議会中、ちょこちょこと読んでいた「神様のカルテ」を読了しました。
「生きる」とは何かを考えさせる良著でした。
末期がんで亡くなった患者の安曇さんから一止への手紙には涙が流れました。
直接的には、「地域医療」とは何かを考える良著でした。
主人公の一止は、内科医として、長野県のある民間の総合病院(本庄病院)に勤務しています。
365日、24時間医療を標榜している本庄病院には、様々な患者が運ばれてきます。
一止は、大学病院に戻るよう説得を受けます。しかし、一止の出した結論は、本庄病院に残るというものでした。
大学から本庄病院に派遣されている友人の次郎との会話です。
次郎「大学病院の件はどうなった?」
一止「大学病院には安曇さんのような患者はおらんのだな」
次郎「治療のできない患者を看取るのは大学の仕事じゃないからな」
一止「高度医療とやらを学んでいる間にも、そんなものを必要としない患者たちがひとりぼっちで死んでいるのは事実だ」
私は、この下りを読みながら、ある医療関係の学習会で、宇部市内の民間病院の同世代の外科医が、「手術に臨む前には、サムライのような気持ちになる。今日、倒れるかも知れないと考えながら日々を送っている」「私がこの病院からいなくなれば、この病院の救急は出来なくなるだろう」という趣旨の話をされていたのを思い出しました。
今日も、宇部市で、県内で、全国で、患者さんと向き合い、格闘しているドクターがいることを想います。
大学病院の高度医療にも、地域医療にも、日本はもっとお金をかける時です。
私は終わったばかりの6月県議会で国保問題を取り上げました。その中で、宇部協立病院へ受診された患者さんのケースを出しました。
資格証明書発行世帯の方で、体重が激減し、親戚が病院に連れていった時には、胃がんだと診断されたケースです。
このように、患者の症状が重篤化する背景にも、医療制度の貧困さがあります。
国民が元気で長生きできる社会。医療従事者が生きがいをもって働きつづけることのできる社会。
こんな社会を実現していくために、私が県議会で発言を続けようと決意を新たにしました。
今、おこなわれている選挙でもこの事が大きな争点の一つなのかも知れません。
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