真梨幸子さんの「殺人鬼フジコの衝動」を読み終えました。
昨日買って今日読み終えましたので、インパクトは強烈です。
さすがに、50万部を超えるベストセラーです。一気に読み終えました。50代に入って最速で読み終わった本でしょう。
解説で、書評家の藤田香織さん「正直、『誰にでも』好まれる、愛される物語は少ない(いや、ここはあえて『ない』と断言しましょう)けれど、だからこそ、私は真梨さんの小説を求めずにはいられません。ほっこり感動系の優等生小説とは対極にある、大胆で、灰汁が強くて、口当たりの悪い苦みは、作家・真梨幸子特有の『旨味』。」と本書を評しています。
真梨さんの苦みが癖になり、続編の「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実」を読もうと思っています。
この小説は、「フジコ」という題名でhuluでドラマ化されました。
尾野真知子さんがフジコを熱演しています。
尾野さんは、ドラマのHPで「私なりの解釈でこの破壊的な女性を演じきりましたが、演じていてとても辛かったです。」と率直に語っています。
今、DVDでドラマを視聴しているところです。
私は今年、浄土真宗本願寺派の「門信徒手帳」を愛用しています。
手帳の最初に本願寺派布教使・松本智量さんによる毎月の法話が掲載されています。
9月の法話では、「反省させると犯罪者になります」(岡本茂樹著・新潮新書)が紹介されています。
「岡本氏は、刑務所で更生に携わる中で、こう確信するにいたりました。『反省させるだけだと、なぜ自分が問題行動を起こしたのかを考えることにならない』『反省は、自分の内面と向き合う機会(チャンス)を奪っている』(同書より)」
「岡本氏はまず受刑者たちに自分が抱えている不満・恨み・怒り・哀しみ・嘆きなどの否定的感情を語らせます。『あるべき自分』の陰に押し込まれた『ありのままの自分』を認め、自分の内面と向き合い、自分の心の痛みに気づくことができて初めて、人は他人の痛みに思いを馳せることができるのだと。そして、そのためには、『ありのままの自分』を出せる場が必要といいます。」
松本布教使は、親鸞聖人の書かれた「唯信鈔文意」にある「自力のこころをすつるというは、やうやうさまざま大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかえりみず」という一文を引用して次のように語っています。
「たしかに反省というのは一見すると、我が身の悪や罪を深く悔いている行為のようですが、実際に反省している自分を思い返してみると、それは自分を免罪するための手続きでしかないことが多いように思います。反省しているのだからもういいじゃないかと。そして自分が為したことを忘れ、また同じことを繰り返します。」
確かに今日、「ありのままの自分」が出せる場が少なくなっているのかも知れません。
私は、PTAなどで教育に携わっている者の一人ですが、教育の「ありのままの自分」が出せる場が増えることを望みます。
「フジコ」というフィクションの中で、「フジコ」が抱えた呪縛とは何かを考えたいと思います。
真梨幸子ファンの皆さん、お勧めの作品をお教え下さい。
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