安倍首相は、従軍慰安婦問題に関して、「当時定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」とのべました。軍の関与と、本人の意思に反した強制性を認めた93年の河野官房長官を否定したのです。政府の資料にも「軍慰安所従業婦等の募集に関する件」と題した陸軍省副官通牒というのがあり、「業者に女性を集めさせていたが、業者のなかには誘拐犯と間違えられて警察に検挙される例もあった。そこで今後は派遣軍が募集を統制し、軍の威信を保持せよ」と書かれてあります。安倍さんの歴史認識は世界の笑いものとなっています。
今日は、新日本婦人の会宇部支部の大会であいさつします。柳沢大臣の発言といい、歴史を逆戻りさせる発言は許せません。今、女性も男性も怒るときです。
荒川市議と一緒に要望していた、東岐波中学校への情緒学級が開設される運びとなりました。市教委と県教委に感謝します。一時は、川上中学校への通学を通告されていた対象児童のお母さんは大変喜んでおられます。
今後とも市議・県議が連携して、宇部市民の福祉・教育の向上のために頑張っていきます。
先ほど行われた重税反対全国統一行動宇部地区集会に参加しました。私はあいさつで、新年度の個人県民税の話をしました。山口県の新年度予算は、7年連続のマイナス予算です。しかし、県税収入が大幅に伸びると見込んでいます。その一つの要因は、老年者控除の廃止や定率減税の縮減・廃止による個人県民税の増税です。新年度だけで36億円の負担増です。これは、昨年度は、21億。来年度は、36億ありますので、小泉首相が道をつけ、安倍さんが進める庶民大増税のために、この3年で山口県の個人県民税が、約100億増えてしまうことになります。
国が決めたこととはいえ、山口県が県民の暮らしを守る何らかの方策を検討すべきです。
集会後行われた、デモ行進の先頭に立つ私(左端)
昨日、昼食をとっていたそば屋で、新聞を読んでいて、体が固まってしまいました。時実新子さん逝去の記事を見たからです。朝、我が家で朝刊に目を通したのですが気づかず、そば屋で5分位固まってしまいました。涙もにじみました。
私には、時実さんからの宝物が3つあります。一つは、個人ゼミの添削です。これは、以前にも書きました。もう一つは、04年岡山市の吉備路文学館で行われた「文業五十年 時実新子展―新子 その愛」のポスターに書かれた新子さんのサインです。丁度その時、神戸で川柳大学の大会が行われ、私は、新子さんにポスターへのサインを頼みました。先生のしっかりした字が今も残っています。
文学館の新子展に行った時に、「投句コーナー」があって、私は投句して帰りました。投句した方の中からいくらかの方に、展示されていた句のボードが送られました。私にも先生の句が届きました。
この句のことは、誰にも今まで話したことがありませんが、私の生きる力になっている句です。
「今ぞ今 死は生きること 生きて死ぬこと 」
先生には、先月まで、私の句へ添削をしていただきました。先生は、今月号の川柳大学誌上でも、、学長の言葉をはじめ、冒頭にいくつかの句を発表されていました。
まさに、先ほどの句を実践されたのが、新子さんでした。
私も、与えられた命を最後まで生かしきりたいと思います。この句を力に、日々精一杯生きていこうと思います。
新子先生。本当に、78年間、おつかれ様でした。本当にありがとうございました。
妻が、38度代の熱で、寝込んでいますので、子ども4人と昨日は、こぐま保育園の卒園式に行きました。保育園の子どもは、2才と5才で、卒園ではありませんが、生活発表もあり、はりきっていました。
私もわが子の卒園式に2度出席しましたが、わが子が卒園でなくても、こぐまの卒園式は感動します。親からのメッセージが特に、グッときます。それに、卒園児の自信と不安が入り混じった顔を見るのもグッときます。
いよいよわが3男も、来年は卒園です。最近、ずいぶんしっかりしてきました。
行事の中で、こぐま保育園の歴史のスライドがありました。1973年にこぐま保育園は誕生しました。こぐま保育園は、34年の歴史を重ねています。もう少しで認可されるという時期がありましたが、現在まで無認可のままです。しかし、多くの支援者と父母の力で、新園舎建設まで辿りつきました。これまでが、こぐま保育園の前史なら、これからが、こぐまの本史でしょう。今後のこぐまの歴史の中で、何らかの「認可」が実現しできるよう、私としてもお手伝いできればと思っています。
ぜひ、一度こぐま山の保育園に来てください。園庭と園舎は、山口県の保育園の中でも屈指の環境だと自負しています。