24年度「山口ならではの特別な体験創出支援事業補助金」(以下、体験創出補助金)の受付が、6月28日を期限に行われています。事業実施主体は、山口県観光連盟です。補助率は4分の3以内、補助上限額は1億円。補助率が異例に高い補助事業です。本補助金の在り方への検証が必要です。
体験創出補助金は、23年度にスタートしました。23年度は、次の3件の事業が採択されました。①山口市秋穂二島でのグランピング事業②光市・平生町でのサウナとクルージングなどの事業③長門湯本温泉周辺での事業。
その内①秋穂二島での事業②光市・平生町での事業の進捗状況に疑問の声があがっています。
まず、秋穂二島での事業です。情報公開で開示された資料では、この事業は、1年間の事業となっています。補助金公募要領には「令和5年度内(23年度)で事業完了する場合、令和6年(24年)3月末までに完了する」とあります。しかしながら、事業者が地元住民に示した資料に「(25年)3月オープンを予定している」とあります。私は、県観光スポーツ文化部に「23年度に事業を完了させるとの要領で交付金が支給された事業であるのに24年度末に事業をオープンさせるというのは、要領違反ではないのか」などの照会を行っています。
山口市秋穂二島でのグランピング事業が計画されている場所(6月7日時点)
次に、光市・平生町での事業です。主なものは、サウナとクルージングです。情報公開で開示された資料には、事業者は、クルーズ船購入を計画に盛り込んでいます。地元漁協は、本事業者による平生漁港での桟橋設置を許可しない方針です。補助金の半分以上を占めると思われるクルーズ船運航の見通しが立たない事業に補助を行ったのであれば問題です。公募要領に「補助の決定の後生じた事業の変更等により、補助対象事業等の全部または一部を継続する必要がなくなった場合」既に交付している補助金の全部もしくは一部の返還を命じることがある」とあります。要領に基づく精査が必要です。
私は、6月県議会で、体験創出補助金の問題点について質疑する準備を進めています。
体験創出補助金に対する情報やご意見を至急、藤本までお寄せください。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙は、文部科学省の調査で、自治体の4割で何らかの給食無償化を実施していることが分かったと次のように報じました。
「文部科学省は12日、小中学校などの学校給食に関する全国調査の結果を公表しました。2023年度の時点で調べたところ、予定を含め同年度中に全国775自治体(全体の43%)が何らかの形で給食費を無償化。経済的負担の軽減を目的とするケースが目立ちました。公立学校の給食費の全国平均を国立や私立にも当てはめた場合、費用は全体で年間約5100億円になるとの試算も示しました。調査は、政府の少子化対策『こども未来戦略』に基づき、無償化する上で児童生徒間の公平性の課題などを洗い出すため実施。自治体による無償化の対象や要件を含め調べました。調査結果によると23年9月時点で無償化を実施していると回答したのは722自治体。うち547自治体は小中学校全員を対象にし、17年度調査の76自治体から大幅に増えました。145自治体は多子世帯に限定するなど一定の要件を課していました。複数回答で目的を尋ねたところ、『経済的負担の軽減』が最多の652自治体で、『少子化対策』は66自治体。財源は自己財源が最も多く、国の地方創生臨時交付金などが続きました。23年5月時点の給食実施率(学校数ベース)は、小学校全体で98.8%、中学校は89.8%。公立が小学校99.5%、中学校97.1%だったのに対し、私立は小学校43.4%、中学校8.2%でした。給食費の無償化は日本共産党が各地で市民とともに要求し、運動をすすめています。」
県内でも多くの自治体で小中学校の学校給食の無償化が進み、宇部市などで無償化を求める署名活動が取り組まれています。
都道府県でも無償化を行う自治体を支援するところが増えています。
県内の市町で学校給食の無償化を進めるために、山口県が自治体を支援する制度を創設するよう、引き続き、県議会で要望を行っていきたいと思います。
11日、朝日新聞は、夫婦別姓導入を経団連が提言したと次のように報じました。
経団連は10日、選択的夫婦別姓制度の早期導入を政府に求める提言を公表した。ビジネスの現場では旧姓の使用が進むが、弊害も多く出ているとして、夫婦別姓を認めるべきだとした。主な政党で制度導入に反対しているのは自民党だけで、主要経済団体からの提言を受け、導入への動きが強まる可能性がある。日本では民法で夫婦同姓が定められ、95%の夫婦は妻が改姓している。提言では旧姓を通称として使うことは定着したが、通称では口座やクレジットカードを作れないなど『解決できない課題も多い』と指摘。通称使用は日本独自の制度のため、海外では理解されづらく、不正を疑われるなど『トラブルの種になることもある』とした。こうした弊害は当事者がキャリアを築いていく上での障壁になるだけでなく、『女性活躍の着実な進展に伴い、企業にとってもビジネス上のリスクとなり得る事象であり、企業経営の視点からも無視できない重大な課題』と主張。課題を解消するため、『政府が一刻も早く改正法案を提出し、国会において建設的な議論が行われることを期待したい』と求めた。経団連は今年に入ってから政府に導入を求める動きを始め、正式に提言をまとめた。希望すれば夫婦どちらも姓を変えずに結婚できる選択的夫婦別姓をめぐっては、法制審議会(法務相の諮問機関)が1996年に導入すべきだと答申。民法改正案が準備されてきたが、自民党内で反対の声が強く、国会提出には至っていない。経団連の十倉雅和会長はこの日の定例会見で『女性の社会進出が進んできたことを考え、スピーディーに議論をしていただきたい』と求めた。一方、林芳正官房長官は会見で、選択的夫婦別姓の導入について『関係団体からの提言などを含め、国民各層の意見や国会における議論の動向などを踏まえ、対応を検討していく』と述べた。世界で夫婦別姓が強制されているの国は日本だけだ。最高裁は15年と21年、選択的夫婦別姓を認めない現行制度を合憲としつつ、『国会で論ぜられ、判断されるべき』と指摘した。」
NHK朝の連続テレビドラマ「虎に翼」では、先週、寅子が、民法改正の事務に携わったことが放送されました。
明治憲法下の民法で夫婦は同じ氏を称することが定められました。
戦後の民法で夫又は妻の氏を選択できることになったとはいえ、夫婦同姓が強制され続けています。
上記の報道にあるように、世界で、夫婦別姓が強制されているのは日本だけの状況は改善が必要です。
先般、日本共産党の小池晃書記局長が国会で、選択的夫婦別姓について、共産党と経団連が同じ見解であることを「皆既日食」に例え、制度導入を岸田首相に迫りました。
最高裁判決通り、経団連の提言を受け、国会で、選択的夫婦別姓を導入すべく、議論を開始すべき時です。
経団連が選択的夫婦別姓導入を提言しました。この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
厚南地区の方から、地区内で改善してほしい箇所があるとの要望を受けました。
第一は、市道西宇部妻崎線と市道上中野線との交差点の横断歩道の白線が消えかかっているという要望です。
厚南地区の市道交差点の横断歩道の線が消えかかっています。
10日、宇部警察署交通課に要望を伝えました。
担当者は、「現地を確認して、後日、回答する」と答えました。
第二は、市道西宇部妻崎線の歩道の改良についてです。
歩道部分に舗装が切断されたまま残っている箇所があります。
市道の歩道部分に舗装が切断されたままになっています。
10日、宇部市道路整備課に要望を伝えました。
担当者は、「業者と今後の対応を協議中である。方針が決まった段階で回答する」と答えました。
第三は、市道横曽根迫条線についてです。
白線より内側の緑の帯が薄くなっています。
市道の白線の内側の緑の線が消えています。
歩道の内側に緑の帯の線を引きなおしてほしいとの要望を伝えました。
担当者は、「水道やガスの工事などが行われた場合の埋め戻す場所は、緑の線を引くよう指導している。埋め戻し工事がない箇所を含めて緑の線を引きなおす計画は現時点ではない。要望はお聞きした」と答えました。
引き続き、皆さんの要望をお聞かせください。
木寺一孝著「正義の行方」に触発されて、ノンフィクション作品である塩塚陽介著「すくえた命ー大宰府主婦暴行死事件ー」を読みました。
本書の出版元である幻冬舎のホームページにある作品紹介を引用します。
「2019年10月、福岡県・太宰府市で平凡な主婦の凄惨な遺体が見つかった。『大宰府主婦暴行死事件』と言われるこの事件は、被害者を洗脳し、暴行を繰り返し、死に至らしめた犯人の非道、残虐さもさることながら、被害者家族から何度も相談されていたにもかかわらず向き合わなかった、鳥栖警察署の杜撰な対応が問題視された。その事件を追った報道特別版番組『すくえた命ー大宰府主婦暴行死事件ー』は2021年日本民間放送連盟賞番組部門・テレビ報道最優秀賞を受賞。(2023年 藤本記す)12月13日発売の本書はその番組づくりに取り組んだ、テレビ西日本の塩塚陽介記者による、胸が熱くなるノンフィクションです。」
著者コメントも引用します。
「実は、以前にも書籍化のお話をいただいたことがありましたが、その時はお断りしていました。というのも、事件を掘り返すことで再びご遺族の心理的負担となってしまうのでは?という思いと、私自身も壮絶な取材の日々ですり減っていた心が癒えてしまうわけではなく、当時の出来事を文字化して記憶を鮮明にすることで、再び苦しみの奥底に引きずりこまれてしまうのではないかと恐れていたのです。こうした中、2022年の冬にある『作品』との出会いがありました。それは同じフジテレビ系列局・関西テレビが製作したドラマ『エルピス~欲望、あるいは災いー』。スキャンダルによってエースの座から転落したアナウンサー・浅川恵那(長澤まさみ)と彼女に共鳴した仲間たちが、犯人とされた男の死刑が確定した『未成年殺人事件』の冤罪疑惑を追う中で、一度は失った『自分の価値』を取り戻していくというストーリーなどですが、おそらく私は、このドラマを最も苦しい思いで見た視聴者の一人かもしれません。調査報道という地味で孤独な戦い。他社からは『使命』というありふれた言葉で形容されがちな割に、時には自分の存在意義さえも問い直したくなるほどの重責。ドラマが報道という世界をリアルに表現すればするほど胸が苦しくなりました。しかし、主人公の浅川恵那のある台詞が、調査報道を終えて部所を異動してもなお苦しんでいた私の心を激しく揺さぶりました。『あらゆるものを私利私欲で分解し、すべて惰性へと溶かし込むコンポストみたいなこの現場から、自分の仕事を取り戻してみせますよ。絶対に』この台詞は私が調査報道をやっていた時の職場に対する怒りを表していたのです。1人でどこまで背負うのか?なぜ共に戦ってくれないのか?もはや理解すらされていなのではないか?と。そこで立ち向かっていく主人公に当時の自分を重ね合わせていました。しかし、調査報道を終えて1年以上が経ったこの頃の私はまるで抜け殻のようになっていて、いつしかあの時嫌悪していたはずの『あらゆるものを私利私欲で分解した惰性のような日々』を過ごしていたのです。そんな時、幻冬舎さんから本の執筆依頼が来ました。もしかすると心にべったり張り付いているあの日々を書き残すことで、私自身の中でしっかりとこの事件を着地させ『再びあの頃の自分を取り戻す機会』になるのではないかと思い、お話を受けることにしました。この調査報道は『警察の怠慢で家族が亡くなった』という遺族の訴えを他社より早く聞いたことがきっかけでした。しかし取材を進めると、『佐賀県警の無謬主義の呪縛』『未だに事件化かれていない女性の不審死』『証言者が取材後に犯した殺人事件』等々、この事件が抱えるあまりに深い闇が次々と明らかになり、気力体力共に限界という場面が何度も訪れます。それでも私たちが取材を止めなかった理由はただひとつ。『市民に寄り添わなかった警察の不作為を追求している我々が、遺族に最後まで寄り添わないことはあり得ない』という信念です。私見ですが、大量の情報が物凄いスピードで消費されていく現代社会では、マスコミも大衆ウケする記事をいかに早く提供するかに重きを置いている傾向にあり、『コスパが悪い』このような複雑な事件は社会からもマスコミからもすぐに忘れさられているように思います。その結果『捜査情報の先出しをすることが特ダネ』だと思い、捜査関係者との関係づくりに力を注いで『報道機関に求められた本来の役割』を忘れかけている記者が多くなっていないでしょうか。この本は決して権力と対峙し、過ちを認めさせたローカル局のカッコいい記者たちの話ではありません。助けを求める遺族の苦しみを共に背負い、不器用ながらも共に歩もうとした記者たちの約2年に及ぶ奮闘記です。我々マスコミや警察は何のために国民から力を負託されているのか。この本によって少しでも良い社会となる小さなきっかけになれば幸いです。」
この本は、著者が上記コメントの最後に書いているように、「マスコミや警察は何のために国民から力を負託されているのか。」が示した作品だと思います。
マスコミとはという点では、これも、著者が上記コメントの最後に書いているように、「助けを求める遺族の苦しみを共に背負い、不器用ながらも共に歩もうとした記者たちの約2年に及ぶ奮戦記」を示した作品でした。
本の中で、暴行死させられた瑠美さんの夫である隆さんと作者の塩塚記者が車の中で泣き合うシーンがあります。
瑠美さんの葬儀の日、瑠美さんと隆さんの上の子が「パパごめん、ママを守れんやった」と泣きながら言いました。隆さんは、その当時のことを思い出し、塩塚記者との車中で号泣します。
そのことを思い出して泣く隆さんを見て、塩塚記者は、我が家族をこう振り返ります。
「忙しい母親を助けるため、お姉ちゃんになろうと一生懸命背伸びをしている娘と、甘えたい盛りの息子から母親が突然奪われたら。それだけで胸が張り裂けそうなのに、娘にそんなことばで言わせてしまったら・・・。気が付けば私も嗚咽交じりで号泣していた。」
上記の著者のコメントに、ドラマ「エルビスー希望、あるいは災いー」の中の台詞が出てきます。
「あらゆるものを私利私欲で分解し、すべて惰性へと溶かし込むコンポストのような職場」
作者は、マスコミの現場が今は、こうなっているのではないかと共感したと語っています。
暴行死させられた瑠美さんの夫の言葉に、共感して号泣する記者の姿は、「コンポストのような職場」と化している今のマスコミの中で、私には、希望の姿として感動しました。
次に、本作は、警察は何のために国民から力を負託されているのかを問うているという点です。
本作では、佐賀県警に瑠美さんが生きていた時から、遺族が異変を繰り返し伝えていたという事実に、大きく焦点が当たっています。
本作には、佐賀県警の姿勢を国会と佐賀県議会で追及している場面が繰り返し出てきます。
国会では、日本共産党の田村智子参議院議員がこの問題を取り上げています。現在の田村委員長です。
佐賀県議会では、日本共産党の井上祐輔県議会議員(当時)がこの問題を繰り返し取り上げています。
私も日本共産党の県議会議員として、佐賀県警の不誠実な態度を日本共産党の国会議員と県議会議員が取り上げていたことにとても励まされました。
また、その事実をしっかり取り上げている作者に敬意を表したいと思います。
マスコミも警察も、そして、私たち議員も、日本国憲法に基づいて、国民の人権の尊重と民主主義の発展のために役割を発揮するために力を国民から与えられているのだと思います。
決して、私利私欲のために、それぞれが存在しているのではないことをこの本を通じて学びました。
本書を力に、今日も、県民に寄り添って、しっかり活動していきたいと決意を新たにしました。
塩塚陽介著「すくえた命 大宰府主婦暴行死事件」-多くの方に読んでいただきいたいと思います。
そして、今、引用したコメントで取り上げられたドラマ「エルビス」を観ています。とても良質のドラマだと思います。
6日、しんぶん赤旗日刊紙は、飯塚事件の再審請求に対して次のように報じました。
「1992年に福岡県飯塚市の小学1年の女児2人が殺害された『飯塚事件』で死刑が確定し、執行された元死刑囚=執行時(70)=の第二次再審査請求審で、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は5日、請求を棄却しました。弁護側は即日抗告する方針。死刑執行後に再審開始を認める決定が出れば初めてでした。2次請求審で弁護側は、元死刑囚の関与を否定する新たな目撃証言などが新証拠に当たると主張していましたが、地裁は『証言は信用できない』と結論付けました。弁護側は、事件の当日朝に登校中の女児2人が連れ去られたとされる飯塚市の現場で2人を見たと話した女性が『見たのは別の日』と証言を翻したと主張。女性は記憶と異なる調書を捜査機関に作成されたと訴えました。また、遺体の遺棄時間と近い時間帯に飯塚市内のバイパスで、車に女児2人を乗せて走る男を見たとの男性の証言も提出していました。鈴嶋裁判長は決定で、『女性の調書が作成されたのは事件の捜索が流動的な状況にあった時で、捜査機関が女性の記憶に反する調書を作成する動機、必要性は見いだせない』と指摘。男性の証言については、『面識のない女児2人の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない』などとして退けました。元死刑囚は無罪を主張しましたが、DNA型鑑定や目撃証言などに基づき死刑が確定。執行後の2009年に起こされた1次再審請求審では、鑑定が再審無罪となった『足利事件』と同じ時期、手法で行われたことから、信用性が主な争点となりました。福岡地裁は14年、『鑑定を除いた状況事実を総合した場合でも、元死刑囚が犯人であることに合理的な疑いはない』として請求を棄却。福岡高裁も地裁決定を支持し、21年に再審開始を認めない判断が最高裁で確定しました。
5月30日のブログで、木寺一孝著「正義の行方」を読んだことを書きました。
私は、今日までに、木寺一孝監督の映画「正義の行方」を観ました。
映画のパンフレットで私の敬愛する森達也さんが指摘している通り「見ているあいだ、自分は今、とんでもない作品を観ているとの意識が、ずっと身体の内奥で駆動し続けていた。ここ数年、いや間違いなくもっと長いスパンにおいて、これほどに完成度が高く、そして強く問題を提起するドキュメンタリーは他にはない。」この実感を共有する作品でした。
木寺監督が、映画のパンフレットに「インタビューの合間の映像は電動スライダーを使って絶えず動いており、さらに事件現場を俯瞰して動くドローンも多用し、事件が『動いている』ことを表現しました。」と述べているように、ドキュメンタリー映画を越えた芸術性を感じまた。
映画後半に、飯塚事件を再検証する西日本新聞の特集を担当した記者のインタビューが出てきます。この辺りが小説「正義の行方」に克明に記されています。
現在、西日本新聞の編集委員を務めている中島編集委員のコメントです。
「裁判においてはですね、当たり前のことですけれども、証拠が不十分なら、無罪になるんですよ。無罪にならなければいけないんですよね。疑わしきは被告人の利益になるんですよ。それでいえば、その基準に照らせばですね、死刑にするだけの、十分な証拠があるとは思えない。」
私は、小説と映画を通して、飯塚事件の問題点は、中島編集委員のコメントにつきると思いました。
前のブログでも小説「正義の行方」から西日本新聞の宮崎元記者のコメントを引用しましたが、再度引用したいと思います。
「ひとつの正義に寄りかかるんじゃなくて常に、いろんな人の正義を相対化して、という視点」
私は、飯塚事件にこそ、この視点が必要だと思います。
飯塚事件の判決には、検察の正義に寄りかかる判断となっています。
弁護団が2度目の再審請求を行っている事実を高裁は十二分に検証していただきたいと思います。
中島編集長の「疑わしきは被告人の利益になる」この原則を高裁は、十分に検証していただきたいと思います。
80歳前後となられた弁護団の岩田弁護士、徳田弁護士の真実を解明しようとする姿勢に、映画でも小説でも感銘を受けたとこを最後に述べておきたいと思います。
映画・小説「正義の行方」を多くの皆さんに観て、読んでいただきたいと思います。
飯塚事件から、冤罪問題や死刑制度の問題を皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
そして、これからも動き続けている飯塚事件をしっかり見守っていきたいと思います。
映画・小説「正義の行方」の感想をお聞かせください。