お寺の責任役員を引き受けて、「本願寺新報」を読んでいます。
4月10日号には、鹿児島教区懇談会が行った北海道大学の中島岳志准教授を講師とした公開講座の記事が掲載されていました。
「本願寺新報」を引用します。
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近代西洋の人間を中心とした合理主義、理性主義と対比させ、「親鸞聖人の、絶対他力、本願力に照らし出された私という存在は、常に私を越えたものの力によって構成されている。その観点からすると、合理主義は根本的に疑われ、その合理主義を親鸞聖人は『自力』と言った」と開設。「そういう自力によって世界をコントロールできるという人間観には大きな誤りがある」「絶対他力、弥陀の本願に打ち砕かれ、自力というものの決定的な無力ということを自己認識することによってはじめて、世界の何かが開かれる。自己を解体した末に、そこに現れる念仏、祈り、行為が政治において重要な意味をもっていることを、政治学の上で語りたいと思っている」などと語っています。
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絶対他力とは、地球的規模で物事を見るということなのでしょうか。
自力に過信して資本主義が行き詰ってきているとの指摘は重要だと感じました。
中島先生の講演を報道する記事を見て、親鸞について自分なりにもっと学びたいと思いました。
そして、中島先生の著作にも触れていきたいと思いました。
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