藤本かずのりサポーターズ はじめました

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政府交渉

 20日、日本共産党山口県委員会が行った政府交渉に参加しました。

 厚生労働省が9項目、総務省が6項目、防災問題が2項目、国土交通省が9項目、防衛省が5項目、農林水産省が7項目、文部科学省が6項目、経済産業省が1項目と交た渉は多岐に渡りました。

 私が参加した省庁交渉の特徴を報告します。

 新型インフル対策については、ワクチン接種への低所得者への配慮を行うと担当者は明言しました。原則費用の免除が検討されているのは、生活保護世帯と住民税非課税世帯とのことでした。

 総務省の交渉では、地デジ対応の問題でいくつかの前進がありました。今年の10月から低所得者(NHKの受信料免除世帯《生活保護世帯、障がい者手帳保有者、住民税非課税世帯など》)に無料でブースターが配布されることになったとのことでした。配布世帯は260万世帯になるとのことでした。

 防衛省での交渉では、FCLP問題が議論になりました。訓練終了後夜間、岩国基地に帰ってくるような運用にならないように米側に求めることを担当者が約束しました。

 国交省の交渉では、直轄事業負担金の維持管理費についてH22年度の概算要求においてないものとして考えていくと担当者が明確に答えました。

 文部科学省では、学力テストについては、H22年度から抽出方式にすると担当者が明確に答えました。規模は、全体の40%程度を考えているとのことでした。

 経済産業省では、上関原発を議論しました。9月18日、経済産業省電気ガス事業部長が中電社長に「不測の事態が起きないように」と口頭で伝えたことが明らかになりました。

 政権交代で、国の政策が大きく動いていることを実感する交渉となりました。

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 仁比参議院議員(右端)も参加して交渉が行われる

大連・瀋陽

 今日午後、東京に行きます。明日は、政府交渉。明後日は山形で会派の視察です。

 また、しばらくブログの更新が出来ません。国内ですので電話は大丈夫です。

 さて、そういう事情もあって、中国旅行の残りの報告を今日で仕上げます。

 報告していない残りの都市は、大連と瀋陽です。

 まず、大連は、二日目の午前中に見学しました。

 大連では、中山広場にある旧大和ホテルを見学しました。

 この周辺の建物は、日本統治時代とほとんど変わっていません。中国政府が丁寧に使い続けています。

 見学した旧大和ホテルは、今は、「大連賓館」という名称ですが、今もホテルとして活用されていました。

 私たちは、李香蘭もここでコーヒーを飲んだという喫茶室に入りました。吹き抜けの天井が印象的でした。

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   集合写真の後ろが、旧大連大和ホテルです

 大連で次に訪ねたのが、大連港です。引き揚げ船がここから舞鶴に向けて出港した場所です。

 この港は、ロシアが設計したものですが、日露戦争後は、日本が統治し、整備も行いました。

 見学したのは、旧港と呼ばれる場所で、4バースしかありませんが、東側に新港が整備中で完成すれば、合計で108バースの港になるそうです。

 説明してくれた港の職員によると新港の最大の水深はマイナス27メートルあるそうです。

 彼女は、「5年後には、大連港が取り扱い貨物量で世界一になると確信している」と話してくれました。

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  写真右の建物は、1924年に竣工したものです

 三日目の午後に、瀋陽を見学しました。

 瀋陽では、忘れてはならないのが、柳条湖に建てられた「9・18歴史博物館」です。

 ここから日中戦争が始まりました。中国人にとっては、抗日の原点と言える場所です。

 1931年9月18日、奉天に向かう満鉄の急行列車が通過する直前に爆弾が爆発しました。

 この爆弾は関東軍が仕掛けたものであることは、今日では明かな事実となっています。

 記念館の展示や車内での趙さんによる説明などで日中戦争に向かう歴史がよく理解できました。

 柳条湖事件の前には、張作霖爆殺事件も日本軍が行った事件であることが分かっています。

 また、柳条湖事件の後に起きた盧溝橋事件も同様の手法で日本軍が行った事件であることも分かっています。

 しかし、この場所をいかに中国人は、忘れられない場所にしているのかが現地に行ってよく分かりました。

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 柳条湖事件当日のカレンダーを模したモニュメント

 瀋陽では、世界遺産にもなっている故宮も訪ねました。

 故宮に到着したと同時に雨が降り始めましたが、概略を見学することが出来ました。

 この建物は、清の時代に、王宮として建てられたものです。北京故宮は9999もの部屋があるそうですが、ここは、333の部屋数です。

 しかし、当時の清の力と文化を十分に感じることが出来る建物でした。

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 雨の瀋陽故宮。雨と同時に夕方のようになりました

 大連・瀋陽と、満州統治統時代の中心都市を見学しましたが、十分にその歴史を満喫することが出来ました。

 同時に、今を生きる中国の都市として大きく発展している勢いを感じました。

 大連でも瀋陽でも街のあちらこちらで再開発が行われていました。そして、世界中の高級車を散見する旅でもありました。

 日本中国友好のためにとても有意義な旅となりましたし、今の中国を知る旅としても有意義でした。

撫順

 昨日の予定を変更して、今日は、先日の中国旅行の中で、三日の午前中に訪ねた撫順のことを報告したいと思います。

 明日、大連と瀋陽の様子をまとめて報告しましょう。

 それほど、私には印象深かったからです。

 二日目の夜に、大連から瀋陽に移動しました。三日目の朝は、8時にホテルを出発して、撫順に向かいました。

 撫順では、まず、現在の操業している撫順炭鉱の露天掘りの様子を見学しました。東西の長さ6.6キロ、南北の長さ2.2キロ。深さ500メートル。

 現在でも年間260万トンの石炭を産出している現役の炭鉱だとガイドの趙さんが説明します。

 しかし、この炭鉱も後20年で掘り尽くすことが想定され、政府は、今からそのための準備をしているとのことでした。

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  手前の線路の下は、露天掘りの底に至ります

 次に訪れたのが、平頂山惨案遺跡を見学しました。

 満州が建国されて間もない1932年9月16日、日本の独立守備隊は、「抗日ゲリラと内通している疑いがある」としてこの地域の炭坑で働く400世帯、3000人の住民を集め、皆殺しにしたのでした。

 生存者は、わずか数十名に過ぎなかったそうです。

 平頂山では、まず、人骨がそのまま保存されている「記念館」を訪ねました。

 数十メートルに、わたって人骨が折り重なっている様子がそのまま保存されています。

 所々、死体を置くガソリン桶の後もl残っています。壮絶の極みです。

 日本中国友好協会山口県連合会として、花輪をお供えしました。

 私は、「二度と同じ過ちを繰り返さないように」と記帳しました。

 そして、2006年に完成したばかりという資料館にも足を運びました。

 中には、この事件を再現した映像もありリアルでした。

 事件が起きた前日は、「中秋節」で中国人は月餅を食べ、家族でお祝いを行う日でした。

 その喜びもつかの間、「写真を撮ってやる」との口実も使った虐殺でした。

 記念館の展示物の後半に、この平頂山事件を日本で最初に明らかにしたのが本多勝一氏だとありました。

 妻は、本多勝一ファンです。帰国して本多勝一著「中国の旅」を妻から借り、「平頂山」の章を読みました。

 この中に、当時12歳で生き残った韓さんが実際に見たという惨状の様子が描かれています。

 「韓さんから数メートル離れて、一人の赤ん坊が、死んだその母の乳房に抱きついて泣いていた。兵隊はこの乳児を銃剣で突き刺すと、そのまま空中に放り上げて捨てた」

 まさに人を鬼にしてしまうのが戦争なのだということを、現場で、そして、本多氏の本で再認識しました。

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 発掘された人骨がそのまま保存されています

  

 撫順の最後は、日本人の戦犯者が収容された撫順戦犯管理所を訪ねました。残念ながら改修中で、中には入れませんでしたが、合計で1109名の日本兵が収容されていた場所です。

 ガイドの趙さんは、「戦犯者には、改心させることを重視し、一人も殺すことなく最後は、全ての人を解放した」と説明した言葉を忘れることはできません。

 この収容所には、「ラストエンペラー」の溥儀と弟の溥傑も入っていたそうです。

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 改装中の為、残念ながら入ることは出来ませんでした

 平頂山の記念館の出口には、大きく「前事不忘 後事之師」と書かれてありました。

 日本の将来のためにも、「平頂山事件」のことを忘れてはならないと痛感しました。

  

 

 

旅順

 14日からの中国旅行から先程帰ってきました。生まれて初めての海外旅行は知的刺激がいっぱいでした。

 日程は、14日は旅順。15日は、大連。16日の午前は、撫順。午後は、瀋陽をそれぞれ見学しました。

 今日は、旅順。明日は、大連。明後日は、撫順と瀋陽の様子を報告することにします。

 14日、私たちを乗せ福岡空港を発着した中国南方航空の飛行機は、中国時間で午後2時30分に到着しました。

 現地ガイドの趙さんは、満面の笑みで私たちを迎えてくれました。貸切バスに乗り込み、私たちは、一路、旅順に向かいました。

 まず、訪ねたのが「旅順万忠墓記念館」です。

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 この墓の周りには、今も多くの遺体が眠っています

 日清戦争の最中の1894年11月26日から3日間。日本軍は、旅順の人々を約2万人虐殺しまた。

 遼寧政治経済学院の李乗剛教授の「万人坑を知る―日本が中国を侵略した史跡」によると、虐殺されて人々は、清の兵士が2500人、平民1万8千人だったとあります。

 死体を13日間ガソリンなどで燃やしたと趙さんは説明しました。日本軍は、記念館のある白玉山の東麓に、「清の将士戦死の地」という木の碑を建てました。

 これは、平民を殺した罪を隠すものでした。大虐殺が行われて100年後に、この地に、中国政府によって万忠墓が建てられました。

 小林慶二著「観光コースではない『満州』」に、「『もし』、日本軍が旅順虐殺の真相を究明し、責任者を処罰していれば、『南京大虐殺』は防げたのではないか」と書かれてあります。

 私も現地に立って、その想いを深めました。日本が中国へ侵略し、大虐殺を行った起点がここにあることを実感しました。

 次に、伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根が入獄していた旧旅順刑務所を見学しました。安重根の死刑が執行された部屋も見ることが出来ました。

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 安重根のために特別に作られた死刑執行の部屋

 実は、この旧刑務所に日本人の入所が許されたのは今年の6月からだそうです。カメラの撮影も許されました。

 伊藤は日本では明治維新を成功させた功労者ですが、韓国にとっては、侵略を進めた張本人です。安は、日本では、「暗殺者」ですが、韓国では「英雄」であることが分かりました。

 歴史を複眼で見る重要性をここで学びました。

 旅順の最後に、日露戦争の戦跡を見学しました。まず、203高地。標高203メートルあることから、203高地と呼ばれている所です。

 本当の標高は、206メートルあったそうですが、砲撃により、203メートルになったそうです。

 そして、東鶏冠山のロシア軍の要塞跡を見学しました。

 ロシア軍は山の中腹に巨大な溝を掘りました。この施設は、転落してきた日本兵を要塞の中から狙撃するためのものです。

 この要塞全体で3000人の部隊がいたといいます。

 戦争とはいかに惨いものかということがよく分かりました。

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 東鶏冠山に残るロシア軍の要塞の内部です

 旅順は、日清・日露戦争の起点になった場所でした。現地に立つと歴史の鼓動が聞こえるようでした。

 

前事不忘 後事之師

 史記に、「前事不忘 後事之師」という言葉があるそうです。過去の出来事(失敗)を忘れずに、将来の教訓にしようという意味です。

 私は、今日から、3泊4日で、中国東北部(旧満州)を旅します。産まれて初めての海外旅行となりますが大いに学んでこようと思います。

 「もし」日本が、同じ過ちを繰り返そうとしているならば、その原点に立って将来の教訓にする必要があります。そんな事を現地に立って感じることが出来ればと思います。

 日本中国友好協会山口県連合会主催の旅です。私が会長ですので、その責任も果たし、19名が元気に帰国できるようにと思います。

 旅行中は、携帯電話が通じません。(準備不足の為)様々ご迷惑をお掛けしますが、夕方自宅にお掛けいただくか、メールにてご連絡下さい。よろしくお願いいたします。

 それでは、初めての海外旅行を楽しんできます。本ブログも少々お休みします。次回は、帰国した土曜日に更新したいと思っています。

 その時に、お土産話をお伝えします。

山崎豊子作品の映像化が目白押し

 この秋は、山崎豊子の作品の映像化が目白押しです。

 今週の木曜日からテレビドラマの「不毛地帯」がはじまります。

 今月24日からは、映画「沈まぬ太陽」の公開がはじまります。

 「不毛地帯」の主演は唐沢寿明。「沈まぬ太陽」は渡辺謙。どちらもとても楽しみです。

 山崎豊子作品は、「大地の子」ですっかりファンになり、NHKのドラマも毎週楽しみに見ていました。

 「沈まぬ太陽」は刊行と同時に、妻と争うように本を取り合いながら読んだのを思いだします。

 「不毛地帯」は実は、読んでいませんが、この秋、移動の車中で読み進めていこうと思います。

 実は、明日から3泊4日で、中国に行ってきます。

 来週は、月、火、水と国会交渉と会派の視察です。再来週は、水、木、金と県議会総務政策委員会の視察です。

 あちこち飛び回りますが、列車の中での読書は格別です。しかし、不毛地帯も全5巻ですから、全部読みとおすことが出来ますことやら。

 山崎豊子と一緒に、今年の秋を満喫したいと思います。

 皆さんも山崎豊子作品の感想をお聞かせください。