議員日誌

赤い空とカラス

 赤塚不二夫さんの娘である赤塚りえ子さんの「バカボンよりもバカなパパ」を読み終えました。

 文庫版のあとがきに、森田拳次さんが代表理事を務める「八月十五日の会」の「私の八月十五日 昭和二十年の絵手紙」に収録された赤塚不二夫さんの「赤い空とカラス」とう詩が掲載されていました。

 「戦争は、日本が負けたのだった。その夕方、街の彼方の満州の空は、真っ赤に燃えていた。地上を覆った戦争の火が天空を染めて赤一色に塗りつぶしたかのように、それは燃えさかっていた。どこまでも続く大平原、はるか地平の彼方まで、血のような色の広がり。そのなかを何万羽という数知れぬカラスの大群が舞っていた。幾層にも重なって、わめき散らしながら、真っ赤な空を埋めるカラスの群舞。黒いものは次から次へと現れ、そしてどこへともなく飛んでいく。奇妙な叫び声が天地にあふれ、やがて統合されて、不思議な交響曲となる。楽章はとぎれることなく展開し、いつまでもぼくの耳に残る。この赤と黒との不気味で果てしない空間、現世の終末を思わせる色と饗宴。その光景は、次の日もその次の日も、夕方になると繰り広げられた。そして、小学校四年のぼくはというと、その光景の中に、呆然と、立ち尽くしていたのである。いまにして思うと、それがぼくの原風景となった。大人になってからも、何かの拍子に、赤と黒の光景を思い浮かべる。ときには夢にも見る。ぼくはその中にふわふわ漂っている。そして、しみじみ、ぼくの行き着く先は、その風景の中だと思う。そう思うと、ぼくは何でも出来るような気持ちになる。いまの世のもろもろのことが、実であって虚、虚のように見えて実。固定したものはなく、すべてが動いているのではないか。漫画をかいてもよし、ミュージカルの演出もいい、喜劇のおどけ約もやれば、ジャズフェスティバルにも興味がある。あるいはラーメン屋だっていい。何をしたっていいじゃないか。金があったって、なくったって、女友だちが何人いようが、酒をのめなくなろうが、決めてしまうことはないじゃないか。もともと赤い空とカラスの大群ではないか・・・。」

 赤塚りえ子さんは、父=赤塚不二夫さんの上の詩を引用して次のように書いています。

 「父の人としての座標になったのは、この『赤い空とカラス』に象徴される満州体験だったのかもしれない。アチャメチャにみえる言動もすべてこの地平から出発しているのだったら、ものの本質とあまり関係ないちっぽけなことなんてどうでもよかったんじゃないか。父はもっと『生きる』という人間の根源的なところでものごとをとらえていたからこそ言えたのだと思う『これでいいのだ』と。そして、『笑い』が声明に直接的につながっていることを感覚で、また、体験からもわかっていたのだと思う。」

 りえ子さんは別のところでこうも書いています。

 「少年時代にたくさんの悲しい思いをしたからこそ、まず自身が笑う必要があったんだと、一心に突き進んでいく必要があったんだと。だから、赤塚マンガの奥底には悲しみの記憶が潜んでいるようにも思う。」

 りえ子さんは、文庫版あとがきの最後にこう書いています。

 「ひとりひとりに笑う力があれば、どんなかたちの家族があったっていいのだ!」

 この本を読んで、少し「笑う力」が減っている自分に気づきました。

 この本を読んで、赤塚不二夫さんから「これでいいのだ」と励ましていただいたように思えました。

 我が人生「これでいいのだ」だと思い知らされました。

 りえ子さんが、両親から自立する場面が後半に出てきます。10代から20代の子どもを持つ親としてもとても考えされられました。

 6月末からNHK土曜ドラマで、この本が原作の「バカボンのパパよりバカなパパ」がスタートします。

 ドラマを見ながら、この原作の世界に思いをはせたいと思います。

 赤塚不二夫さんの漫画から学びたいと思います。

 「これでいいのだ」という言葉の深さをかみしめる今日この頃です。

 赤塚りえ子著「バカボンのパパよりバカなパパ」お勧めの一冊です。是非読んでみて下さい。

 赤塚不二夫さんの漫画で好きなキャラクターをお教え下さい。

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