議員日誌

「磯崎新の謎」展

 今年、建築界のノーベル賞と呼ばれているプリッツカー賞を受賞した世界的な建築家である磯崎新さんの展覧会が故郷・大分市で開かれています。

 磯崎新さんが山口県内で手掛けられた建築物は、1998年の秋吉台国際芸術村と2003年の山口情報芸術センターです。

 2006年以降は、全て海外での建築物となるので、磯崎新さんが手がけた国内の作品しては、山口芸術センターが新しい作品となります。

 県内に二つしかない磯崎新さんによる建築物の一つである秋吉台国際芸術村を県が「廃止」を含めて検討しているとの報道が行われている中、私は、昨日、大分市美術館で行われている「磯崎新の謎」展を視察しました。

 菅館長、長田副館長から、磯崎新さんについて、展覧会について詳しく説明を受けました。

大分市美術館

菅館長、長田副館長から磯崎新展の説明を聞く私

 磯崎新展は「いき」篇、「しま」篇で構成されています。

 「いき」とは息で、「間のことを表しています。

 10月24日の読売新聞は、「いき」篇について「70~80年代、機能主義に反発するポストモダン建築の騎手となった磯崎さんの思想的背景をみることができる」としています。

 「いき」篇で大きなウエイトを占めているのが、「秋吉台国際芸術村」です。

 会場には、ホールの模型とともに、実際に上演された現代オペラの映像が流れています。

 会場には、秋吉台芸術村に再現されているN邸の模型も展示されていました。

 磯崎さんは、「GA ARCHITECT」の中で、秋吉台国際芸術村を作成する過程を書いています。

 「設計をはじめるにあたって、細かいプログラムは決まっていなかった。敷地も改めて捜すことからはじまった。地元の秋芳町が建設のために取得可能な候補地を4ヶ所提示してくれた。地形的にいずれも特徴があった。カルスト台地に接するこの付近は、里山と呼ばれていいような低い丘で、その中間の耕地のほとんどは休耕している。ここから平地、傾斜地、台地、それに隠れ里のような袋状地が示された。そのすべてを調査して私は袋状地を選んだ。これは地元関係者には意外な選択だったようで、彼らは人里や道路からよく見える場所につくられることを期待していたことが後で判った。だが私はあえてまったく外側から建物が見えない場所を選択した。道路上の騒音が到達しないためである。敷地を囲んだ丘の尾根を強化線にしてこの輪郭をこの全施設の外壁線と呼ぶことにした。いいかえると、この施設は都市的な建物に特有のファサードをもたない。狭くくびれた入口を敷地内に踏み込むと、ここがもう内部なのである。低い棚や植え込みで庭園を囲いこみ、そのなかにパヴィリオンを点在させるという日本の伝統的な建築配置の形式は都市の内部につくる住居の基本形で今日まで継続している。」

 秋吉台国際芸術村は、磯崎新さんの建築思想を反映した代表作であり、周辺の自然環境を含めた作品なのだということ特別展に行ってよくよくわかりました。

 このような磯崎新さんの代表作である秋吉台国際芸術村を廃止してはならないと痛感しました。

 今日はここまでとし、次回は、全国の建築家と市民が残した大分県立図書館について視察内容を報告したいと思います。

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