宇部市万倉今富地内の県道小野田美東線下船原橋と前後の県道との段差があり、車が通過する際に、音や振動がするとの声が私に届きました。
数年前に一度、改良工事が行われたのですが、十分な改善が図られませんでした。
この程、県道の下船原橋の南側の段差を解消する工事が行われました。
県道小野田美東線下船原橋南側の段差解消の工事が行われました。北側の段差解消を要望しました。
近隣の住民から、「南側からの車の音や振動は改善された。北側の段差解消の工事もお願いしたい。」との要望をお聞きしました。
昨日、県宇部土木建築事務所の担当者に伝えたところ、「下船原橋の北側の段差解消について、対応を検討したい。」と前向きの回答をいただきました。
可能な限り早く、下船原橋北側の段差解消工事の実施を要望したいと思います。
次に、厚東駅からこもれびの里に行く道路と県道小野田美東線との交差点への信号機が設置されることについてです。
信号機設置に向けて、先日から工事がスタートしました。
信号機の設置が完了したら、本ブログでも報告したいと思います。
宇部市北部は、私の故郷です。今後とも北部地域の皆さんのお声を関係機関に届けていきたいと思います。
宇部市北部及び皆さんの周りの県行政への要望を藤本にお寄せ下さい。
障害者施設「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)で入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件から26日で5年経過します。
私は、大学で福祉を学び、ゼミでは、障害者福祉を専攻した者として、「障害者は不幸をつくることしかできない」と残虐な犯行を正当化した元施設職員の許しがたい主張を忘れることが出来ません。
この5年、「津久井やまゆり園」に関連した本や記事は気を付けて読むようにしてきました。
先日、山口県障がい児の教育を進める会総会・学習会に参加し、発達心理学が専門の赤木和重神戸大学准教授のお話をお聞きしました。
会場で販売されていた赤木和重著「子育てのノロイをほぐしましょう」を連休中読みました。
この本は「WEB日本評論」に赤木さんが連載された文章を一冊にしたものです。
この中に、「津久井やまゆり園」の事件のことが取り上げられています。
赤木さんは、この章で、雨宮処凛編「この国の不寛容の果てにー相模原事件と私たちの時代」を取り上げ、この中に出てくる北海道にある統合失調症の人たちが働き暮らす「べてるの家」の向谷地生良さんの文章を引用しています。
向谷地さんは、相模原事件の被告について次のように語っています。
「被告が話していることは、ほとんどがパーツのように、すでに誰かが言っていることのつなぎあわせだと思うんですね。障害者が無用な存在だとか、そういうロジックはすべて彼のオリジナルじゃなくて、すでに過去から現在まで流布している言説が彼の中にどんどん蓄積されている。」
この言葉を引用した後で赤木さんは、被告についてこう書いています。
「彼自身が、しゃべれていないのです。だからこそ、彼は、『しゃべれない障害者は殺す』と『しゃべれない』ことに異常なまでにこだわっていたように思います。『自分は寂しかった』と彼が一言つぶやけば、こんな凄惨でつらい事件は起こらなかったのかなぁ、と思います。」
赤木さんは、被告の発想は「『できるのがよい』というノロイが純化したものといえます。『話すことができるのがよい』というのは、逆にいえば『話せないのはダメ』ということです。そして、その『ダメ』を究極まで突き詰めれば、『生きていてもしょうがない』という発想につながります。もちろん、加害者の発想は極めて特殊です。しかし、同時に、私たちの心のなかにある『できるのがよい』という常識ともいえる価値観と地続きであることも事実です。そういう意味で、私は、彼にゾッとしただけでなく、自分や自分の生きる社会にゾッとしたのかもしれません。『できるのがよい』とは違うモノサシをもって、子どもを見つめられるかどうかが問われています。しかし、この価値観は、空気のように当たり前に漂っていて、そのノロイをほぐすのは簡単ではありません。『できるーできない』以外のモノサシや『できるーできない』の間にある子どもの気持ちを丁寧に見つめるモノサシをもてるかが、厳しく突きつけられています。」
相模原事件を通して、私たちの生きる社会が「できるのがよい」の価値観にどっぷり漬かっていることを伝えていると語る赤木さんの文章に納得しました。
「生産性」で人間の価値を決める風潮は厚く私たちの生きる社会にまん延しています。
そのノロイをほぐそうとする赤木さんの理論をこれからも学んでいこうと思います。
久しぶりに映画を観ました。西京シネクラブの7月例会で上映された北マケドニアを舞台にした、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督の「ペトルーニャに祝福を」です。
映画のパンフレットからストーリーを引用します。
「大学で学んだ知識を生かす仕事に就くことができず、鬱々としながら実家で暮らしている32歳のペトルーニャ、知人のツテで仕事の面接の口を探してきた母親は、ペトルーニャに言う『きれいな恰好をしていって、本当の年齢ではなく、25歳というのよ』。友人からマシなワンピースを借りたペトルーニャが指定された場所に行くと、そこは多くの女性がミシンを踏む縫製工場だった。面接担当の男性責任者はスマホをいじりながらペトルーニャに年齢を聞くと『42歳に見える』と一言。そして『デスクワークの経験はないが、大学で学んだ知識がある』と語るペトルーニャに近づくと、そのスカートに手をかけ、からかった末に言う。『縫製はできず、就職経験もない。事務をしたことがない。見た目もそそらない。』最悪の面接の帰り道。パトルーニャは、キリストの洗礼を祝う『新現祭』の群衆に遭遇する。司祭が川に十字架を投げ込み、それを最初に見つけた男は、1年幸福に過ごせると信じられている祭りだ。多くの男たちが半裸の姿で川に向かう、その人波に飲まれ川沿いまで来たペトルーニャは、投げ込まれると同時に自分の前に流れてきた十字架を見て、思わず川に飛び込み、それを手に取った。」
映画のパンフレットで作家の東直子さんは、「ペトルーニャの苦悩は、遠い異国のことではない」と語り日本の例を次のように述べています。
「数年前、相撲の土俵の上で儀式中に倒れた男性を救命救助するために上がった女性に対して、主催者側によって降りるように指示が出されたことがあった。人命が関わっているというのに習慣を重んじたことに強い批判の声が上がった。女性が土俵に上がれないのは、土俵は神聖な場所で、女性が上がると汚れるから、という理由を聞いたことがある。難しい問題を孕んでいるとは思うが、その価値観を継承し続けているとしたら、女性差別の意識を継承し続けていることにもなるのではないだろうか。」
映画のパンフレットで日本女子大学大学院生の是恒香琳さんは、日本の女性の現状をこう書いています。
「今も日本では、女子学生が就職活動をすると、まず、化粧の指導がされる。パンツスーツではなく、スカートが好ましいと言われ、ヒールのあるパンプスを推奨される。いったい、面接官に何を評価してもらわねばならないというのだろか。友人は、ペトルーニャのように就職相談でセクハラを受けた。女性が働くことは、性的に扱われることが込みになっているのだ。それは空気のように、自然なことと見なされている。」
内閣府が「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会報告書」を4月末にまとめました。
報告書に、2020年、非正規労働者数は、男性が前年より26万人減ったのに対し、女性はその倍近い50万人減ったとあります。
報告書に、2020年、自殺者数は前年と比べ、男性は23人減ったのに、女性は935人増えているとあります。
コロナ禍が、日本で第二第三のペルトーニャを増やしている状況です。
核兵器禁止条約の前文にこのような文章があります。
「平等かつ完全で効率的な女性と男性双方の参加は、持続性ある平和と安全の促進・達成の重要な要素であり、各軍縮における女性の効果的な参加の支持と強化に取り組みことを再確認する」
条約成立に向け、主導的な役割を担ったサーロー節子さんは自著「光に向かって這っていけ 核なき世界を求めて」で次のように書いています。
「男性ばかりの顔ぶれの会議はそれ自体が問題視され、会議の結論の信頼性すら問われかねないのが現実だ。」
映画のパンフレットでバルカン現代研究者の山崎信一さんは、映画のラストシーンについて次のように語っています。
「本作は、こうしたさまざまな社会問題を鋭く扱いながら、まったく悲劇的ではない、むしろ最後に十字架を手放したペトルーニャの清々しい表情は、観る者にカタルシスを与える。」
ペトルーニャは、「私には十字架はいらいが、あなた達には必要でしょう」と手放します。
十字架は、社会の慣習の象徴として描かれているのでしょう。
私は、この映画を東京オリンピックのただ中で診ました。
「女性はわきまえろ」という趣旨の発言をして辞任した森氏を名誉会長にしようとする動きがあるとの報道があります。
日本には、まだまだ女性を差別する慣習が残っています。
それを変えるためには、サーロー節子さんが述べたように、国会や県議会を始め、各種会議に女性の参加を増やすことが重要だと感じます。
ペトルーニャの清々しい表情に、私は、この映画から希望を感じ取ることが出来ました。
やはり映画はいいですね。会場で、聴覚の障がいをかかえた映画監督である今村彩子さんの映画が、萩ツインシネマで秋にかけて上映されることを知りました。この夏から秋に萩ツインシネマで今村作品に触れたいと思いました。
皆さんが観られた映画の感想をお聞かせ下さい。
昨日、「少人数学級署名を進める宇部の会」が県議会議長あてに「少人数学級請願署名」を進めるスタート集会を行いました。
小中学校の30人学級の実現を求める署名のスタート集会の様子
少人数学級署名を進める宇部の会では、公立小中学校での30人学級を求める県議会請願署名を10月末までに5000筆の目標で取り組むことを確認しました。
私は、スタート集会で山口県の少人数学級に関するミニ講話を行いました。
私が話した主旨は以下の通りです。
・・・
少人数学級署名をすすめる宇部の会のスタート集会にお集りの皆さん、県議の藤本です。宇部市PTA連合会長などを務めてきました。今は、厚南中教育後援会会長を務めています。皆さんと一緒に、運動を強めていきたいと思います。今日は、県議会の報告をさせていただきます。
3月31日、40年ぶりに今年度から小学校全学年を段階的に35人学級化する義務教育標準法改正法案が可決しました。今年度から5年かけて小学校が35人学級化されます。
山口県は小中学校とも35人学級ですので、私は、2月県議会で、国の制度改正を契機に、小学校を30人学級にすべきだと質しました。
資料1は、繁吉副教育長の答弁です。「国の財政措置が図られない中、県の独自財源で30人学級化をすすめることは困難です。」と答えました。
資料2は、県の説明資料です。新年度、少人数学級に対応する職員は、27人分基礎定数として増えたけれど、加配定数が減り、4529人という定数の総量は変わらないと説明しています。
資料3は、新年度小学校を30人学級にした場合の必要教員数と金額です。全体では21億円必要ですが、小1だけなら、3億円程度で実行に移すことが可能です。
資料4は、しんぶん赤旗が調査した少人数学級の状況です。山梨県では、小学校1年生はすでに30人学級でしたが、今年度から25人学級にしました。
山口県も山梨県も国の制度は同じです。山梨県でも新年度、先生の総数は変わりませんでしたが、独自財源で、小学1年生を25人にしているのです。
資料5は、国が示した学校の行動基準をレベルと新型コロナウイルス感染症のステージを示したものです。山口県も一時期医療崩壊寸前のステージⅢになりました。学校の行動基準を山口県ではレベル3にする寸前でした。
資料6は、学校の行動基準レベル2とレベル3の教室の違いです。レベル3にしようとすれば1クラスを20人にしなければなりません。
コロナ禍の中、子どもの命を守るために30人学級は最低の水準です。
・・・
一人でも多くの方に少人数学級署名をお願いしたいと思います。
署名したい、周りの知人に署名をお願いしてもいいという方は、藤本までご連絡ください。
村岡知事は、7月21日の記者会見で、中小企業事業継続支援事業の実施についてその内容を明らかにしました、
新型コロナウイルス感染症の影響により、売上の減少が大きい県内中小企業の事業継続を支援するため「中小企業事業継続支援金」を支給します。
対象者は、県内に事業所を有する中小企業者等です。事業収入を得ている業者で、今後も事業継続の意思がある方です。
要件は、令和3年1月以降、コロナの影響により前年又は前々年の同月比で事業収入が30%以上減少した月がある方です。
支援金額は、法人が40万円(複数の事業所等を運営する場合も1事業者として取り扱います)、個人は20万円です。
次に申請手続きについてです。
7月28日(水)~10月1日(金)まで受付けます。
7月28日(水)に「中小企業事業継続支援金事務局」を設置します。
事務局では、申請者からの相談対応(コールセンター)や、審査、支払い業務を行います。
申請先は、申請者(事業者)が所在する商工会議所(14カ所)、商工会(20カ所)です。
必要書類は、①申請書兼請求書②法人税及び所得税の確定申告書の控(要収受印)③事業収入の減少を確認できる書類の写し 等です。
受付開始に合わせ、コールセンター及び専用サイト(要領、様式等)を開設します。
日本共産党は6次に渡って村岡知事に新型コロナ対策について要請してきました。この中には、必ず中小企業の支援を含めていました。
一般質問等でも中小企業の支援を訴えた成果だと思っています。
大いにご活用ください。不明な点は、藤本までお問い合わせ下さい。
引き続き、中小企業の支援に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。