議員日誌

姫井伊介

 昨日、厚南・西宇部・黒石校区人権教育学習会「みなみかぜの集い」が行われました。

 今回は、山陽小野田市厚狭公民館江中幸夫館長を講師に、「姫井伊介に学ぶ」と題する講演が行われました。

 江中先生のお話の基礎になったのは、1991年に出版された当時の小野田市・小野田市教育委員会が作成した「心の響 同和問題の解決に尽くした先覚者・姫井伊介ものがたり」です。

 姫井は、須恵村の助役を辞めて、東京に創立さえた「社会政策講習所」に参加します。

 姫井は、1921年に山口に帰り、「山口県社会事業協会」を設立します。

 姫井は、山口や小野田でセツルメント活動を実践し保育事業などをスタートさせます。

 私は、日本福祉大学に在学中、「ヤジエセツルメント」に在籍していました。

 1959年、伊勢湾台風が日本を襲います。名古屋市も大きな被害を受け、南区弥次ヱ町には被災者のバラックが立ち並びます。その当時、私たちの大学の先輩たちが、支援を行います。

 それが、「ヤジエセツルメント」となり、私は、発災、25年後に弥次ヱ町で活動を行っていました。

 戦前、姫井らによって山口県内でセツルメント活動が行われていたこと知りました。

 姫井は、政治家として活動します。

 戦前は、小野田町会議員、山口県議会議員。

 戦後は、参議院議員、小野田市長。

 姫井は、県議会で、同和問題の解決を先進的に発言します。

 「本問題は第三者はあいません。その自己の罪を知ることは差別者自らを救い同時に被差別者を救うのであります。」

 講演された江中先生は、小野田市長に当選した姫井は、「日本で最も早い『革新市長』」だと話されました。

 姫井が残した言葉に「共感・共苦・共悩」があります。

 「住民が主人公」の地域づくりを進めようとした姫井伊介の人生に共感しました。

 私の政治家の一人として、姫井の生き方に学び、住民の暮らしに「共感・共苦・共悩」して力を尽くしたいと決意を新たにしました。 

 

 

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