今日は、私の誕生日です。53歳になりました。
誕生日が年末ということもあり、誕生日に今年1年を振り返ります。
今年の私にとってのベストスリーの出来事は何でしょうか。
第一は、何といっても総選挙の中国ブロック比例候補になったです。
中国各地で頑張っている若い仲間に出会えたことが私の大きな励みになりました。
第二は、姪の結婚式のために、沖縄に行くことができたことが、大きな経験となりました。
議員時代に何度も訪ねた沖縄でしたが、「不屈館」に行けたことや、じっくり「ひめゆり平和祈念資料館」を見学できたことなどが大きな経験となりました。
第三は、PTA全国表彰を受けたことですね。
長男が今年20日ですから、PTA活動14年目になるのでしょうか。
今年度で、山口県PTA連合会の役員と宇部市PTA連合会会長を降り、節目となる年でした。
現在、厚南中PTA会長と香川学園父母会副会長を務めています。子どもたちが高校を卒業するまで、可能な役割を果たしていこうと思っています。
そして、今年も多くの本と出合いました。
今年は中島岳志さんの「親鸞と日本主義」など様々な仏教関係の本で出会いました。
また、丹羽宇一郎さんの「戦争の大問題」など様々なアジア太平洋戦争に関する本に出会いました。
年末年始は、二人のノーベル文学賞作家の本をじっくり読みたいと思います。
一人は、今年度の受賞者「カズオ・イシグロ」、もう一人は、2015年の受賞者「スヴェトラーナ・アレクシエービッチ」。
今年一年お世話になった全ての皆さんに感謝いたします。
健康で一年過ごせたことは家族のおかげだと感謝しています。
53歳の1年は、県議復帰のかかった1年になります。
しっかり、その任を果たしていきたいと思います。
日々の本ブログの更新が私の生きる励みになっています。
もうすぐ300万アクセスとなります。
今後とも、本ブログのご愛顧をよろしくお願いいたします。
引き続き、要望・ご意見をお聞かせ下さい。
鎌田實著「忖度バカ」に2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アクレシエーヴィチさんのことが書かれてありました。
鎌田さんは、彼女についてこう書いています。
「1983年にこの本(『戦争は女の顔をしていない』)の原稿を出版社に渡したとき、『英雄的ソ連女性のイメージを失墜させる』と当局から非難され、2年間出版を差し止められました。次に『私は村を出た』を書くと、反体制派というレッテルを貼られました。ベラルーシ共和国はルカシェンコが20数年大統領を続けています。ソ連が崩壊し、一時、自由な空気が広がったのに、一強というシステムがこの国の進歩を止めました。一強が忖度バカを生んで、国力を落としていきます。他山の意思にしなければなりません。先制君主のいる国で、アレクシエービッチは忖度なんてまったくしていません。ひっそりと生きる小さきものに目を向け、闇に葬られたものを掘り起こしていきます。人々が心の奥深くにしまって語らずにいた記憶を本にし、フッ化させないようにしてきました。権力がつくる歴史は嘘をつきますが、『小さき人々』の言葉をきちんと書き込むことで、国家の意思や思惑とは違う真実をあぶりだそうとします。」
私は、是非彼女の作品を読みたいと思い、今、「戦争は女の顔をしていない」を読んでいます。
この作品は、第二次世界大戦時、ソ連が戦場に送り込んだ元女性兵士に取材した作品です。
この作品を書こうとする彼女の想いが、書かれています。
「悪は善より多様で、人を引き付ける。ますます深く戦争の無限世界に身をひたすと、ほかのすべては色あせて、さらにあたりまえのことになってしまう。戦争の世界は恐ろしく獰猛だ。」
「戦争のことを聞いただけで、それを考えただけでむかつくような、そんな本が書けたら。戦争のことを考えるだけでぞっとするような、そういう本を。将軍たち自身が吐き気おもよおしてしまうような本を。」
南京事件から80年。日本では今なおこの事件を否定する言論がふりまかれています。
このような時代だからこそ、スヴェトラーナ・アクレシエーヴィチの作品を読みたいと思いました。
忖度せずに、戦争の真実を知ることが、私たちの未来にとって今必要だと感じます。
スヴェトラーナ・アクレシエーヴィチファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。
この間、カズオ・イシグロの映画化作品を二つ観ました。
一つは、2010年公開「わたしを離さないで」。
二つは、1993年公開「日の名残り」。
二つの映像化された作品を観て、今、原作を読み進めながら、カズオ・イシグロの世界を少しづつ理解しつつあります。
2017年10月、カズオ・イシグロへノーベル文学賞が授与されました。
受賞理由は「偉大な感情の力をもつ小説で、わらわれの世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」とあります。
「カズオ・イシグロ読本」の中で、日本文学研究者の助川幸逸郎さんは、「私たちの生が抱える原理的な不自由。そのことを、『運命の囚われ人』になった存在をえがくことでイシグロはしめす。」
私は、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」と「日の名残り」しか、しかも部分的にか知らない者でしかありませんが、助川さんの解説に納得しました。
「わたしを離さないで」でイシグロ氏は、「提供者」としての将来しか展望できない人々の短い青春を描いています。
「日の名残り」でイシグロ氏は、執事として「屋敷」に一生使える人々の喜怒哀楽を描いています。
「提供者」も「執事」も「運命の囚われ人」として理不尽な生をイシグロ氏は描いています。
大野和基さんの「知の最先端」の中で、イシグロ氏は、「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか」だと述べています。
徹底して「運命の囚われ人」を描写する中で、私たちは、自分を主人公に投影し、「自分」の在り方を深く考えるのでしょう。
イシグロ氏の作品は、声高に「こうあるべき」と方向性を示すのではなく、徹底して不自由を描くことで、読者に「どう生きるべきか」考えさせるものなのかも知れないと思いました。
「日の名残り」にこのような文章が出てきます。「昨日までその執事に賛辞を贈ってきた召使たちがどうするかといえば、今日はもう誰か別の人物を誉めたたえるのに忙しくて、自分の判断力を疑ってみる暇さえありません。」「目標を定めると、そのヒーローの執事論を鵜呑みにし、それを無批判に繰り返すのです。」
先日紹介した「赤狩り」の帯に「『自分の筋は飽くまで貫き通す』『保身のためなら魂を投げ売る』あなたはどちらの生き方はどっち?」とあったのを紹介しました。
二者択一できないのが人生でしょうが、不自由な人生ですが、今の自分をみつめ直し、「こう生きたい」とイシグロ氏の文章は考えさせてくれます。
この冬は、イシグロ作品にじっくり浸りたいと思っています。
カズオ・イシグロ作品に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
13日、広島高裁が、四国電力の伊方原発3号機の運転差し止めを命じる決定を出しました。決定では、同原発から約130キロの距離にある阿蘇山の噴火による影響を指摘し、伊方原発の「立地は不適」と断じました。火山国・日本で原発を動かすことが、いかに危険であるかを司法がきびしく警告したものです。
決定では、原子力規制委員会が審査でもちいうる「火山影響評価ガイド」を厳格に適用し、原発から160キロ内の火山の噴火規模を推定できない場合は、過去最大の火山を想定するとしました。四国電力が行った地質調査などを見ても、約9万年前に起きた阿蘇カルデラでの巨大噴火で「火砕流が伊方原発敷地に到達した可能性が十分小さいと評価することはできない」と原発の「立地は不適」と結論づけました。
高裁の考え方に立てば、阿蘇カルデラと陸続きの九州電力川内原発や玄海原発や山口県に計画されている上関原発の立地の是非も改めて問われることになります。
阿蘇カルデラの巨大噴火で「火砕流が上関原発敷地に到達した可能性が十分小さいと評価することはできない」と言えなければ、高裁の考え方を引用すれば、上関原発の「立地は不適」となるのではないでしょうか。
上関原発と阿蘇カルデラ巨大噴火の関係についても高裁判決を受けて大いに議論していく必要があると感じました。
県知事選挙で市民と野党の共同候補として立候補しているくまのゆずるさんは、「『公有水面埋立免許』の延長は認めず、上関への原発建設は中止させます」との政策を掲げています。
伊方原発運転差し止め決定を受けて、上関原発の是非が、こんどの県知事選挙の大きな争点になってきたと思います。
知事が変われば政治が変わります。
上関原発ストップの願いをくまのゆずるさんに大きくお寄せ下さい。
伊方原発運転差止決定を皆さんはどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。
12月17日号の「しんぶん赤旗」日曜版の文化欄で漫画評論家の石子順さんが「山本おさむ『赤狩り』第1巻」を紹介しています。
山本おさむさんは、日曜版で「今日もいい天気」を連載中の日本を代表する漫画家の一人です。
「赤狩り」は小学館の「ビックコミックオリジナル」で今年5月から連載が始まり、単行本の第一巻がこの程発売されました。
赤狩りについて石子さんは「1947年のハリウッドに吹き荒れた反共主義者の理不尽な攻撃と人間の良心の抵抗」と解説しています。
石子さんはこの記事で「山本おさむの画力と構成力がドラマチックに『赤狩りは国益』と強行する側と抵抗する者、揺れる者、卑劣なFBI、挫折する共産党員などの行動を描きあげる。そのかなさりあい、ぶつかりあいが映画のような感覚で展開されていく。」「山本おさむは『赤狩り』というハリウッドの恐怖を、21世紀に描いて今日のアメリカと日本の現実を考えさせる。いまこのような恐怖は現実にないのかと、勇気ある問いかけに漫画家として命がけで挑戦したのだ。その想いがトランボたちの人物や公聴会、撮影所などを描くペンの線に乗り移って勢いよくほとばしっている。権力の弾圧に対する映画人の知恵とたたかいはまだ始まったばかりだ。」と書いています。
早速、「赤狩り」1巻を読み終えました。
漫画の冒頭、「ローマの休日」(53年)「エデンの日が日」(55年)「猿の惑星」(63年)に「赤狩り」にまつわる物語が地下鉱脈のように流れているとあります。
3本の映画とつながりを今後明かされていくのが楽しみでしかたありません。
「赤狩り」の中で、「そもそも政治が映画表現の自由に土足で踏み込んでくるのがけしからんじゃないか!これを許したら政治家の意図通りのプロパガンダ映画しか作れなくなる」と映画関係者が語るシーンがあります。
総務大臣が放送局の「電波を止める」ことがあり得るとの発言がこの間ありました。
鎌田實さんの「忖度バカ」を読んだばかりですが、今、安倍政権への忖度が言論や表現の自由を侵している傾向はないでしょうか。
「赤狩り」は「いまこのような恐怖は現実にないのか」深く考えさせてくれる名作です。
赤狩りを描いた映画も多数発表されています。
2015年には、ジェイ・ローチ監督の映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」が作成されています。
漫画「赤狩り」でもトランボ氏は重要な登場人物の一人として描かれています。
DVDで映画「トランボ」を視聴したいと思います。
漫画の帯に「『自分の筋は飽くまで貫き通す』『保身のためなら魂を投げ売る』あなたが選ぶ生き方はどっち?」とありました。前者であろうとする私に漫画「赤狩り」は大きな勇気を与えてくれます。
次回の単行本が発行されるまで、ビックコミックオリジナルや映画「ローマの休日」「エデンの東」「猿の惑星」を観ながら待つことにいたします。
山本おさむさん素晴らしい作品をありがとうございます。次回の単行本の発行を楽しみに待っています。
私は、2007年3月に山口戦争体験を記録する会が発行した「私の戦争体験13」に、「ラムサール条約湿地登録への道-戦中・戦後の軍隊と秋吉台の歴史-」という小論を書きました。
2005年11月、「秋吉台地下水系」がラムサール条約に登録されました。
私はこの小論で「もし、あの時、秋吉台が米軍の演習場になっていたなら、今日の好機は訪れなかったでしょう。」と書きました。
私は、この小論で、秋吉台が戦前は、旧日本陸軍が実弾射撃演習場(大田演習場)として使用していた事実を書きました。
そして、私は、この小論で、1946年、秋吉台をニューランド陸軍部隊が旧日本陸軍が使用していた演習場を強制接収し、1949年まで実弾射撃訓練をしていた事実を書きました。
1955年、在日米海軍航空部隊が対地爆弾演習場として使用したいと打診してきました。
小沢太郎山口県知事は、「満足願える回答は致しがたき」と拒否をする回答を行いました。
同年5月には、美東町・秋芳町第一回総決起集会が開催され、「大田演習場接収解除促進期成同盟」が発足しました。
県内外の政党た民主団体を始め、科学者団体が期成同盟会をバックアップしました。
その結果、1957年12月、「大田演習場」の美東町への返還式が、岩国米海軍航空基地司令長官列席のもと行われ、「秋吉台太田演習場全面接収解除」が完結しました。
私は、戦後、米軍演習場にさせなかった住民のたたかいに今、大いに学ぶ必要があると思いました。
陸上自衛隊の萩市むつみ演習場に「イージス・アショア」が建設されようとしていることは本ブログに連日書いている通りです。私たちの孫子に「何で大人はあの時に『イージス・アショア』を認めたのか」と言われてはなりません。
子どもたちにへ平和な山口県を届けるために、「イージズ・アショア」の建設をストップさせる取り組みを強めていきましょう。
秋吉台のたたかいで思うのは、当時の小沢知事の態度です。
残念ながら今日の村岡県政は、「アベ県政」と言わざるを得ず、国の悪政を補完する判断ばかりが目立ちます。
アメリカと国に「満足願える回答は致しがたき」と堂々と住民の立場を貫き秋吉台を米軍の演習場にしなかった当時の小沢知事の判断は今日的に大いに評価できるものだと感じます。
県知事選挙を通じて、県内で顕著な軍事力の拡大の動きに県民の声を示していきましょう。
岩国基地の際限のない機能拡大と萩市への「イージス・アショア」の建設に、秋吉台を守った住民のたたかいに学び、県民の平和を求める声を大きくしていく時だと感じます。
秋吉台が戦後、米軍の演習場になろうとしていた歴史をどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。