5月31日のしんぶん赤旗日刊紙の「月曜インタビュー」に作家の村山由佳さんが登場し、女性解放運動家の伊藤野枝を描いた新著「風よ あらしよ」について述べていました。
インタビューで村山さんは伊藤野枝について「当時100年前の女性たちは、家の犠牲になったり、夫の言うままに従ったり、あきらめる人生がいっぱいあったと思います。でも野枝は死ぬまで、あきらめない女でした。土壇場に追い詰められた時、自分にとって一番大切なものを選び取っていく。その生き方に私も重なるところがあると共感しました。」
村山由佳さんの「風よ あらしよ」を読んでいます。650ページの大作です。今、100ページ程読み終えたところです。今まで読んだのは、野枝が、叔父・代準介の援助で東京の上野高女を卒業するまでの物語です。野枝が憲兵隊に虐殺されたのは28歳の時でしたので、高女を卒業してわずか10年後のことでした。
野枝は、尋常小学校に入学して、14歳で地元の郵便局に就職するまでの8年間で、極貧の中、親戚に預けられ幾度となく転校を強いられます。郵便局に勤務した後、叔父・代準介に何度も手紙を書き、上野高女への入学を願い出ます。100年前の時代を生きた野枝は、「わきまえない」「あきらめない」女性でした。
インタビューで村山さんが野江を最も身近に感じたのは、最愛の夫と子どもに囲まれた炉辺の幸福が、革命の精神を鈍らせてしまうのではないか、と揺れる心情が綴られた野枝のある随筆を読んだ時だったとして、野枝への想いをこう述べています。
「わたしも、自分が幸せで満ち足りてしまったら、人の苦しみや悲しみが書けないんじゃないかと悩んでいた時代が長かったんです。火の玉のような野枝にこんな一面があったと知って、この人のことなら書ける、と。辻との子とは関係を取り戻し、大杉との子を5人産んで、野枝は子どもたちのためにも社会を良くしたかったんだ思います」
村山さんは、数年前に他界した父にこの作品を読んでほしかったとこう語ります。
「シベリアに4年間、抑留されていた父は、収容所でのつらい体験もよく話してくれました。ずっと『赤旗』を愛読していたんですよ。その父から受け継いだ戦争の記憶があったからこそ、野枝の人生にひかれたんだと思います。これからも野枝ならどうするか考えながら、怒るべき時には怒り、発信していきます」
村山由佳さんは1964年生まれ、私と同年の生まれです。30年に渡って文壇での活躍を続ける村山さんの作品は、本屋で何度も触れていましたが、実際に購入して読んだのはこの本が初めてでした。本書の帯にエッセイストの小島慶子さんが「ページが熱を帯びている。火照った肌の匂いがする。二十八年の生涯を疾走した伊藤野枝の、圧倒的な存在感。百年前の女たちの息遣いを、耳元に感じた。」と書いていますが、村山さんの文章は、野枝に対する熱い愛情を感じるものでした。
私が今から読む「風よ あらしよ」は、女性解放運動家としての野枝の姿が語られる場面に入ります。まさに野枝の生活に「あらし」が吹き荒れることでしょう。村山さんの熱い筆致から野枝の人生をしっかり受け止め、自らの人生に活かしたいと思います。
そして、作家・村山さんのこれからの「怒る時には怒り、発信」に大いに注目していきたいと思います。
関東大震災のわずか15日後の1923年9月16日に、大杉栄と伊藤野枝は憲兵隊構内で虐殺されました。改めて惨い死だと痛感します。二度とこのような時代の再来は御免だと痛感しています。
大杉栄・伊藤野枝の人生について、皆さんのご感想をお聞かせ下さい。
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