岩国市長が、新庁舎建設への補助金の問題で、防衛庁と交渉を行った記事が、今朝、一斉に報道されています。「岩国市は反対という旗をいったん収め」と発言したとされる真意は、今後慎重に検証するとして、やはり、頭にくるのは、この問題での国の態度です。
昨日も、常盤校区で、議会報告会を行いましたが、井原市長発言を夕方のテレビで見て来られた参加者が、「国の姿勢はけしからん。」と怒りを燃やしておられました。沖縄からの空中給油機を受け入れたことに対する補助金の交付を、なぜ、空母艦載機部隊を受け入れないから打ち切るのか。国は、この点、県民が理解できる説明を改めて行うべきです。国が、十分な説明が出来ないままあくまでも、交付金を一方的に打ち切るのであれば、札束で、米軍再編を強行する国の姿勢を県民は見て取ることになります。
今こそ、井原市長を支え、国のデタラメなやり方を改めさせる世論を高めるときです。私もこの点で微力を尽くしたいと思います。
さて、日本共産党県議団は、今日から、会派の視察に出発します。新潟県では、地震対策について学ぶと同時に地元の市会議員さんの案内で、柏崎刈羽原発の視察を行います。千葉県で新しく制定された中小企業振興条例についても学びます。その中身や結果については、後日のブログで報告していきます。
赤旗日刊紙に「ハケン集う駅―追跡グッドウィルの日雇い―」というシリーズが始まりました。このシリーズは、次のような派遣労働者の告白で始まります。
「派遣先は西部運輸の倉庫内作業だとグッドウィルから聞かされていた。駅前から、トラックのアルミ金属の覆いのある荷台に乗せられた。外は真っ暗な道路。目隠しされて連れていかれるのと同じで、どこで働かされたのか、さっぱりわかりませんでした」
「荷台の覆いの中は小さなライトがついていて、見える程度には明るい。運転席の後ろあたりに、弁当と作業服を入れた段ボール箱が積まれていた。それを取り巻くように労働者が座る。まるで、軍隊の行軍のようだった」
日本は、どこに向かっているのでしょうか。労働者の働き方は、その国の土台です。土台が崩れれば、その国自体が崩れてしまうのではないでしょうか。
党派を越えて、日本の労働者の働き方を人間らしく変える時です。NHKラジオホットタイムの今週の特集もそのことを教えてくれています。
県議会厚生委員会で藤本県議が質疑を行う
食中毒指導の徹底を
行政処分のあり方についての検討を約束
藤本県議は、県議会厚生委員会で質疑を行いました。環境生活部関係では、食中毒の対応について質問を行ないました。
湯田温泉のある旅館は、H十四年と十七年と今年九月に食中毒を発生させています。県は、食中毒を起こした業者に対して、三日から七日間の営業停止をさせる行政処分をすることが出来ます。藤本県議は、「これだけ食中毒事案を頻発させている業者に対して、今回の事案への行政処分が、三日間の営業停止というのは甘いのではないか。」「今回の事案の影響は、当該業者にとどまらず、湯田温泉全体、山口県の観光に全体に及ぶ問題。食中毒の再発防止に万全を期すべきだ。」と指摘しました。
これに、森生活衛生課長は、「行政処分については、今後は法の趣旨に基づいてどういった取扱いができるのか検討していきたい。」「事業者への指導については、これまで行ってきた食品衛生責任者や調理従業者等への衛生教育に加え、旅館組合等を通じて、経営者を対象とした講習会を行うなど強化していきたい。」と答えました。
真締川と時雨川の合流点、道路嵩上げを
藤本県議と時田宇部市議は、県河川真締川と市河川時雨川との合流地点で、道路が冠水する箇所の改善を県宇部土木建築事務所に要望しました。担当者は、「市とも協議し、住民の意見も聞いて対応を検討したい。」と答えました。先日、県と市の担当者が当該住民の意見聴取を行いました。
大雨の時に冠水する道路
9月議会報告シリーズ②
上関原発に関わる諸問題
藤本県議は、中国電力が設置を進めている上関原子力発電所問題を取り上げました。藤本県議は、中電は、詳細調査の一環である「音波探査」を開始し、「十一月までに詳細調査を終え、本年度中に、国へ原子炉設置の許可申請をしたい」と言っている。しかし、係争中の土地が残され、この地点も含め詳細調査を十一月までに完了することは不可能と思うがどうかと質しました。これに、和田商工労働部長は「中国電力からは、旧四代区有地に係る最高裁判決の時期により、詳細調査の終了時期が延びる可能性もあると聞いている。」と答えました。
また、藤本県議は、上関原発の知事意見のチェック体制に関連して「耐震安全対策の問題について、いち早く専門のチェック体制を構築すべきだ。」と質しました。これに和田商工労働部長は、「事業者が原子炉設置許可申請を提出し、国が審査に入る段階で体制を整えることになると思う。」と知事意見のチェック体制を設置する時期について言及しました。
一気
十月九日の議会閉会日、私は、反対討論にたちました。今議会、日本共産党県議団は、八議案に反対しました。日本共産党議員団以外の全ての議員は、全議案に賛成しました▼反対した議案には、宇部湾岸線の建設に関わるものがあります。私は、「県予算は逼迫し、マイナスシーリングで編成作業が行われている中で、山口県財政の新規道路建設のための浪費は目に余ります。県道路予算の中でも特筆すべき高価な道路となっている宇部湾岸線の大幅見直しを強く主張し、本議案に反対します。」と討論しました▼議会は、行政のチェック機関です。議案が採択される以上、一つ一つを検証することは当然です。仮に、最初から議案への賛成が決まっているのであれば、議会は形骸化してしまいます。議会の役割が、発揮されるよう、議員の一人として目を光らせていきます。
夕方のNHKラジオに、作家の雨宮処凛さんが出演されていました。テーマは格差社会。雨宮さんは、「2週間、何も食べられず、水だけですごした派遣の若者」や「毎日、18時間労働を2年間続けた弟さん」の話しをされました。
雨宮さんは、雇用が崩壊している日本の実情を暴露されました。
昨日、「和光同塵」と書きましたが、もっともっと議員として、住民の皆さんと同塵して、議会に、生の声を届けていかなければなない。「安穏としていてはいけない」と、雨宮さんに檄を飛ばされたような気持ちになりました。
雨宮さんは、32歳。自らもフリーターの経験のある作家です。私は、雨宮さんの話を聞きたくなりました。山口県で雨宮さんの話を聞く機会を作りたいと思いました。共感していただける方はご一報ください。
昨日の読売新聞に、特別編集委員の橋本五郎さんのコラムが掲載されていました。テーマは老子と政治。福田首相の座右の銘は、「光而不燿」だとあります。『老子』58章にあるそうです。己に知恵の光があっても、ことさら人にむかって輝かすことはしないという意味だそうです。
24章には、「跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず」とあるそうです。つま立ちすると、一時的に背は高くなる。しかし、そのような不安定な状態は持続できない。大股で歩くと一時は早く進む。しかしすぐ疲れて長続きしない。橋本さんは、この言葉は、「安倍内閣が想起される」と述べています。
私が、これだと思ったのは、「和光同塵」でしょうか。56章にあるそうです。「其の光を和らげて、其の塵に同ず」
己の知恵や才能を世にあらわそうとせず、その光を内に包んで和らげ、世俗の塵に同調する。
「指導者然と構えて人を見下すような態度をとってはならない。聡明・英知を内に隠しながら衆人の中にとけこみ、囚人と苦楽を共にする。そうすれば知らず知らずのあいだに人々の敬愛を一身に集めるようになるだろう。」と橋本さんは解説しています。
私は、当然、「和光同塵」とはいきませんが、こうありたいと思える言葉です。
今日は、朝から、自治会の「ふれあいまつり」です。この言葉を胸に今日も一日を過ごしたいと思います。
昨日夕方は、知事とのふれあいトークが宇部市で開かれ、参加しました。「地球温暖化」がテーマでした。私も委員会で取り上げましたが、県独自の個人住宅などに対する太陽光発電施設の助成金を創設してほしいとの要望が出されました。県は、是非、決断すべきです。
また、公共交通機関の維持・拡充についても多くの方から指摘されました。特に山口県は、中山間地域が多く、切実な課題です。地球温暖化という大きな視点で考えても必要な施策です。この問題は、国での政策の再構築が必要な課題ですが、同時に、山口県としても今進めている政策を更に前進させていく必要があります。
今日は、保育園の運動会でした。三男にとって最後の運動会です。恒例の竹馬も失敗せずに出来ました。特に、成長を感じたのは踊りでした。みんなの中心になって実に生き生き踊っている姿を見て頼もしく感じました。
午後から妻が映画に行きたいというので、子守り方々、久々に、家でゆっくり過ごしました。大半を先日観た映画の原作「クローズド・ノート」を半分読みながら過ごしました。映画同様、綺麗なストーリーに心洗われています。
あとがきに「本作中に、筆者の手によるものではない文章を入れていることについて記しておきます。」という一文がありました。筆者の雫井脩介さんのお姉さんは、数年前に不慮の事故で亡くなられたそうです。ご結婚される前に小学校の先生をされていて、ご実家に残されたお姉さんの遺品がモチーフになって、本作品が出来たそうです。
「3月23日、お別れ会第三部が終わってしまいました。正直言って、私はこの日が来てほしくないという気持ちでした。みんなで作ったくす玉に34本のひもをつけて、みんなで引っぱろうというアイデア、くす玉がわれたら、みんなで「ありがとう・さよなら」を歌おうというアイデアが出たとき、思わず『さんせい!』とピースサインを出していました。自分が先生だということをすっかり忘れていました。でもきょう、くす玉がわれたとき、何だか胸がいっぱいでした。歌も歌えないくらいに・・・どうしてこんな気持ちになったのかなあ。たぶん、あなたたち太陽の子が、とってもすばらしい子どもたちだったからでしょうね。そして4年2組という学級が大好きだったから・・・」
この一文は、雫井さんのお姉さんが遺された言葉そのものだそうです。
お姉さんの遺志が、この作品に息吹を与えています。
そう、作品中の先生の名前は、真野伊吹。実は、私の娘も伊吹です。
偶然ですが、この点からも、この作品には運命的出会いを感じます。
この作品に出会えて本当によかったです。他の雫井脩介作品も読んでみます。