有吉佐和子著「青い壺」について、しんぶん赤旗日曜版は、次のように紹介しています。
「48年前に刊行された小説が、作家・原田ひ香さんの『こんな小説を書くのが私の夢です』の一言を機に、いまベストセラー入りしています。無名の陶芸家が『久しぶりに勢力を込めて作成した一点物の壺』。円筒型で青く透き通っています。胸にはしみじみした喜びが広がり、いつまでも黙ってなで回します。その壺が、ひょんなところことから人から人へと渡り歩きます。本書は13の短編連作です。壺の行く先々で、それぞれの人間模様が描かれます。例えば、定年退職した夫のふるまいに、こんな人だったのかと妻がやりきれない思いを募らせます。『嵩ばる』『邪魔っけ』と邪険にしますが、夫の行動に異変が。別の話では、東京の娘が、目が不自由な母を引き取ります。母は手術で目が見えるようになりました。革新都政による高齢者医療費無料化制度で患者負担なし。ところが、そのことで口争いに・・・。結末にしみじみとさせられます。遺産相続をめぐる話も。家を建てるので遺産を生前にほしいと娘が言います。さらに、母親に父親より早く死んでほしい、その方が得だからと。一日も早く死ぬのを待っているのかと夫婦は衝撃を受けます。さて、どうするか。夫婦の決意に快哉を叫びたくなりました。壺は時に盗難に遭い、海を越え、時代も超えて旅を続けます。独立した13話ですが、実は・・・。最後まで目が離せません。」
昨年12月、NHK・Eテレの「100分DE名著」は有吉佐和子さんの書作を取り上げました。取り上げた作品は、「華岡青洲の妻」「恍惚の人」そして「青い壺」です。講師は、日本大学のソコロワ山下聖美教授です。
番組のテキストと合わせて「青い壺」を読んでいます。
山下教授は、「いわゆる『幸せを阻害する側』の人間に対しても、皮肉るような筆致はありながらも、決して糾弾したりはしません。攻めるような書き方をするのではなく、『いるいる、こういう狡い奴!』という描き方をするのです。頑張って生きている者には愛のあるまなざしを。憎たらしい奴らとて同じ人間ー。そうした、ある種の人間愛に裏打ちされた有吉の姿勢を見ました。等しく人間を見つめる大らかさに、『華岡青洲の妻』『恍惚の人』の回でも言及してきた、彼女の俯瞰するような大きな視点を感じます。」と述べています。
山下教授は、有吉佐和子が今、再評価されていることに対し、次のように述べています。
「文学は、今社会で起きている事象の先を見るということと不可分です。その意味では、真の作家とは、預言者のようなものでもある。優れた文学作品を読んでいると、書かれたのは十数年も前なのにもかかわらず、今私たちが生きている世界について書かれているようにしか思えないことがあります。作家とは、その時々の現実について書きながら、そこから考えられる未来を、あるいは普遍的な人間と世界の在り様を記述する存在なのです。では、有吉はなぜ預言的な、時代を超えて響くテーマを描き続けることができたのでしょう。私は、当時の男性中心の文壇のなかで、彼女が独自のスタンスで小説を書き続けてきたからではないかと考えます。家族とともにインドネシアで過ごした子ども時代をはじめ、幾度も海外での暮らしを経験するなかで、異邦人・異界人的な視点を内面化していったことが、自分の『外』である社会やそこに生きる人々を俯瞰する独自のスタンツを培ったのではないでしょうか。」
「恍惚の人」は、今読んでも、高齢者問題を考えることができる良著です。
「複合汚染」も、環境問題を考えることができる今日的な作品だと思います。
私は、来月、大学のサークルの同期会で三重県に行きます。その前に和歌山市にある有吉佐和子記念館を訪ねたいと考えています。それまでに少しづつ、有吉作品を再読していきたいと思います。
有吉佐和子作品に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
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