西村京太郎さんの「15歳の戦争 陸軍幼年学校『最後の生徒』」を読み終えました。
念仏者9条の会で纐纈厚さんの「日本近現代史を読み抜く」の連続講座を受講して以来、戦前の歴史に関する本を最近はよく読んでいることに気付きました。
西村さんの本の後半は、戦争の本質に係る見解が述べられています。
私は、「『戦陣訓』の罪」という章に心打たれました。
東条英機が作った「戦陣訓」について西村さんは、「まぐれもなく悪書である。しかも、法律ではなくて、訓示であることが、なおさら厄介だ。法律なら、触れないようにすればいいし、間違っていれば、変えることができる。訓示では、それができない。」と厳しく批判しています。
「戦陣訓」のことは、「念仏者9条の会 第24回全国大会IN福岡」でお聞きした、福岡大学名誉教授の石村善治さんのお話しにも出てきました。
石村さんは、「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」などの言葉の呪縛に戦時中は悩まされていたと語っておられました。
西村さんも石村さんと同様に、「戦陣訓」の呪縛について次のように厳しく語っています。
「戦陣訓は、読んだ者を、束縛する。戦陣訓だから、軍人だけを縛るものなのに、民間人が縛られて、自殺しているのだ。『虜囚の辱しめ」というのは、本来は、軍人のことなのに、民間人が、自分のことを考えて、サイパンや沖縄で何人も死んでいる。テレビのドキュメンタリーで、崖から身を投げて死んでいく若い女性の姿を見ると、私は、東條が殺したように見えてならない。これが、軍人の場合は、自死を強要していた。敵地攻撃の多かった海軍航空隊パイロットは、敵地に向かう時、パレシュートを持っていかなかったという。戦陣訓に『生きて虜囚の辱しめを受けず』とあるからである。敵地上空で被弾し、パラシュートで降下すると捕虜になる可能性があるが、捕虜になるくらいなら、自決しろと訓示しているのである。それなら、パラシュートは、もっていってもいかなくても同じだと考えてしまう。そのため、ベテランパイロットの死亡が多くなって日本の敗北を早めることになった。」
西村さんは、この本の最後に、精神主義ばかりを強調する日本人は、戦争(現代戦)に向いていなかったと結論づけています。
そして、「日本人は、平和に向いているのだろう。」と書いています。
私は、その結晶が憲法9条ではないかと思います。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
北朝鮮問題の緊張を緩和していくためにも、9条が大切だと思います。
北朝鮮への軍事的緊張を高め、憲法9条の形骸化を進める憲法「改正」を進めようとする安倍政治は転換が必要です。
解散総選挙で、改憲勢力3分の2体制を打破し、安倍改憲を許さない選挙結果を実現していきましょう。
私も候補者の一人として力を尽くす決意です。
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