議員日誌

「この世界の片隅に」鑑賞記その2

 今日も、映画「この世界の片隅に」の感想を述べたいと思います。

 映画のパンフレットで、アニメ研究家・氷川竜介さんがこう書いています。

 「本作『この世界の片隅に』には、人の普遍的な『機微』が描かれている。その機微が『地続き感』として、約70年後に生きるわれわれに伝わってくる。それは『この世に生を受けたこと』を見つめなおすことでもあり、大量の情報に振りまわされて消耗しているかもしれない現代の人びとに『生命を吹きこむ』『活気づける』という点で、正しくアニメーションすることでもあるのだ。」

 片淵監督はインタビューで主人公のすずを演じたのんさんとのやり取りについてこう語っています。

 「当初の試行錯誤の中で、彼女(のんさん)が『すずさんの気持ちは表面的には読み取れるんだけど、彼女の内面にある痛みって何ですか?そういうものがあれば教えてください』と聞いてきたんですよ。それに対して僕は、『すずさんは、自分の中身が空っぽであることが表に出るのが恐いんだと思う。けれども、空っぽに見える心の中の部屋にある床下を開けると、すっごい豊富な宝物がいっぱいあることに気付いていなくて、そこがすずさんの痛みというより痛さなんじゃないか。そこにアプローチできるのは、すずさんが右手で絵を描く時だけなんだ』というようなことを答えました。では、その右手が失われた時に、すずさんは自分の心の地下室にあるものを、どうやって外へ出していくんだろう。収録に慣れてきた終盤のシーンのある瞬間、のんちゃんが『この作品はすずさんのモノローグじゃなくて、本当に口を動かして喋っているんですね』と言ってきたんです。『今までのすずさんだったら、絶対口に出して言わないことですよね。でも、ここで言っているということは、それはすずさんが変わったということなんですよね?』とすごく的を得た質問をいっぱい投げかけてくる。」

 すずさんが、「この世界」に生きている「機微」がのんさんを通して、観覧している私たちに届いた作品と言えると思います。

 アニメ研究家・氷川さんは、「本作同様に、太平洋戦争の終戦にいたる時期をメインにした映画は多いが、一派’にネガティブで暗い側面が強調されている。そうすると観客と隔たりのあるものにも見えかねない。しかし確実に実在していた『人と世界』を『生命あるあたえられた柔らかな絵』に置き換えて大衆的な生活にフォーカスすることで、より身近なものとして体感できるのではないか。そんな意欲が本作には感じられる」と書いています。

 氷川さんの「この世に生を受けたこと」を見つめ直す作品との表現に納得します。

 太平洋戦争の末期生活が「確実に実存していた」と感じられる作品との表現に納得します。

 この二つの意味で、「この世界の片隅に」は、これからも生き続ける作品と言えると思います。

 2017年の正月は、じっくり「この世界の片隅に」の世界に浸りたいと思います。

 この作品がこれからの人生の糧となることを確信するからです。

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