昨日、本願寺山口別院で行われた帰敬式に参加しました。
浄土真宗必携「み教えと歩む」に帰敬式とは、「阿弥陀如来・宗祖親鸞証人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申し日暮らしを送ることを誓う、最も大切な儀式です。帰敬式を受け、仏弟子となった方には、本願寺住職(ご門主)より法名が授与されます。法名をいただくということは、み教えに生かされてて生きていくことへの決意をあらわす名をいただくことです。」とあります。
今年4月、浄土真宗本願寺派山口教区宇部北組常光寺の責任役員を引き受けました。
帰敬式を契機に、常光寺責任役員としての役割をなお一層果たしていきたいと思っています。
帰敬文の最後に「この上は、ますます聞法にいそしみ真宗念仏者の本文をつくし報恩謝徳につとめます」とあります。
これからは、念仏者の一人としてしっかり勉強していきたいと思います。
本願寺住職よりいただいた法名は、「釋諦観」です。
諦観の解説文がありました。
「顕浄土真実教行証文類」「化身土巻」に「言諦観彼国浄業成者」という言葉があり、その一部から諦観を取ったとありました。
広辞苑で諦観とは「(仏)明らかに真理を観察すること」とあります。
「諦」はあきらめるとも読みます。
仏教TVというインターネットサイトによると、「あきらめる」は「あきらかにみる」が元で短縮されて「あきらめる」になったとあります。
「あきらかにみるとはその原因を明らかに見よということ」「あきらめるとは180度正反対の努力家になること」とあります。
私は、20代の頃から科学的社会主義を勉強してきました。
そして、50代になって仏教の勉強をはじめました。
これからの人生はこの二つ視点で物事をあきらかにみていきたいと思います。
諦観(たいかん)。いい法名をいただきました。
彫刻家の重枝新治さんに木彫の阿弥陀如来像の作成をお願いしておりましたが、丁度昨日、私の手元に届きました。
頂いた釈迦如来像は、昔の箪笥の引き出しだった桐の箱の中に入っていました。
この桐箱が今日から我が家の仏壇になりました。
ほんのり微笑む重枝さんによる阿弥陀如来を拝んで一日をスタートさせました。
帰敬式と木彫、これらのご縁に感謝したいと思います。
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