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藤津章智さんから受け継いだトラクターで代かき 明日は、田植えです

 6月1日付、山口民報のコラム「奇兵隊」は藤津章智さんについて次のように報じました。
 「やまみん川柳の『ポチパパ』こと藤津章智君が5月22日亡くなった。生涯独身、ポチは愛犬。享年63歳▼北九州市立大学法学部自治会委員長、日本共産党日置町議(2期)を歴任。ここ数十年は山口民報のパソコン紙面製作に尽力した。田舎の校長の長男のボンボンで、時に協調を欠くきらいもあったが、介護家族交流会長もつとめた▼風呂もトイレも昼夜、酸素ボンベが外せない難病になってからも病室にパソコンを持ち込み、神経を擦り減らす作業に打ち込んだ。4、5日前、血中酸素濃度が80%を切ると聞き、『死んでしまうぞ』と大声で励ましたばかり。まさか現実になるとは▼彼は良き運転者として、阿武郡の山中に隠れキリシタンの足跡を訪ねる取材や、油谷の人丸神社への柿本人麻呂探訪を共にした。昼食定番は回転寿司の『うなぎ』。実に美味そうだった▼晩年は川柳常連となる。言葉の力を信じ、言葉で世相を突こうとした。語呂合わせに近くとも、熱意は彼をして一人の田舎ジャーナリストに変えた。終焉の地は小倉。遺言により棺は真紅の党旗が覆った▼『世界中からババ扱いのトランプ氏』-これがポチパパの遺作となった。幸い哉。」
 私と藤津章智さんとの出会いは、私が22歳の時、宇部協立病院友の会事務局の同期として同じ職場で働き始めたことです。毎朝、缶コーヒーを飲みながら、仕事の打ち合わせをしたことを思い出します。その後、私は、宇部市議会議員となり、藤津さんも違う仕事に就き、直接の縁は遠ざかりましたが、人生の時々に出会います。
 その一つが、農業機械を受け継いだことです。藤津さんは、難病を契機に、農業をやめざるを得なくなり、ある日、「農機具を受け取ってもらえないか」と電話がありました。農機具会社の方と一緒に、はるばるトラックを日置町まで走らせ、まずは、トラクターを、その次に、コンバインを藤津さんから受け継ぎました。二つの農業機械は、今も、我が実家の田で大活躍しています。
 二つ目は、我が家の玄米を宅配したことです。藤津さんは、ここ数年、宇部協立業員の近くで生活を送っていました。数カ月に一度、我が家の玄米を30キロの袋ごと、藤津さんのアパートに届けていました。
 三つ目は、山口民報にある川柳です。私が、山口民報の川柳の選者になったのは、10年以上前からですが、この5年以上、藤津さんは常連の投句者でした。数年前に、「5・7・5」を守って作句してもらうと助かりますとお願いしたこともありましたが、毎月、フェィスブックのメッセンジャーに10句以上の作品を送り続けてくれました。
 遺作の「世界中からババ扱いのトランプ氏」は、川柳の精神と醍醐味を存分に発揮した秀句と言える作品だと思います。
 藤津さんの訃報を聞く中で、やまみん川柳6月号をまとめる作業を行いました。今月から「ポチパパ」の作品が載ることがないことを実感しました。
 藤津さん、人生の折々で様々な交流をありがとうございました。あなたは優しい人でした。藤津さんから引き継いだトラクターとコンバインを大切にして、中山間地域で農業を続けていきます。明日は、いよいよ田植えです。藤津さん、我が家の田植えを見守ってください。藤津さんありがとうございました。合掌。

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