私は、30歳の頃、ラジオから時実新子さんの川柳の本の朗読を聞き、「川柳」を始めました。
時実新子さんが主宰された「川柳大学」の同人として、関西で開かれる会合にも参加して、指導を受けてきました。
川柳を始めて20年以上となりました。
今は、医療生協健文会機関紙「健康のひろば」と山口民報の川柳欄の選者を務めています。
さて、今、田村義彦著「十七文字の戦争 -川柳誌から見た太平洋戦争と庶民の暮らし-」を読んでいます。
戦争と川柳を語れば、「手と足をもいだ丸太にしてかえし」を戦時中に発表した反戦川柳作家「鶴彬」が有名です。
私にとって「鶴彬」は、時実新子さんと並んで私が尊敬する川柳作家です。
太平洋戦争中に発行されてきた川柳誌にどのような句が掲載されてきたかを描いた著作は初めて読みました。
1942年7月に発行された川柳誌「番傘」に「作句道場」の選者・小田夢路はこう書いています。
「・・・大東亜戦争下の今日、思想関係とか、防諜関係から余程注意して作句せねばならないなつてゐるため、お互いがその安全を期するの余り、作句範囲をいよいよ狭く考えて、あれもいけない、これもいけないと恐れすぎてゐる傾向さえうかかがはれて、選者は益々むつかしく戦時下と云う広い意味の題詠の選をしてゐるやうなもので、自然厳選せざるを得ぬので困ってゐるのが本当のことである」
1942年7月に発行された川柳誌「川柳きやり」に「文学報国会の設立に寄す」という記事が掲載されています。
「新世界観を樹立せよ 大東亜戦争と文芸の使命 情報局次長 奥村喜和男・・・近代戦は、総力戦であるといわれる、大東亜戦争はその意味で、単に武力選のみならず、経済戦、宣伝戦、思想戦、文化戦の前面にわたる一大綜合戦だといわれてゐる、そこでその思想戦、文化戦に特に関係の深い文芸家の方々が、強力な一元的団体を組織され、その走力を結集されるということは、物的人的すべての力を、戦争目的に集中するという総力戦の立場からも必要な措置といふことができるのである(略)」
1942年、5月26日「日本文学報国会」が組織され、川柳を含む文学が丸ごと翼賛体制に取り込まれてしまいました。
1942年、「川柳けやり」5月号にはこのような句が掲載されています。
奉安殿ヨイコに成つたぼんのくぼ 埼玉 大塚劍狂兒
1941年生まれの田村さんは、この句にこのような解説を行っています。
「奉安殿=天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めた建物。この建物の前では神社に参拝するように、深々とおじぎをすると、ほんのくほが見えます。私にもおじぎした記憶があります。『どうして?』『ここではそうするの』とおふくろ。まだ戦前をひきずっていたのですね。敗戦後間もなく市役所の前。奉安殿が壊されたがれきの前でした。四歳の幼児にはがれきの山に見えました。」
第4次安倍改造内閣の柴山文科大臣が、教育勅語を現代的にアレンジすれば、教育で使うことを「検討に値する」と発言しました。
教育勅語の根本原理は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」です。
教育勅語は、戦前に果たした役割の反省から戦後、1948年に衆議院で「排除決議」が、参議院で「失効決議」が採択されています。戦後、両院は教育勅語を否定する決議を行っているのです。
庶民から自由に川柳を読む自由を奪い、「お国のために血をながせ」と教えた時代に逆行させる大臣の発言は許されません。
私の最近の川柳の句に次があります。
「トランプに会う度武器を買わされる」
このような句を書いたら鶴彬のように逮捕され投獄されるような世の中に戻してはなりません。
表現の自由が保障されるとはどういうことか、戦争に向かう翼賛体制とはどういうものだったのかを考えさせる良著です。
1942年5月の「番傘」に次の句があります。
「喜んで死ねる覚悟に育てられ 大牟田 しかを」
このような句ばかりが新聞の川柳欄に並ぶ時代を戻してはなりません。
これからも時実新子さんの指導を思い起こしながら自由に川柳を書き続けようと決意を新たにする良著でした。
田村義彦著「十七文字の戦争」から引き続き多くの事を学んでいきたいと思います。
ノーベル医学賞を受賞した本庶佑さんは、京都市生まれ、宇部市育ちで神原小、神原中、宇部高を卒業して、京都大学医学部に入られました。
宇部市役所本庁舎には、「祝 ノーバル生理学・医学賞受賞 本庶佑さん」の横断幕が飾られています。
私の長男が宇部高で、本庶さんの後輩になります。少しの接点ですが、受賞の嬉しさが倍増します。
「私は、本庶さんのお父さんの講義を受けていた」と当時医学部に通っておられた方からお聞きしました。
「10年前から本庶さんはノーベル賞に一番近い人物と言われていた」と宇部高OBの方からお聞きしました。
やはり、本庶さんの地元の宇部市ですから、本庶さんの受賞を身近に感じておらる方が多いようです。
今日のしんぶん赤旗日刊紙の「主張」で本庶さんの医学賞受賞が取り上げられ、次のように書かれています。
「本庶氏は、記者会見で『生命科学に投資しない国は未来がない』とのべました。『もうかっている分野にさらにお金をつぎ込んでいては、後れを取る。基礎研修を組織的、長期的な展望でサポートし、若い研究者が人生をかけて良かったと思える国になることが重要』だと強調していることは傾聴すべきです。安倍晋三政権は、国立大学運営費交付金などの基礎的経費を削減する一方、競争的資金を増加させる『選択と集中』により、資金獲得競争を激しくさせ、成果主義をまん延させてきました。しかも、『統合イノベーション戦略』(6月)で、民間資金の獲得額に応じて交付金の増減を強める仕組みの導入を決めています。交付額の獲得競争が一層激化し、民間企業の投資が見込めない長期的な視野に立った基礎研究などはますます切り捨てられます。本庶氏ら科学者の訴えに耳を傾け、基礎研究を重視する政策に転換することを強く求めます。」
3日付のしんぶん赤旗日刊紙の「潮流」にも本庶さんの研究が取りあげられています。
「今回ノーベル医学・生理学賞を受けた本庶佑さんは、ブレーキ役の物質を発見し、その働きを抑え、がん細胞への攻撃を続けさせる新しい治療法で大きな成果をあげました。研究はがん薬『オプジーボ』の開発につながり、患者たちに福音をもたらしました。この薬は当初、ひとり年3500万円もかかっていましたが、共産党の小池晃議員が国会質問で大幅な値下げを求め、来月から3分の1まで下がります。」
内閣改造・自民党役員人事を受けて行われた「日経」「共同通信」の世論調査で安倍内閣の支持率が下落しています。
安倍政権は、本庶氏ら科学者の訴えに耳を傾け、国立大学運営費交付金などの基礎的経費の削減を止め、基礎研究を重視する政策に転換すべきです。
改めて、宇部市民の一人として、本庶佑さんのノーベル医学賞受賞を喜びたいと思います。
木村大作監督の映画「散り椿」を観ました。
映画のパンフレットで、木村大作監督は、2014年に「春を背負って」を撮った後に、自分にあった企画はないかと探し始め、「戦国から江戸時代に生きた侍の、何か事を起こす時に覚悟して行動するという精神性が、自分にあっていると思ったんです。」と語っています。
その上で、木村監督は、葉室麟さんの原作「散り椿」を映画にしようとした理由を次のように書いています。
「一番引き込まれたのが、主人公・瓜生新兵衛が言う『大切に思えるものに出会えれば、それだけで幸せだと思っております。』という言葉。俺の人生も黒澤明監督や高倉健さんなど、人生の節目で大切な人と出会ったことで今がある。自分にピッタリの言葉で、共感出来たことが大きいですね。またこの物語が、女性の思いによって引っ張られていくところも、これまでの時代劇にはなくて新しいと感じたんです。」
この映画を通して、岡田准一さんという俳優の大器を見せつけられる思いでした。
木村監督は、岡田さんについてこう語っています。
「原作を読んだ時点で岡田さんと会ったこともなかったけれど、彼が出ている作品を観て『静謐』な雰囲気が印象的だったんです。セリフを何も言わずにその場にいる時の佇まい。そこに高倉健さんに通じるものを感じて、最初から新兵衛は岡田さんをイメージしていました。」
木村さんが、映画の「撮影」を担当した作品を見ると、高倉健主演の映画が数多くあります。
「海峡」「居酒屋兆治」「ホタル」「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」「単騎、千里を走る。」
以上、木村大作さん「撮影」、高倉健さん主演の映画を私は全部、映画館で観ました。
私の映画遍歴に高倉健さんと木村大作さんの存在があったことを今更ながら知りました。
原作の葉室麟「散り椿」(文庫版)の解説で、中江有里さんは、次のように書いています。
「本書の登場人物は、誠実であろとする。しかし今も昔も誠実がゆえに、生きづらさを抱え込む人が多い。誠実でありたい、と思っても世の中を渡るには、その誠実さが邪魔になることもある。」
映画「散り椿」の新兵衛は、その局面で「誠実」であろうとします。
その一つ一つが心に残る映画でした。
岡田准一さんの立ち振る舞いや殺陣が見事の映画でした。
木村監督、すばらしい作品をありがとうございました。
次回作を大いに楽しみにしています。
葉室麟さんの原作を読んでいこうと思います。
「大切なもので出会えば、それだけで幸せだと思っております。」
すばらしい言葉です。
葉室さんが遺された言葉を少しづつ辿っていこうと思います。
「マチネの終わりに」から2年ぶりの新作長編小説。平野啓一郎さんの「ある男」を読んでいます。
平野さんは公式サイトでこう書いています。
「『透明な迷宮』以来、『ページをめくる手が止まらない』小説ではなく、『ページをめくりたいけどめくりたくない、ずっとその世界に浸りきっていたい』小説というのを考えてきました。」
私は、「空白を満たしなさい」で平野啓一郎さんが好きになり、「マチネの終わりに」で大好きになりました。
公式サイトからこの本の紹介文を引用します。
「宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、『大祐』と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。ある日突然、『大祐』は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に『大祐』が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる・・・。」
今、読んでいるのは、里枝が「大祐」が別人だと知って、弁護士の城戸に相談する場面です。
城戸もなぞに満ちた人物です。
「ある男」を読み始めたばかりですが、「ずっとその世界に浸りきっていたい」気持ちは伝わってきました。
平野さんは、公式サイトのメッセージでこうも書いています。
「何かとくたびれる世の中ですが、小説を読むことでしか得られない精神的なよろこびを、改めて、追求したいと思っています。」
今、小説を読む「精神的なよろこび」を感じています。
忙しい中ですが、隙間の時間に、「ある男」の世界をさまよっています。
ところで、「マチネの終わりに」が映画化されることになりました。
主演は、福山雅治さんと石田ゆり子さん。作品のイメージにぴったりです。
平野さんの小説が映像になるのは、初めてではないでしょうか。
この小説は、音楽にまつわる物語なので、映像と音楽のコラボが今から楽しみです。
映画「マチネの終わりに」今から楽しみです。
気が早いですが、「ある男」も是非映像化していただきたいと思います。
関係者の皆さん、よろしくお願いいたします。
それでは、引き続き、「ある男」の世界を楽しみたいと思います。
平野さんの小説はいいですね。
平野ファンの皆さん、好きな小説をお教え下さい。
9月30日、ミサイル基地をつくらせない県民大集会で私は、「今日は、9月30日、沖縄県知事選の投票日です。沖縄でデニー知事を誕生させ、山口からミサイル基地はいらないの声を安倍政権に届け、今日、9月30日を安倍政権の「終わりの始まり」の日にしようではありませんか。」と発言しました。
沖縄県県知事選挙で玉城デニー氏が圧勝しました。志位和夫委員長は、「玉城デニー候補の勝利は、首相官邸が主導し、国家権力を総動員して沖縄県の民意を押しつぶそうとした安倍政権に対する痛烈な審判ともなりました。」との談話を発表しました。
ミサイル基地をつくらせない集会の「集会宣言」に「私達は、戦争せず、戦力を持たず、平和外交によるふる里を守りたいのです。殺し殺される事態ではなく、福祉・教育・医療の充実によって『平和のうちに生存する権利を充たしたいのです。」とあります。安倍政権は、強権政治を止めて、国民の「平和のうちに生存する権利」を尊重する政治を行う時です。
昨日の朝日新聞の伊東聖那覇総局長のコメントが目にとまりました。
「沖縄県民は4年前と同じく、辺野古移設に明確に反対している候補を選んだ。『沖縄に新たな基地はこれ以上いらない」という意思表示だと言える。」「辺野古の海の埋め立ては刻々と近づく。辺野古移設について、我々は決着済みの『過去の問題』と思い込んではいないか。目の前にある現在の問題、移設すれば100年はなくならないという未来の問題ではないのか-。沖縄の選択の意味を、政権も我々も、いま一度考えくてはならない。」
安倍首相は、自ら受け取った「建白書」=「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。」が沖縄県民の意思であることを再認識し、今後の政治を行う時です。
ミサイル基地をつくらせない県民大集会実行委員会が主催する「ミサイル基地をつくらせない県民大集会」が、9月30日に、阿武町のうそんセンターで行われました。台風が接近する悪天候にも関わらず250名が県下各地から参加しました。
主催者を代表して、広兼事務局長は阿武町長がミサイル基地の配備反対を表明したことについて「阿武町民の皆さんの民主主義を国に届けよう」と挨拶しました。
記念講演を行った山大名誉教授の増山博行さんは「佐世保基地では5月に市民の車の電子機器が一斉に止まるという出来事が起きた。イージス艦のレーダーの電波が影響していることは明らか。防衛省は、レーダーの電波の影響はないと説明しているが、影響はある。」
と話しました。
白菜農家の白松さんは、「高校2年生の孫娘が『お爺ちゃん、イージス・アショアなんか絶対に作らせちゃいけんよ。』と言われたと語りました。
私は、念仏者9条の会のメンバーとして「仏教の経典に『兵戈無用』(兵隊も武器もない世の中)という言葉を大切に念仏者9条の会は活動している。ミサイル基地は必要ない」と発言しました。
集会パフォーマンスとして、ミサイル基地は「いらん!」という文字を参加者でかざしました。
ミサイル基地反対集会でのパフォーマンス
最後に、「私達は、戦争せず、戦力を持たず、平和外交によるふる里を守りたいのです。殺し殺される事態ではなく、福祉・教育・医療の充実によって『平和のうちに生存する権利を充たしたいのです。本日、ここに結集した私たちは、巨大ミサイル基地であるイージス・アショアの配備計画撤回に向けて、さらにこれから力を合わせ歩んでいくことを宣言します。」とする集会宣言を参加者一同で確認しました。
一人ひとりの発言がすばらしく、すがすがしい集会でした。
台風が接近する中での集会でしたが、250名の皆さんの熱気を感じる集会でした。
ミサイル基地をつくらせないために引き続き、力を尽くしたいと思います。
ミサイル基地の建設に関する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。