議員日誌

慈悲とは何か

 龍谷大学校友会山口県支部創立30周年記念講演が浄土真宗本願寺派山口別院で行われました。

 講師は、作家の五木寛之さんでした。五木さんの作品はいくつか読み、是非一度、お話をお聞きしたいと思い、初めて直接お話をお聞きしました。

 五木さんは、40代で休筆し、龍谷大学で仏教の勉強をします。

 その後、「他力」、「蓮如」や「親鸞」など仏教に関する様々な著作を残します。

 五木さんは、講演の中で、「人生100年時代、50歳位で新しいことを学習することが大切」と話しました。

 私は、ちょうど50歳の時に、浄土真宗本願寺派のお寺の総代長を引き受け、現在、山口教区会議員を務めています。

 これからも、仏教をしっかり学びながら人生を謳歌したいと思います。

 私の仏教の師の一人が五木寛之さんです。これからも五木さんの著作からしっかり学んでいきたいと思います。

 五木寛之さんの近著「デラシネの時代」を読了しました。

 「デラシネ」とは、「根無し草」の意味。難民や「漂流者」を意味する言葉です。

 五木さんは「航海者の思想よりも漂流者の思想を」として、次のように書いています。

 「航海者はい行く先が決まっていて、そこへ行くために全力を尽くせばいい。そこには理想もあれば希望もある。一方、漂流者というのはどこへ行くのか、今自分がどこにいるのかもわからないまま、生き抜いていかなければならない。そのためには気象の変動を常に確かめつつ、不屈の気概を持って流れ動いていく必要があるような気がしてなりません。もはや何かにしがみついていればいいという時代ではない。確固たるものが見えないなかで、この世をさまようデラシネとしてどう生きていくのか。」

 この本を西日本豪雨災害の最中に読んでいました。

 五木さんの「慈悲とは何か」という小論に心を打たれました。

 仏教は、智慧と慈悲の教えと言われてきた。

 智慧は、「四苦八苦と言われる人生でどのような苦を乗り越え、解決していくか」の知識。

 慈悲の慈は、「励まし」。

 五木さんは「悲」について、「悲は慈のよに励まさないし、がんばれとも言わない。言葉を発しないのです。自分が辛くて悲しいということではなくて、痛んだり病んだりしている人のそばに行き、その人の痛みや苦しみの幾分かでもいいから引き受けて軽くしてあげたいと願うのが悲の心です。痛みや苦しみとうのはその人だけのもので、他人が背負うことはできない。苦しみの半分を引き受けられるというようなものではありません。そのことをわかったうえで、その人の痛みや苦しみに共感共苦して少しでも軽くしてあげたいと願う。だけども、それができないという己の無力さに気が付いたときに、人は思わず『ああ』という深い溜息をつく。それが仏の心であり、悲なのです。」と書いています。

 この度の西日本豪雨災害は、200人近い死者と50人を超える安否不明者が生まれる未曽有の災害となりました。

 亡くなられた方の年齢を見ると私の子どもたちと同世代の人も多数おられます。

 ご遺族の方にかける言葉がありません。己の無力さに気づき「ああ」と溜息をつくばかりです。

 心からお悔やみを申し上げます。

 

 

 

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