ブログ

平野啓一郎著「ある男」を読みました。

 NHKのドラマになった平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」で、平野愛に目覚め、「ある男」を読了しました。
 平野啓一郎著「ある男」は、「マチネの終わりに」に次いで映画化され、11月18日から公開されます。
 「ある男」文庫版の裏表紙からあらすじを紹介します。
 「弁護士の城戸はかつての依頼者・里枝から奇妙な相談を受ける。彼女は離婚を経験後、子どもを連れ故郷に戻り『大祐』と再婚。幸せな家庭を築いていたが、ある日突然夫が事故で命を落とす。悲しみに暮れるなか、『大祐』が全くの別人だという衝撃の事実が・・・。愛にとって過去とは何か?人間存在の根源に触れる読売文学賞受賞作。」
 大祐とはいったい誰だったのかを城戸探偵が謎を解き明かすミステリー小説のような面白さがありつつ、引用した文庫裏表紙にあるような「人間存在の根源に触れ」る深い内容を持った作品で、とても読み応えがありました。
 また、様々な社会問題に対し、作家である平野さんがどのような考えをもっておられるのかも伺える内容でもあります。
 主人公の城戸が、死刑囚が描いた絵画展に足を運ぶシーンで、城戸が、死刑についてこのように心の中で語ります。
 「国家は、この一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘わらず、国会が、その法秩序からの逸脱を理由に、彼を死刑によって排除し、宛らに、現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を、城戸は間違っていると思っていた。立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする、ということは、欺瞞以外の何ものでもなかった。もしそれが罷り通るなら、国家が堕落すればするほど、荒廃した国民は、ますます死刑によって排除されなければならないという悪循環に陥ってしまう。」
 この文章には、平野さんの死刑に対する考え方が明確に書かれてあるものだと思いました。
 死刑について「立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在自体をなかったことにすることで帳消しにする」ことだという平野さんの指摘に、深く共感しました。
 主人公の城戸は、在日3世という設定です。城戸は、関東大震災で、朝鮮人が殺害される事件が横行したことについて次のように回想しています。
 「彼は、関東大震災の記録を幾つか目にしていたが、立件された朝鮮人殺害事件だけでも53件あり、当時の司法省によれば、その被害死者数は233人とされていた。実際にはー異説も多いが、ー恐らくその数の数倍だろうと推定されている。更に、中国人も殺されていた。しかも、その殺し方がまた、どうして?吐き気を催すほどに惨たらしかった。彼は、それだけの数の惨殺死体を想像し、存在を奪われた彼らのその冷たさが、直接皮膚に触れるような悪寒を感じた。確かに、それは自分の同胞だろうという気がした。(中略)出生以後、肉体のかたちと体積を通じて、特に誰の許可を必要とするわけでもなく空間的に独占していた自分という領域を、なくものにしようとするようなあの圧迫感。在日として、彼はその被害者意識に、自分が今、ほとんど同一化しつつあるものを意識した。」
 死刑と関東大震災の朝鮮人殺害事件とは当然、同一に考えることはできないけれど、平野さんは通底しているものがあることを言いたかったと私は感じました。
 通底しているものは、大きな力が小さな者の命を奪う残酷さだと私は感じました。
 その一方で、平野さんは、大きな力が小さな者の命を奪う残酷さの対局として、小さな者の命をひたすら守ろうとするする存在として「大祐」を描こうとしたのではないかと感じました。
 「大祐」という存在を失った妻・里枝へ息子の悠人がお父さんがなぜ自分に優しかったのか語るこんな言葉があります。
 「自分が父親にしてほしかったことを僕にしてきたんだと思う。」
 「人は愛によって変わることができる」ことを平野さんはこの小説で書きたかったのではないかと感じました。
 とにもかくにも、11月、この原作が映画化されることを楽しみにしています。
 そして、私は、今、平野啓一郎さんの最新の長編作品「本心」を読み始めています。この作品も映像化は確実だと思います。この作品の映像化を想い描きながら、「本心」を読み進めたいと思います。
 平野啓一郎ファンの皆さん、推しの作品をお教え下さい。

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。