を自覚することが大切であること。
その事を自覚するために、他人を知ることが大切。他人を知る事で自分を知ることができる。
他人を知る手段の一つは、小説を読むことでしょう。
その意味で、「アーモンド」は最良の本です。
今、ユンジュとゴニが出会い、衝突するところまで読みました。
二人の関係がどう深まっていくのでしょうか。
引き続き、この小説から学んでいきたいと思います。
皆さんのおすすめの作品をお教え下さい。
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