議員日誌

ヨイトマケの唄

 引き続き、移動の車中でクワタを聞いています。

 桑田佳祐のアルバム「TOP OF THE TOPS」の中に「ヨイトマケの唄」があります。年配の方ならご承知の丸山明宏(今の美輪明宏)の曲をクワタがカバーしたものです。クワタのアルバムの中でカバー曲は貴重なものだと思います。

 大西ユカリと新世界のアルバム「昭和残唱」で大西ユカリが「ヨイトマケの唄」を歌います。これも、迫力満点ですが、クワタの「ヨイトマケの唄」も泣けます。昨日、議会開会のため、車を山口に走らせていたのですが、この曲ばかり、5回も6回も聞きました。

 やはり、この唄そのものに力があるのでしょう。そして、クワタの歌唱力に感服しました。

 この唄の詞が泣かせます。私と生い立ちとダブルのです。

 「ヨイトマケの子どもきたない子どもといじめぬかれてはやされて」

 親が炭鉱で働いておられたという方から「子どもの頃は、ヤマの子といじめられた」という話をお聞きしたことがあります。こんな辛い思いを私がしたわけではありません。それでもこんな想いはしました。

 中学校の野球の大会の時など、田舎の学校だということで「吉部」(私の中学名)と、はやされた経験は忘れることが出来ません。高校に入っても一番田舎の中学から来た生徒だということで、似たようなはやされ方をされた経験があります。友人に恵まれて、それ以上のいじめを受けたことはありませんでした。

 それでも、この詞を聞くと、田舎の子とはやされた時の気持ちが蘇ってきます。

 「何度か僕もグレかけたけど やくざな道をふまずにすんだ」

 私は決して優等生ではなかったので、この辺りの詞にもグッときます。

 「母ちゃんの働くとこを見た」

 私は、父が働くところは、一緒に修学旅行に行った(旧楠町は小学校の修学旅行は一緒に行っていまして、父は、隣の小学校の6年の担任でした。)ことぐらいでしょうか。直接的には見たことはありません。

 しかし、母の働くところは、昨日も見ました。お米を取りに実家に寄ると母は草刈機を動かしていました。父は昼間いません。祖母は、だんだん高齢になります。その中で、母が農業の中心でした。私は、母が汗にまみれなった姿を見ながら育ちました。 

 その母の姿があったから今の私があるのかも知れません。

 母は数年前、重い病気をしましたが、今はすっかり元気です。

 後何年、一緒に農業が出来るでしょうか。これからも母に我が家の農業の中心にしっかり、座ってもらいながら、私も精一杯、母を支えていこうと思います。

 こんな想いを巡らせながら、クワタの「ヨイトマケの唄」に涙しました。

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