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明治民法では、母は原則として親権者になれませんでした

 弁護士の杉井静子さんの「ジェンダー平等社会の実現へー『おかしい』から『あたりまえ』に」を読んでいます。
 杉井さんは、この本の中で、明治民法について詳しく述べています。
 その中に「母は原則として親権者になれない」があります。引用します。
 「明治民法では『子は其家に在る父の親権に服す』とされ、『父が知られざるとき、死亡したるとき、家を去りたるとき又は親権を行うこと能わざるときは家に在る母之を行う』となっていました。つまり原則としては父の単独親権でした。例外的に母が親権者になる場合は、重大な財産行為を母が代わってするときは、親族会議の同意が必要とされていました。父の場合はこうした制限はありませんでした。そして親権者は次のような権限をもっていました。①子の居所を指定する権利、②子の兵役出願への許可、③子を懲戒する権利と懲戒場に入れる権利、④子が職業を営むことを許可する権利、⑤子の財産管理等です。戦後の民法改正で母も父と同じく親権者であること、つまり共同親権が認められました。ようやく男女(父母)同権になったのです。ところで、戦前は親権者は家を同じくする父親ですので、離婚の際も、母親は悲惨でした。童謡詩人として有名な金子みすゞは、1926年23歳のときに結婚しますが28年頃から夫に童謡の投稿を禁じられただけでなく、夫婦生活のなかで夫から性病をうつされます。そこで実家に帰り30年に離婚しますが、子どもの親権者は元夫で引き取れませんでした。絶望したみすゞは服毒自殺。享年26歳でした。こうした悲劇が多々ありました。離婚に際し、親権だけでなく、監護権も元夫に奪われ、子と引き離される母も多かったのです。」
 私は、昨年11月に山口県で行われた日本母親大会で、「金子みすゞ」について少しお話をさせていただける機会がありました。

 私は、この10年来、みすゞについての著作を読み漁り、みすゞの死について考えてきました。

 戦前のジェンダー不平等がみすゞを死へと向かわせたことは感じていましたが、明治民法との関係で、しっかり論説された文章に初めて出会った杉井さんの文章でした。

 みすゞは、元夫が、、娘・ふさえを引き取りに来る3月10日に、26歳の短い人生を閉じます。

 杉井さんの文章にあるように、みすゞには、夫から性病をうつされたという病苦もあったでしょうが、明治民法では「母に原則として親権がなかった」というジェンダー不平等が、彼女を死に追いやったことを杉井さんの文章で深く学びました。

 引き続き、みすゞの人生や詩について学びながら、関係する書籍を読んでいきたいと思います。

 みすゞについて、皆さんの想いをお聞かせください。

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