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地域医療介護総合法で山口県の病床は

 昨日、日本共産党山口県地方議員会議が行われ、吉田自治体部長から地域医療介護総合法も元で山口県内の病床の削減がどのように行われようとしているかの報告がありましたので紹介したいと思います。

 地域医療介護総合法は、2025年までに医療・介護の費用を合計で5兆円削減することを目的としています。

 その中で、高度急性期、急性期、回復期、慢性期ごとに基準病床数が定められ、必要量を超えている病床は削減し、過小な病床へ移行させsられます。

 全国で43万の病床を抑制させる計画です。山口県では、2万1965床を1万5156床へ。6809床の削減をする計画です。

 病床ごとに観てみます。高度急性期は、2847床を1265床に。1582床削減する計画です。

 宇部小野田医療圏では、798床を270床に。現在、山大附属病院に685床、宇部興産中央病院に113床ある高度急性期病床を528床削減しようとするものです。

 病床削減は「協議の場」が設置され行われますが、県知事に講ずることができる措置が付与されます。

 医療機関が過剰な医療機能に転換しようとする場合、知事は、公的医療機関等には命令することが、その他の医療機関には要請する権限が与えられます。

 そうなると、地域医療介護総合法により、山大附属病院の高度急性期病床を県知事が大幅削減するよう命令する可能性が今後想定されます。

 山口大学の高度急性期病床の削減は、宇部小野田医療圏だけではなく山口県の高度急性期医療に甚大な影響を与えることになると考えられます。

 医療費削減を目的に、性急に高度急性期病床をこのまま粛々と削減していいのか、県民的な議論が必要だと思います。

 次に、慢性期病床についてです。これは一般的に療養病床と言われ、早くから厚生労働省は大幅削減を検討してきました。

 地域医療介護総合法により、山口県にある、慢性期病床9728床を5192床に。4536床削減する47%、ほぼ半減させる計画です。

 宇部小野田地域では、1888床を1064床に削減。824床に削減する計画です。

 回復期病床は、349床から879床にする計画ですが、増加病床は530床です。

 慢性期と回復期だけを比較しても約300床削減されます。政府がいう「過小な病床への転換」以上の削減で、医療難民が生まれることは明らかです。

 宇部小野田圏域では、宇部リハビリテーション病院、宇部西リハビリテーション病院、宇部記念病院、シーサイド病院、宇部第一病院、長澤病院、サンポプラ病院、綿田内科病院、森田要因、瀬戸病院、河村病院、徳久内科病院など、病床に対する慢性期病床の割合が高い病院が多数あります。

 「民間病院には、要請や指示」といいながら、慢性期病床の半減の要請は、病院つぶしに等しいものであると思います。

 命令を受ける公的病院で、慢性期病床の削減分を全て賄うならば、山口宇部医療センター、美祢市立病院、美祢市立美東病院の慢性期病床は全て無くなってしまいます。それでも目標を達成するためには更に500床以上の病床削減が必要です。

 そもそもこのようなスキームでの病床削減をこのまま粛々と進めていいのか、急いで県民的な議論を行う必要があります。

 この数年で2025年までの病床削減が決められてしまいます。

 各病院の皆さんのご意見もお聞かせいただきたいと思います。

 介護・医療難民で苦しむのは県民です。県民の命と暮らしを守るため、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

静かなるアフガン

 シンガーソングライターの長渕剛さんが、フジテレビ系のテレビ番組で以下のように語ったことがインターネットに掲載されていました。

 「歴史をひもとけばわかるように、どんな時代でも戦争に行くのは子どもたちだ。僕のふるさとの知覧からも、(特攻隊が)飛び立っていった。子どもたちが行くんですよ。僕ら『行かない人間』が議論しなくちゃいけないことは、絶対にこいいうこと(戦争)をしないようにするにはどうすればいいかということだと思うんです」

 「現場に行くのは自衛隊員。震災を思い出してほしい、どれだけのことを自衛隊はやったか。彼らを死なせるのか?死なせてしまっていいのかということだと思うんですよ」

 長渕ファンの知人の方から「静かなるアフガン」を紹介され、移動中の車の中で聴いています。

 この曲は、9.11があり、アメリカが起こしたアフガニスタン報復戦争を批判したものです。

 少し紹介します。

 「空爆に両足をふっ飛ばされた少女の瞳から真っ赤な血液がしたたりおちる」

 「広島と長崎が吠えている 『もう嫌だ!』と泣き叫んでいる」

 「戦争に人道などありゃしねぇ 戦争に正義もくそもありゃしねぇ」

 「あゝ 早く アフガンの大地に 平和と緑よ やどってくれ!」

 長渕剛さんの「静かなるアフガン」を多くの皆さんに聴いてほしいと思います。

 そして、戦争法案を成立させていいのかどうか皆さんと一緒に考えたいと思います。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

山口県弁護士会が安保法制廃案求める会長声明を発出

 4日、山口県弁護士会は、「衆議院が安全保障法制に関する法案を可決したことを抗議し、廃案にすることを求める会長声明」を発出しました。

 会長声明は「本法案は、平和主義を定めた憲法前7分及び第9条に違反し、平和国家としての日本の国の在り方を根底から覆すものであり、かつ、これらの憲法の条項を法律で改変するものとして立憲主義の基本理念に真っ向から反するものである。」「憲法改正手続きを踏むことなく憲法の実質的改正をしようとするものとして国民主権の基本原則にも反するものである。」と戦争法案を厳しく批判しています。

 その上で、「東海は、基本的人権の擁護を使命とする法律家の団体として、本法案の違憲性を強く訴え、衆議院が本法案を可決したことに強く抗議し、改めて国会において廃案にすることを求めるものである。」としています。

 山口県弁護士会は、6月10日にも、「安全保障法制改定法案に反対する会長声明」を発出しています。

 安倍首相は、地元の法律家団体、山口県弁護士会の意見に従い戦争法案は廃案にすべきです。

 県弁護士会は、8月9日の日曜日、下関市で、安保法制の廃案を求める集会を行い、市内から500名の参加者がありました。

 安倍首相は、地元山口県民の声を傾け、戦争法案は廃案にすべきです。

張本勲さんの「あの夏」

 8日土曜日の読売新聞の「戦後70周年あの夏」に元プロ野球選手の張本勲さんのインタビューが掲載されていました。

 張本さんの両親は、日本の植民地だった朝鮮から日本にやってきます。

 張本さんは広島市で生まれ、5歳で原爆投下の日を迎えます。

 張本さんは、原爆でお姉さんを亡くします。その時の様子をこう表現しています。

 「2日ぐらいたち、比治山で勤労奉仕中に行方不明になった姉が、服の名札を手がかりに担架で運ばれました。優しくて、美人で、慕っていた姉でした。それが顔も分からないような無残な姿になって、『熱い、熱い』と。私はブドウを取って、姉の口に持っていった。汁が出たかは覚えていない。でもかすかに姉が、勲ちゃん、ありがとう。母は着ていたチョゴリを引き裂いて、不眠不休で冷やそうとした。一日半ぐらい、生きていましたかね。」

 在日朝鮮人として差別を受けた張本さん。こう表現しています。

 「原爆で姉を亡くす前の年のこと。4歳だった私は、バックしてきた三輪トラックにぶつけられて、たき火の中に転がり込み大やけどを負いました。顔や胸の傷は治ったが、右手は薬指と小指が燃えてしまって完全に癒着し、親指と人さし指も曲がったまま。叔父が警察に届けたところ『お前ら朝鮮人じゃないか』と、取り合ってもくれないといいます。叔父は震えるぐらい悔しかったと言っていた。」

 張本さんは、こう語ります。

 「人間には知恵がある。お互いに引くところは引き、話し合えば片づかないものはないというのに、なぜ争うのか。政治は分かりませんが、喧嘩してもどっちもマイナス。その最たるものが戦争です。」

 今こそ安倍首相には智恵を出して戦争を防ぐ平和外交にこそ力を尽くしてほしいと思います。

 張本さんの言葉が心に響く被爆70年の夏です。

ドリームチャレンジ2015IN太田原

 山口県PTA連合会主催のキャンプ「ドリームチャレンジ2015IN太田原」に娘と一緒に参加しました。

 私は、県P連総務副委員長ということもあり、スタッフの一員として参加しました。

 小学生は4年生から6年生の約60名。そして、山口大学教育学部を中心とした学生ボランティアが約30名。PTAスタッフがのべ20名といった布陣でした。

 久しぶりの本格的なキャンプ企画へのフル参加でした。

 50歳を過ぎた私ですが、これだけワクワクドキドキする体験が出来たことに感謝する3日間でした。

 8日金曜日は、夕方から、ピザづくりを行いました。

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 子どもたちは美味しそうに手作りビザを食べました。

 子どもたちは、生地づくりからトッピングまで行いました。

 手作りのピザ窯で、焼いたピザは、私の人生で食べた最高のビザでした。

 私は、ピザ窯担当で、窯の中を600度に維持するために、蒔をくべ続けました。

 子どもたちが美味しそうに食べる姿に癒されました。

 9日土曜日は、午前中は、魚切の滝周辺を散策。

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 周南市魚切の滝周辺は天然のクーラーでした。

 子どもたちは涼しそうでした。

 午後は、ニジマスのつかみ取りとニジマスの塩焼きを皆で食べました。

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 ニジマスのつかみ取りを体験した子どもたち

 その後は、バーベキュー。私は、コンロの当番で、炭をおこしづつけました。

 夜は、キャンプファイアー。班ごとのスタンツにPTAスタッフも大笑いしました。

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 キャンプファイヤーで火の神が登場しました。

 今日の最終日は、ソーメン流し。

 子どもたちは、竹で箸と器を作って、自分の食器でソーメンを食べました。

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  自分が作った箸と器でソーメンを食べました。

 私は、ソーメンをゆでる釜の当番でした。

 考えてみると、3日間で、5時間以上、窯やコンロや釜の前に居ました。

 こんな経験は初めてです。

 火をおこしたりすることが好きなんだということを実感する3日間でした。

 参加した娘も山大生ととても仲良くなり、とても楽しい3日間のようでした。

 私の50年の人生の中でもとても充実した3日間を過ごしました。

 このような体験が出来た山口県PTA連合会と娘に感謝する気持ちで一杯です。

 ドリームチャレンジに関係した全ての皆さんに感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

8月6日の意味を深く胸に刻み

 昨日から甲子園が開幕しました。

 京都府代表の鳥羽高校梅谷主将は、「次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います」と選手宣誓を行いました。

 高校野球が始まって100年ですが、第97回全国高校野球大会です。

 以下、今朝のしんぶん赤旗の「鼓動」から甲子園の歴史を紹介したいと思います。

 太平洋戦争が迫1941年夏、地方予選が始まったのの、甲子園大会は開かれませんでした。

 終戦の8月6日には空襲でグランドに無数の焼夷弾が突き刺さり、一塁側のスタンドの一部が消失していました。

 46年1月の「大阪朝日」社告には、「明朗健全なる国家の建設はスポーツいよって培われるフェアプレーの精神・・・にその基礎を置かねばならない」「戦争によってゆがめられた若き心をスポーツによって本来の姿に立ち返らせるとともに、野球を通じて民主主義精神の育成を」と書かれていましす。

 梅谷主将の宣誓を私たち全てが胸に刻み、平和を築く一歩を踏み出さなければなりません。

・・・

 今日から、日曜日まで、山口県PTA連合会の「ドリームチャレンジ2015」に参加のため周南市の太田原自然の家に宿泊します。

 明日のブログはお休みしますのでご理解下さい。

 子どもたちに元気をもらうキャンプにしたいと思います。

 小5の娘と一緒に参加します。