「レンガの子ども」が復刊された赤旗の本の紹介欄で知り、直ちに書店に注文しました。
「レンガの子ども」は、ヤジエセツルメント保育所の実践を綴った本であり、私は、ヤジエセツルメントに学生時代に所属をしていたのです。
1959年9月26日、伊勢湾台風が東海地方を襲いました。名古屋市の南区、港区、中川区を中心にすべて水没し、5千人余の死者、4万家屋の倒壊という被害が出ました。
名古屋市は、被災者のために応急仮設住宅を建てました。その一つが、南区弥次衛町に建てられました。その仮設住宅にに「ヤジエセツルメント保育所」が誕生しました。
この保育所の実践を綴った本が、「レンガの子ども」という本です。当時の保育士であった河本ふじ江さんと原田嘉美子さんの共著です。私がヤジエセツルメントの在籍した時代には伝説となっていましたが、絶版となっており、読むことができませんでした。
復刊により、私は、初めてこの本に触れることが出来ました。初めてですがとても懐かしい気持ちで一杯です。先輩の努力に頭が下がると同時に、私たちが通っていた当時のヤジエの街を思い出し目頭が熱くなります。
ヤジエセツルメント保育所は、1959年12月から1962年8月まで、二年八ヶ月しか存続しませんでしたが、保育所の実践が、「朝日ジャーナル」に掲載されました。
そして、東芝日曜劇場でドラマ化されました。ドラマでは、保育士役に、今も活躍されている渡辺美佐子さんと香川京子さん、セツラー(セツルメント活動を行う人の意味)役に、山本学さん、石坂浩二さんが出演されています。母親役に京塚昌子さんも出演されたと聞いています。
本の中にヤジエセツルメント保育所の大原則がこう書かれてあります。
「要求をとらえ組織する、要求を掘り起こす。そして話し合いをすすめ、全員で合意形成をしていく」
ヤジエセツルメント保育所は愛知の保育の原点と言われている所以は、この大原則にあると書かれてあります。
50年近くたってこの本が復刊された理由も、この大原則が今こそ求められているからだと思います。
この辺りを東海医療福祉専門学校の中村強士先生がこう書いておられます。
「今年2009年は子どもの権利条約が国連で採択されて20年目にあたります。あらためて子どもの権利について考えるときにも関わらず、『子どもの貧困』という問題が私たちに重くのしかかっています。
しかし、『こどもたちのために!』と努力を惜しまない保育者の姿を私はたくさんみてきました。私は、『レンガの子ども』を引き継ぐ一人として大きな責任を感じつつ、同じ思いをもつ多くの保育者たちといっしょに、これからも学んでいこうと思います。レンガを積み上げていくように・・・」
私も「レンガの子ども」を引き継ぐ一人であることを誇りに思います。直接保育の現場で働くものではありませんが、「住民のために!」努力を惜しまず力を尽くしていこうと思いました。
私は、押入れから「弥次衛セツルメント第90回定期総会―86年後期総括・87年前期基調方針(案)」を引っぱり出してきました。
この頃、私は、ヤジエセツルメント委員長を務めていました。この資料を作るために、何日も何日も議論した日々を思い出します。
この中に規約があります。「本セツルメントは1959年9月26日に起こった伊勢湾台風の救済活動をきっかけとして、1960年1月24日南区弥次衛町を対象として発足した」「本セツルメントは平和と民主主義を守り、地域住民の福祉向上と学生の自主的民主的学問研究のために活動する」懐かしい文字が躍っています。
保育所のスタートの直後に、セツルメント活動が正式に発足したのですね。それから25年以上後に私たちが弥次衛町に通っていたのです。そして、50年近くたった今も後輩の皆さんが弥次衛町に通っていることでしょう。
全国のセツラーだった皆さん。とりわけヤジエセツルメントの先輩。同期の皆さん。後輩の皆さん。近況をお知らせください。
地域のモウソウ・マメさん・ヒデ・ユキチャン・キョウミ・カオリ元気ですか。近況をお知らせください。
「レンガの子ども」には私の原点があります。これらもこの原点を忘れずに生きていきます。
同期の皆さん。そろそろ同期会やりましょうね。
コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。
メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。
昨日横浜にて「保育の集い」があり、「レンガの子ども」の復刻本を民主書店(共栄堂いづみ書房さん)の臨時売店でみつけました。
「おお、これが・・」と感慨深く手にしました。
で、検索かけて見たらこちらのブログにヒット・・・。
コレも何かのご縁ですわ・・。
ときどき遊びに参りますね・・。ぜんぜん山口県とは縁もゆかりもなしですが。
こういうブログ巡りは楽しいモンです。はい。
by おりがみ — 2009年9月14日 13:54 PM
私は『レンガの子ども』の著者のひとり河本ふじ江です。本日、ひとなる書房の社長さんから紹介され、藤本さんのブログを開いたところです。藤本さんはセツルメントの委員長をされていたとのこと
等々を知って感動のひとときを過ごしています。うれしいです。
セツルメントで活動した学生が日本中で大活躍しています。藤本さんも共産党の議員として地域に足をつけた活動をされておりすごいですね。50年前に実らせた保育実践が多くの保育関係に読まれ広がっていくことを願っているところです。ご活躍を祈っています。
by 河本 ふじ江 — 2009年9月15日 11:40 AM
わぁすごい。
作者さんがアクセス。
これがブログの面白いところですね。
私はちーっとも地に足が着かないでいますが・・・
河本先生、どうかお元気で、この国の保育の行く末に力をおあたえくださいませ。
by おりがみ — 2009年9月19日 1:46 AM
おりがみさんへ
「レンガの子ども」を読んでくれてありがとう。私はブログをつくってないけれど、名古屋の方にこられたら会いたいですね。
私は74歳でーす、今も保育園にでかけて絵本の読み聞かせなどしています。子どもに元気をもらっています。
おりがみさん連休リフレシュしてまた楽しい保育を展開してくださーい。お元気で。 河本 ふじ江
by 河本 ふじ江 — 2009年9月22日 14:00 PM
この場をお借りして・・・
河本先生、感激です。ありがとうございます。
連休は甲子園へいってリフレッシュ(トラの看病という噂もあるが・・)してまいりました。
名古屋・・クライマックスシリーズに阪神が出たら・・いけるかな???行きたいなぁ!!
おっと・・その前に今週末は山形庄内へ稲刈りへ行きます。
年長児を連れて・・・。農民連の皆さんとの交流も楽しみです。
by おりがみ — 2009年9月23日 22:19 PM
1976年生まれでヤジエセツルメントの皆さんに一緒に遊んで頂いたものですが、たまたま懐かしくなって調べてましたら藤本さんのところにたどり着きましてコメント載せました。88年卒ですとちょうど小学生時代と重なりもしかしたら、遊んで頂いたこともあったかもしれません。
当時の記憶ですと『ダッシュ』さん♂、『マルコ』さん♂と『ゆう』さん♀といつニックネームの方くらいしか思い出せないです。あの頃の経験が自分の人間形成に大きな影響を与えて頂いたと思います。こんな場を借りてですが、感謝申し上げます。ありがとうございました。
by 山田智昭 — 2014年6月28日 11:32 AM
1976年生まれでヤジエセツルメントの皆さんに一緒に遊んで頂いたものですが、たまたま懐かしくなって調べてましたら藤本さんのところにたどり着きましてコメント載せました。88年卒ですとちょうど小学生時代と重なりもしかしたら、遊んで頂いたこともあったかもしれません。
当時の記憶ですと『ダッシュ』さん♂、『マルコ』さん♂と『ゆう』さん♀といつニックネームの方くらいしか思い出せないです。あの頃の経験が自分の人間形成に大きな影響を与えて頂いたと思います。こんな場を借りてですが、感謝申し上げます。ありがとうございました。
by 山田智昭 — 2014年6月28日 11:32 AM