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そろばん侍 風の市兵衛

 19日土曜日のしんぶん赤旗「日刊紙」の「試写室」にNHKテレビで放映が始まった「そろばん侍 風の市兵衛」が取り上げられていました。

 「戦はやみ、町民文化が花開いた文政期、そろばん(経済)で身を立てる若侍(向井理)の活躍を描く。」「複雑な収支決算を早業でそろばん処理をする市兵衛は、現代ならさしずめスマホ練達者だ。しかも剣の腕も立つ『二刀流』。賊に襲われながら、柳に風と、ひらひら舞うように剣を交える市兵衛の殺陣も見ものだ。」「目元涼しく、小顔の向井理は、従来のコテコテ路線の時代ドラマにあって、じつに新鮮だ。」

 早速、第1部「春の風」上を観ました。向井理さん演じる市兵衛の心優しい力持ちぶりが見事でした。

 原田泰造さん演じる「鬼渋」も見事。第一部では、鶴見辰吾演じる柳屋稲左衛門がキーマンとなりそうです。

 文庫「風の市兵衛」の解説は、文芸評論家の細谷正充さん。

 細谷さんは、私が大好きで読み続けた「みをつくし料理帖」を評価した人でもあります。

 細谷さんは、本書の魅力の第一は「興趣に富んだストーリーだ。」と指摘し次のように書いています。

 「台所事情に厳しい旗本家を建て直すだけの、渡り用人としてはありふれた仕事。しかし、そのために市兵衛が動くことで、事態は思いもかけぬ広がりを見せていく。徳川幕府を震撼させる一歩手前まで行ってしまう物語を、すんなりと読ませる作者の技量が素晴らしい。」

 「徳川幕府を震撼させる一歩手前までいってしまう物語」に興味をひかれます。

 今でいえば、森友・加計問題ではありませんか。

 森友・加計問題は「一歩手前」で終わらせてはいけません。

 幕府の闇を照らす市兵衛の活躍に期待したいと思います。

 細谷さんは、本文から次の文章を引用しています。

 「己が算盤をはじいて稼ぎを手にしたとき、己が耕した土地に実った白い米を食ったとき、己が醸し手をかけた酒を呑んだとき、己が世間に生きてあることの喜びを知りました。その喜びを言葉にすると、生きる意味になりました。」

 その上で細谷さんは、市兵衛についてこう書いています。

 「ああ、市兵衛という男は、人が生きる喜びを知っている。人が生きる意味を知っている。それを踏まえた上で、ただ『風』のように世間を渡っているのだ。だから彼は、こんなにも魅力的なのだろう。」

 「書下ろし長編時代小説」では、先述した「みをつくし料理帖」シリーズにはまり読み切りました。

 風の市兵衛シリーズ第一巻「風の市兵衛」の帯には、「全国の読者・書店員より圧倒的支持を受けて125万部突破 『風の市兵衛』にハマる!一気読み間違い無しの面白さ」とあります。

 久々に、「書下ろし長編時代小説」「風の市兵衛」にハマりたいと思います。

 「みをつくし料理帖」もそうでしたが、何よりもドラマとしても楽しめるのですから今が読み時です。

 ドラマは早くもシリーズ化に期待しています。

 なにせ、風の市兵衛シリーズは、20巻。風の市兵衛弐シリーズも始まったのですから。

 辻堂魁さんの老練な筆致に魅了されながら風の市兵衛の世界を巡りたいと思います。

 「風の市兵衛」シリーズファンの皆さん、新参者の私をよろしくお願いします。

 先輩各位の皆さん「風の市兵衛」の魅力をお教え下さい。

ワンダーストラック

 昨日は、田植えに向けて実家の田を鋤く予定でしたが、金曜日が大雨だったので中止しました。

 少し時間が取れたので映画を観に行きました。

 昨日観た作品は、トッド・ヘインズ監督の映画「ワンダーストラック」です。

 この作品は、1927年の物語と1977年の物語がクロスして展開します。

 1927年の主人公は、ニュージャージー州に住む耳の聞こえない少女・ローズ。ローズは母を訪ねてニューヨークへ。

 1977年の主人公は、ミネソタ州に住む耳が聞こえなくなった少年・ベン。ベンは、父を訪ねてニューヨークへ。

 ニューヨークで、ローズとベンが巡り会います。

 1977年に12歳のベン。ベンは、私たちの世代です。

 1927年に12歳のローズは、私の祖父母たちの世代です。

 1927年の場面は、サイレント映画として撮影されています。

 耳が聞こえないローズを演じたのは、聴覚障害を持つミリセント・シモンズさんです。

 1927年は、今から90年以上前、1977年も、今から40年以上前です。

 それぞれの当時の街の風景が見事に再現されていました。

 聴覚を失うというハンディを乗り越えながら、最愛の人を求める少年・少女の心の成長を見事に描き出した作品です。

 原作は、「ユゴーの不思議な発見」でも有名なブライアン・セルズニックさん。

 ローズとベンがどのように出会うのか、ここでは書けませんが、ミステリーとしてもとても興味深い作品です。

 監督のトッド。ヘインズさんは、「キャロル」「エデンより彼方に」で有名です。

 人種差別や同性愛など、現在を生きる私たちにとって重要な問題をテーマにしてきた監督です。

 映画のパンフレットにトッド監督は「1927年と1977年という二つの時代を舞台に、50年の時を隔てマンハッタンを駆け抜ける二人の子どものユニークな物語だ。二人とも聴覚障害者で、ベンの方は、途中で耳が聞こえなくなった。彼らは自分が何者であるのか、どこから来たのかを解き明かそうとする。映画は観客を二人の旅に誘い、彼らが自分自身を発見した時、その答えも明らかになるんだ。」と書いています。

 アメリカ自然史博物館やクイーンズ美術館が舞台になっていることも重要だと思います。

 吉野源三郎の「きみたちはどう生きるか」の問いが、この映画のテーマでもあるように感じました。

 一人ひとりの人間は大きな世界で繋がっている。

 その世界の中で一人一人の役割がきっとある。

 トッド監督は、このような事がこの映画で描きたかったのではないかと私には思えました。

 トッド監督の他の作品からもしっかり学びたいと思いました。

 映画は、心を豊かにしてくれます。トッド監督いい作品をありがとうございました。

 

子ども

 昨日のNHKラジオ「すっぴん」。高橋源一郎の「ゲンちゃんの現代国語」で、「あなた自身の社会 スェーデンの中学教科書」が紹介されていました。この本の中に、アメリカの家庭教育学者・ドロシー・ロー・ノルトさんの「子ども」という詩が引用されているそうです。

 子どもという詩はこのような詩です。

 「批判ばかりされた 子どもは 避難することを おぼえる

  殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる

  笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる

  皮肉にさらされた 子どもは 鈍い両親の もちぬしとなる

  しかし、激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる

  寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる

  賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる

  フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる

  友情を知る 子どもは 親切を おぼえる

  安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる

  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じることを おぼえる」

 ドロシー・ロー・ノルトさんは「子どもが育つ魔法の言葉」の著作で有名な方です。

 堀川惠子さんの「教誨師」には、教誨師・渡邉普相さんが出会った多くの死刑囚の生い立ちが出てきます。

 堀川さんは渡邉教誨師の大橋光宏(仮名)死刑囚との邂逅の場面で次のように書いています。

 「死刑事件の加害者である死刑囚には、大橋と同じような被害者的な恨みに捉われている者があまりに多く見受けられた。幼い頃から家や社会で虐げられ、謂れのない差別や人一倍の不運に晒されて生きてきた者が圧倒的に多い。」

 死刑囚の生い立ちの共通点を考えると子どものころに「激励」「寛容」「賞賛」「友情」「安心」「愛情」に接することの大切さを痛感します。

 この詩を読むと、アメリカンフットボールの試合で日大選手が極めて悪質なタックルで関学大選手を負傷させた問題を思い出します。

 「フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる」

 このような社会にしたいものです。

 その点で、今の政治はどうでしょうか。

 時事通信の直近の世論調査で、加計学園の獣医学部新設について「安倍晋三首相に責任がある」との回答が65・2%でした。

 安倍首相は、子どもたちに「公正」を教える時です。

 安倍首相は、加計・森友学園での自らの責任を国民と子ども前で明らかにすべき時です。

 4人の子どもを持つ親としてドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩は座右に置きたい詩です。

 

 

赤い空とカラス

 赤塚不二夫さんの娘である赤塚りえ子さんの「バカボンよりもバカなパパ」を読み終えました。

 文庫版のあとがきに、森田拳次さんが代表理事を務める「八月十五日の会」の「私の八月十五日 昭和二十年の絵手紙」に収録された赤塚不二夫さんの「赤い空とカラス」とう詩が掲載されていました。

 「戦争は、日本が負けたのだった。その夕方、街の彼方の満州の空は、真っ赤に燃えていた。地上を覆った戦争の火が天空を染めて赤一色に塗りつぶしたかのように、それは燃えさかっていた。どこまでも続く大平原、はるか地平の彼方まで、血のような色の広がり。そのなかを何万羽という数知れぬカラスの大群が舞っていた。幾層にも重なって、わめき散らしながら、真っ赤な空を埋めるカラスの群舞。黒いものは次から次へと現れ、そしてどこへともなく飛んでいく。奇妙な叫び声が天地にあふれ、やがて統合されて、不思議な交響曲となる。楽章はとぎれることなく展開し、いつまでもぼくの耳に残る。この赤と黒との不気味で果てしない空間、現世の終末を思わせる色と饗宴。その光景は、次の日もその次の日も、夕方になると繰り広げられた。そして、小学校四年のぼくはというと、その光景の中に、呆然と、立ち尽くしていたのである。いまにして思うと、それがぼくの原風景となった。大人になってからも、何かの拍子に、赤と黒の光景を思い浮かべる。ときには夢にも見る。ぼくはその中にふわふわ漂っている。そして、しみじみ、ぼくの行き着く先は、その風景の中だと思う。そう思うと、ぼくは何でも出来るような気持ちになる。いまの世のもろもろのことが、実であって虚、虚のように見えて実。固定したものはなく、すべてが動いているのではないか。漫画をかいてもよし、ミュージカルの演出もいい、喜劇のおどけ約もやれば、ジャズフェスティバルにも興味がある。あるいはラーメン屋だっていい。何をしたっていいじゃないか。金があったって、なくったって、女友だちが何人いようが、酒をのめなくなろうが、決めてしまうことはないじゃないか。もともと赤い空とカラスの大群ではないか・・・。」

 赤塚りえ子さんは、父=赤塚不二夫さんの上の詩を引用して次のように書いています。

 「父の人としての座標になったのは、この『赤い空とカラス』に象徴される満州体験だったのかもしれない。アチャメチャにみえる言動もすべてこの地平から出発しているのだったら、ものの本質とあまり関係ないちっぽけなことなんてどうでもよかったんじゃないか。父はもっと『生きる』という人間の根源的なところでものごとをとらえていたからこそ言えたのだと思う『これでいいのだ』と。そして、『笑い』が声明に直接的につながっていることを感覚で、また、体験からもわかっていたのだと思う。」

 りえ子さんは別のところでこうも書いています。

 「少年時代にたくさんの悲しい思いをしたからこそ、まず自身が笑う必要があったんだと、一心に突き進んでいく必要があったんだと。だから、赤塚マンガの奥底には悲しみの記憶が潜んでいるようにも思う。」

 りえ子さんは、文庫版あとがきの最後にこう書いています。

 「ひとりひとりに笑う力があれば、どんなかたちの家族があったっていいのだ!」

 この本を読んで、少し「笑う力」が減っている自分に気づきました。

 この本を読んで、赤塚不二夫さんから「これでいいのだ」と励ましていただいたように思えました。

 我が人生「これでいいのだ」だと思い知らされました。

 りえ子さんが、両親から自立する場面が後半に出てきます。10代から20代の子どもを持つ親としてもとても考えされられました。

 6月末からNHK土曜ドラマで、この本が原作の「バカボンのパパよりバカなパパ」がスタートします。

 ドラマを見ながら、この原作の世界に思いをはせたいと思います。

 赤塚不二夫さんの漫画から学びたいと思います。

 「これでいいのだ」という言葉の深さをかみしめる今日この頃です。

 赤塚りえ子著「バカボンのパパよりバカなパパ」お勧めの一冊です。是非読んでみて下さい。

 赤塚不二夫さんの漫画で好きなキャラクターをお教え下さい。

政府審議会 エネ計画案了承

 経済産業省の審議会は16日、2030年度の電源構成比率を原子力20~22%、再生可能エネルギー22~24%などと定めた政府目標の実現に全力を上げると明記した「第五次エネルギー基本計画」案をおおむね了承しました。

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙には、第五次エネルギー基本計画を次のように解説しています。

 「今後、1か月の意見公募を経た上で、政府は今夏に閣議決定します。計画案は、原発ゼロを求める国民多数の願いからかけはなれた原発推進路線に固執したものです。安倍政権下で二度目の計画。しかし、今回は、原子力や石炭を『重要なベースロード電源』と位置づけた2014年計画の『骨格を変えない』前提で議論されました。議論する審議会委員の顔ぶれも原発維持・推進派が多数。原発の新増設やリプレース(敷地内の建て替え)を主張する委員が少なくなく、経済的にも安上がりでないことが内外で明らかになった原発のコストなどの検証もありませんでした。今回の計画案は『2020年のエネルギーミックスの確実な実現に全力を挙げる』と明記しました。30年のエネルギーミックスとは、政府が15年に決めた『長期エネルギー需給見通し』のこと。30年度の電源構成の目標を原子力20~22%、石炭26%、再生可能エネルギー22~24%としたものです。これは原発30基台に当たり、再稼働や、最大60年の運転延長などをしゃにむに推進する数字です。再稼働反対の国民世論などを考えても『非現実的』と指摘されています。しかも計画案では、『原子力政策の再構築』と題した項目で、『原子力人材・技術・産業基盤の維持・強化』『再稼働や廃炉を通じた現場力の維持・強化が必要』と明記。一方に併記した『原発依存度は、可能な限り低減される』のまやかしは明らかです。原発輸出も世界への貢献などとしています。さらに、計画に新たに加えた、30年以上先の50年に向けたエネルギー戦略にも、原発を『脱炭素化の選択肢』として維持する方向を示し、『安全性・経済性・機動性に優れた炉の追求』などと、新増設のねらいを含んだものです。福島原発事故の教訓を踏まえ、これ以上の原発固執をやめて、原発ゼロの方向でエネルギー政策を転換すべきです。」

 今朝の毎日新聞は、国の「エネルギー基本計画」について「国が16日に公表した『第5次エネルギー基本計画』の原案は、原発の新増設に踏み込まなかった。原発を『重要なベースロード電源』と位置付けたものの、再稼働を優先する現計画を踏襲した形だ」「予定地の公有水面埋立免許は来年7月に期限を迎える。基本計画が原案通りに閣議決定されれば、県は、原発の新増設についての国の方針が不透明なまま、免許延長の可否を判断することになる可能性が高い。村岡嗣政知事は定例記者会見で、免許の延長については『中国電力の申請を踏まえて対処する』と述べるにとどめ、基本計画が許可に影響するかどうかへの明言は避けた。」と報じました。

 国は、原発ゼロを求める国民の声に耳を傾けて、原発の新増設やリプレース(敷地内の建て替え)は行わないことを「第5次エネルギー基本計画」に明記すべきです。

 そうすれば、いずれ原発はゼロになります。

 国は、「第五次エネルギー計画」に原発ゼロの方向性をはっきり示すべきです。

 そして、上関原発の建設を認めない「第五次エネルギー基本計画」にすべきです。

 国の審議会が「第5次エネルギー基本計画」案を了承しました。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

陸上イージス 配備先(秋田・山口)を明言

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙は「小野寺五典防衛相は15日の記者会見で、導入を予定している地上配備型ミサイル迎撃システム『イージス・アショア』の配備先について、『候補地となると考えられる秋田県や山口県』と述べ、初めて具体的な県名を明言しました。配備のために日程調整をしていることも明らかにしました。政府は昨年、『イージス・アショア』2基の導入を閣議決定し、今年度予算に配備に必要な基本設計や地質・測量調査などの経費を計上しています。これまで秋田市の陸上自衛隊新屋演習場、山口県萩市のむつみ演習場が候補地として指摘されていました。小野寺氏は、14日に秋田県知事が記者会見で、防衛相東北防衛局からイージス・アショアについて事務的な調整を行いたいとの連絡があったと述べたことに関し、『地方自治体に対して、説明を行いうる日程の確認等のため事務連絡をさせていただいている』と語りました。地元住民に対する説明については『自治体との協議の中で検討していくことだ』としました。」と報じました。

 今朝の毎日新聞は、防衛省中国四国防衛局から14日に、陸上自衛隊むつみ演習場のある萩市と近隣の阿武町の両首長に説明したいとの連絡があったと報じ、更に「村岡知事は『我々が『イージス・アショアが来てほしい』と考えているのではなく、国から防衛政策上の必要として考えている。県を一つの選択肢として考えているのであれば、説明をお受けしたい』と述べた。萩市の藤道健二市長も15日の記者会見で『仮に萩に配備するのであれば、市民の安全安心のため国が主体となり説明してほしい』と要望したと報じました。

 毎日新聞は、「『イージス・アショア』配備計画の撤回を求める住民の会の森上雅昭さんの次の談話を報じています。

 「来月に予定されている米朝首脳会談など朝鮮半島情勢の変化を踏まえて『配備の前提が変わろうとしている。配備を強行すれば中露との緊張を強めかねない』」

  防衛省はイージスアショアの導入について北朝鮮の弾道ミサイル対応のためだと説明していました。北朝鮮情勢をめぐり、南北融和の動きや史上初の米朝首脳会談の実現など新たな展開となっている中で、1基約1000億円もするイージス・アショア導入を行うべきではありません。

 北朝鮮外務省は12日、北部の核実験場を廃棄する式典を23~25日の間に、気象条件を考慮して行うと発表しました。4月27日に板門店で行われた金朝鮮労働党委員長と文韓国大統領との会談が具体化されようとしています。

 日本だけが「圧力一辺倒」の外交と軍事的体制の強化を図ることは、世界の流れに逆行します。

 今日の世界情勢で、日本にイージス・アショアを配備することの不利益を検討し、安倍政権は、イージス・アショアの配備を撤回すべきです。

 イージス・アショアの配備先を小野寺防衛相が秋田・山口と発表しました。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。