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阿武町議選 市田氏迎え演説会

 11月7日告示(12日投票)で阿武町議選が行われます。

 阿武町で初の日本共産党の議席獲得に挑む、よねつ高明候補の勝利をめざし、昨日、日本共産党阿武支部は、市田忠義副委員長を迎え、演説会を行いました。

 人口約3500人の街で、会場いっぱいの180名の人が参加しました。

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左がよねつ高明候補、右が市田忠義副委員長

 弥富村おこし会の中村和夫会長、市民連合@やまぐちの藤井郁子さんから党躍進を期待するあいさつが寄せられました。

 よねつ高明候補は、「私を町議会に送ってほしい」と決意を述べました。

 市田副委員長は、総選挙直前に自民党補完勢力の希望の党によって市民と野党の共闘に逆流が持ち込まれた中、日本共産党が多くの小選挙区で候補を取り下げ、立憲民主党などの候補を支援したことについて「共闘戦力が議席を伸ばす上で大きな貢献となったことは結果が示している。安倍政権の暴走を止め、日本の政治に民主主義を取り戻す大局的立場に立った間違いない判断だった」と強調。日本共産党の議席が後退した一方、これまでにない著名人から厚い信頼が党に寄せられていると語り、「逆流の中でも共闘を大事にする勢力が希望の灯をともした。ここに将来につながる大事な結果があった」と力説しました。

 その上で市田副委員長は、どんな状況でも躍進を勝ち取るには、党をまるごと知って支持してもらう活動の発展と、強く大きな党づくりが不可欠だとしえ「そのためにも空白自治体に党議員をつくらなければならない。新たな党の議席が生まれた地域では大きな変化が起こっている」とのべ、よねつ候補の必勝を訴えました。

 阿武町にお知り合いに方がいらっしゃいましたら、よねつ高明候補への支援を訴えていただきますようお願いいたします。

 

総選挙結果めぐりトーク

 25日、元大阪市長の平松邦夫さんが代表を務める公共政策ラボが総選挙の結果をめぐりシンポジウムを開きました。

 シンポジウムには、内田樹・神戸女学院大学名誉教授と釈徹宗浄土真宗本願寺派如来寺住職が参加しました。

 27日のしんぶん赤旗日刊紙にシンポジウムの中身が報じられていました。

 内田樹氏は「『排除します』というあの一言で、希望の党が一気に失速し惨敗した。『改革』勢力だと言って伸びてきた維新も、敵をつくってののしるという手法自体があきられてきた」と排除・分断勢力の落ち込みを指摘しました。その中で、「際立ったのは共産党の志位和夫委員長。いくつかの選挙区で共産党は候補者を降ろし、立憲民主党が検討した。『見返りは民主主義です』は名文句。偉い。立憲デモクラシーを守るために『瘦せ我慢』をしたのですね。ツイッターに、共産党の『痩せ我慢』に(比例)は一票を投じたと書いた」と発言しました。

 釈徹宗氏は「共産党と立憲民主党は、一筋の希望ですよね。共産党は自らを捨ててあるべき方向へと進めようとした。共産主義者が体を張って民主主義を守る。この骨を拾うという野党の本気を見せてくれという思いをキャッチしていただきたい」「希望の党は二大政党制をめざすというが、ほぼ同じ政党が二つあって、選べといわれても。そんな過酷な選択をわれわれはしたく」と述べました。

 私は、浄土真宗本願寺派の門徒総代会の役員をしています。

 釈徹宗さんは、著書も多く、NHKのETVで「歎異抄」の解説をするなど、浄土真宗本願寺派を代表する研究者のお一人です。

 私も二度、釈さんの話を直接お聞きしました。

 釈さんが、しんぶん赤旗にトークの紹介記事であっても登場されるのは、私の記憶では多分初めてだと思います。

 釈さんに「共産党と立憲民主党は、一筋の希望ですよね。」と言われとても嬉しくなりました。

 釈さんと内田さんとの共著も多数あります。読んで見ようかと思いました。

 釈さんには、現代の政治に関わる問題に関して今後も大いに発言していただきたいと思います。

 「希望」は野党共闘にあることを改めて実感する記事でした。

 総選挙の結果について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 

 

 

明太子をつくった男

 昨日、私がPTA会長を務める厚南中学校研修旅行で明太子の「ふくや」を訪ねました。

 同じようなPTAの旅行で何度か明太子工場を訪ねたことがありましたが、ふくや創業者の川原俊夫さんが明太子を考案し、世に広めた方だということを初めて知りました。

 そして、俊夫さんの次男でる川原健さんが書かれた「明太子をつくった男 ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営」を帰りのバスと昨夜で読了しました。

 川原俊夫さんは、釜山で産まれます。釜山で売られていたたらこを唐辛子に漬けた「メンタイ」を原型に「明太子」を創作したのです。

 川原さんは、妻と子どもたちを釜山に残して戦地へ赴きます。

 川原さんは、宮古島の近くの伊良部島で終戦を迎えます。

 作者の健さんは「沖縄までの航海が無事であったこと、最後の配属先が沖縄戦最前線の激戦地ではなく、後方支援であったことは、いずれも父の『運の強さ』を物語っているように思う。生死が隣り合わせの戦争では、生き残ること自体が奇跡だったのだ。」と書いています。

 朝鮮半島に残された川原さん親子は、満州を経由して日本に帰ってきます。

 健さんは、「日本の敗戦によって混乱していた中国から私たち母子が脱出できたこともまた、父の生還同様、幸運というよりほかはない。」と書いています。

 福岡で再会した川原さん家族は、福岡市中洲市場で、「ふくや」という食料品店を始めます。

 そこで、紆余曲折を経て「明太子」が生まれます。

 健さんは、大学を卒業して銀行員をしていました。

 俊夫さんと「法人化」をめぐり口論があったと書いています。

 「高額納税者でることを誇るような口ぶりに、『税金を納めるのはバカじゃないか。もっと内部留保すべきだろう』というと、こっぴどく怒られた。『健、お前は道路を歩きよろう。橋も渡るやろう。道路も橋も税金でできとるったい』と。そのときは何を言っているのかと思ったが、父が他界して数年後、ある本で江戸時代の橋は、ほとんどが商人たちが個人の財力で架けたものだという記述を読み、ようやく父の気持ちが理解できた。税金を納めることで社会に貢献したかったのである。」

 宇部市の歴史を見ても、宇部線や港の整備は、当時は、地元の企業が主に事業費を出して行っていました。

 大企業の内部留保は400兆円を超えると言われています。

 大企業に社会貢献のために税金を応分に負担してもらうことは当然のことだということがこの本を読んでわかりました。

 俊夫さんは、博多山笠の振興に貢献した人でした。俊夫さんは家族や社員にこう言います。

 「土地の文化や伝統は、絶対にそこの住民が守り継ぎ、残していかなければいかん。山笠に何かかったら財産は全部つぎ込む。」

 私が、高校生の頃、私が住んでいた旧楠町に日本電気が進出してきました。

 日本電気は夏に盆踊り「日電まつり」を行っていました。

 臨時バスが出る賑わいでした。私たち若者のあこがれの祭りでした。

 大学で県外に行き、宇部市内で就職した私は、いつ「日電祭り」が終わったのか知りません。

 私が、宇部市会議員になった26才の頃には無くなっていたように思います。

 このように、企業は、地域貢献をするのが常でしたが、今はどうでしょうか。

 地域を顧みず、労働者を顧みず、儲けを最優先、収支を最優先する企業になっているのではないかと感じます。 

 最近の神戸製鋼の事案はその結末ではないかと感じます。

 企業の社会的責任を考えさせる一冊でした。

 この本を原作として、川原俊夫さんの人生を描いた博多花丸さん主演の「めんたいぴりり」というドラマが制作されています。

 DVDで視聴したいと思います。

 この作品は、博多座で上演された舞台にもなっていますが、昨日、従業員の方が「映画になることが決まりました。」とおしゃっていました。

 ネットで検索してもその事はまだ公になっていなようですが、映画化されたら是非、観に行きたいと思います。

 地域を愛した企業人・川原俊夫さんの人生には学ぶところが沢山さりました。

 川原俊夫さんについて皆さんの感想をお聞かせ下さい。

ラストレシピ

 久しぶりに映画館に行って、上映前の予告を観ていたら、来月3日から公開される滝田洋二郎監督の「ラストレシピ」がとても気になりました。

 理由の第一は、満州が舞台になっているからです。

 最近、満州に関する本やドキュメンタリーに触れる機会が多く、関心を抱きました。

 そして、今、映画の原作、田中経一著「ラストレシピ 麒麟の舌をの記憶」を読んでいます。

 主人公は佐々木充。 仕事は最期の料理請負人。

 亡くなる前の人が最期に食べたい料理を用意する仕事。

 佐々木の元に、宮内省の調理人だった山形直太朗が満州で、「満漢全席」の日本版として考案した「大日本帝国食菜全席」を再現してほしいという依頼が届きます。

 今日までに読んだのはここまでです。

 原作を書いた田中経一さんは、90年代のテレビ番組「料理の鉄人」のディレクターだった方です。

 料理を知り尽くした田中さんだからこそ書けた作品だと言えます。

 文庫本の裏の解説には、「第二次大戦中に天才料理人・直太朗が完成させた究極の料理を蘇らせてほしといと依頼された。『最期の料理請負人』の佐々木。彼はそれを『再現』する過程で、そのレシピが恐ろしい陰謀を孕んでいたことに気づく。直太朗が料理に人生を懸ける裏で、歴史をも揺るがすある計画が動いていたのだ。美食に導かれた70年越しの謎に迫る、感動の傑作ミステリー。」とあります。

 「歴史を揺るがすある計画」とは何か。読み進めていきたいと思います。

 そして、映画「ラストレシピ」も観たいと思っています。

 皆さんの最近観た映画の感想をお聞かせ下さい。

 

三度目の殺人

 昨日、是枝裕和監督の映画「三度目の殺人」を読みました。

 映画はは役所広司さんが演じる三隅が殺人を犯すシーンで始まります。

 次に映画は、福山雅治さん演じる弁護士の重森らが、三隅に接見するシーンです。

 三隅は重森弁護士に殺人した事実を認めます。

 しかし映画の後半、三隅は、「自分は殺していない」と裁判で証言を覆します。

 三隅が、証言を覆すに足る証拠の片鱗が、映像で映し出されます。

 ミステリーは、誰が誰を殺したか「真実」が明らかになる過程を描いたものが多いのですが、この映画は、「真実」が分からなくなってくる作品です。ここがこの映画の醍醐味だと思います。

 是枝監督は、映画のパンフレットで「普通は真実に辿りついて映画は終わります。でも映画では、登場人物が真実をつかめないまま、裁きのシステムだけ維持されていくんです。真実が何かわからないなかで、人が人を裁いていかなければ維持できないというシステムを、私たちの社会は内包しているということですよね。おそらく主人公は、そのことに気づいたとき、ある恐ろしさを感じるのではないでしょうか」と語っています。

 「真実が何かわからないなかで、人が人を裁いていかなければ維持できないというシステムを、私たちの社会は内包している」との指摘は、重要だと思います。

 映画評論家の森直人さんは「『本当のことをめぐって、最大のキーパーソンとなっているのは被害者の娘・咲江(広瀬すず)だ。彼女は三隅を慕っていた。一方、法定で被害者のことを『大切なお父さん』と表現された時、瞬間的に『違う』という顔をする。実は、この映画の中で最も邪悪なオーラを放っているのは、不在の被害者だ。彼の正確な人となりはわからない。だが、周囲の人的環境はすべて汚染されている。それを無視して、法廷では『大切なお父さん』というレッテルがほとんど無意識に貼られる。考えてみれば、不可解だ。なぜ我々の住む社会では、『被害者=善』という根拠のない図式が前提的に刷り込まれている。」と述べています。

 映画の核心的な部分なので、これ以上詳しく書けませんが、「映画の中で最も邪悪なオーラを放っているのは、不在の被害者だ。」。この辺りは、是枝監督が一番描きたかった部分だったと森さんの解説を読んで感じました。

 弁護士の岩月泰頼さんは、「ほとんどの映画やドラマでは、『真実』が設定されている中でストーリーが進みますが、実際の掲示裁判では、このような『神の視点』は存在しません。証拠により事実は認定されますが、神の視点となる根拠はなく、真実は揺蕩っています。」「真実がわかると思っていること自体、傲慢だと思います。ただ、真実に辿り着けないかもしれないが、それでも足掻かなければいけないのがこの仕事の面白いところであり、やり甲斐であると最近は考えています。」と述べています。

 判決が真実に近づいたものであることを願います。

 冤罪がなくなることを願います。

 是枝監督は、2015年9月6日「早稲田から止める!戦争法案 安保法案に反対する早稲田大学全学集会」で「政権に対峙し、新しい社会をつくるのに寄与したい」と語っています。

 映画「三度目の殺人」に是枝監督の深い社会を観る視点を感じました。

 是枝監督の作品にこれからも注目していきたいと思いました。

 是枝監督、すばらしい映画をありがとうございました。

 

 

告白~満蒙開拓団の女たち~

 NHKのETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」を観ました。

 この番組は、8月5日に放送され、10月7日に再放送されました。

 10月7日報道分を妻が録画しており、昨日、観ました。

 戦前、岐阜県の山間部から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。

 終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれました。

 実際に、黒川開拓団の両隣の開拓団も集団自決をしており、集団自決をした開拓団は48に及びました。

 黒川開拓団は、侵攻してきたソビエト兵に、現地住民の襲撃から彼らを守る護衛を頼みました。

 ソビエト兵は、見返りに女性を求め、黒川開拓団から15名の未婚女性が「接待」を行いました。

 接待を行った15名の女性の内、4名は現地で、病気で亡くなりました。

 ソビエト軍の撤退後、1946年8月、黒川開拓団は日本への引き上げを始めます。

 中国本土では国民軍と共産党軍の内戦が激しくなる中で、ある橋を渡る時に、再び「接待」を求められ、5名の女性が対応しました。

 黒川開拓団650名の内、450名が帰国できました。

 博多港には、中絶手術をする診療所がありました。「接待」を強要された女性は黒川開拓団だけではなかったことが想像できます。

 安江喜子さんは、亡くなる前に「接待」の歴史を公表しました。

 息子の泉さんは、黒川開拓団が入植した陶頼昭にも足を運び、「あった事をなかったことにしてはいけない。それは自分を否定することになる」と語りました。

 この番組でインタビューに応じた当時を知る男性は、「このような事は、我われ一代でたくさんだ」と語りました。

 私の祖母の妹、石川みち枝も満州からの引揚者です。石川は終戦直後の満州で出産し、生後100日で、子どもは亡くなりました。

 石川は歌人で、「おくり火に亡き夫を偲び大陸に埋め来し吾子の齢を数ふ」

 石川の子どもさんが生きていても72歳。

 「あった事をなかったことにせず」歴史を学び、繰り返さない努力を私たち世代が行うべきだと痛感しました。

 今、澤地久枝著「14歳(フォーティーン)満州開拓村からの帰還」を読んでいます。

 私の長女は、13才になりました。

 黒川開拓団で「接待」を強いられた15名の少女たちはどんなに辛かっただろうと、涙がとまりませんでした。

 すばらしいドキュメンタリーをありがとうございました。

 オンデマンドで皆さんも是非ご覧ください。

 観られた方は感想をお聞かせください。