曇り空の元、我が実家の田植えが、9時頃から始まりました。上の姉と姪、下の姉の甥、そして、我が家全員、そして、母と揃って、ご近所の親戚の方の指導で、午後1時頃終わりました。田植え機は、生まれて初めてでしたが、親戚の方の「乗ってみなさい。」の一言で、運転することになりました。スピードがゆっくりなので、真っ直ぐの運転にはすぐに慣れましたが、残ったカーブしたスペースにどのように苗を植えていくのかなど、やはり田植え機特有の難しさがあります。最後の田は、親戚の方のアドバイスで、私が全部植えました。もう一つ難しいのは、植えた後に畦を乗り上げる時です。場所によりますが、かなり車が傾き、ヒヤッとします。
子どもたちも、植え残したところに苗を植える手伝いをしていました。食育が叫ばれていますが、これほどの食育はないのではないでしょうか。
私自身も、米づくりの苦労を体験し、食べ物のありがたさを実感します。それにしても、青空の下で働くのは気持ちがいいものです。
午後は、子どもの球技大会の練習用のバットを買いに山口に行きました。
夕方は、上小野で行われた蛍まつりに、子どもと一緒に参加しました。藤田市長と席が隣になりました。子どもたちは、藤田市長から焼き鳥をもらって喜んでいました。上小野は、母のふるさとです。親戚の方や知人の方との語らいも楽しいものでした。
明日は、2007年山口県空手道選手権大会に参加します。何と私は、大会名誉会長として、あいさつをすることになっています。先日、このブログで報告しましたが、亡くなられた藤本後援会長を追悼する大会でもあります。幼児から大人まで、77名の選手が参加します。我が道場が主催する大会としては、過去最大の大会となります。良く知った選手の方の参加されるので、大いに声援を送ろうと思います。
午後は、吉田貞好選挙区候補と一緒に街頭宣伝に同行します。
健康診断の結果も受けて、先日から、キャベツダイエットをはじめました。夕食の前に、キャベツを6分の1食べるという簡単なものです。その後の食事は自由でいいというものです。キャベツの生を食べると甘さ、辛さがよくわかります。あるスーパーで買ったものは、非常に辛かったです。地産のものや、生協のキャベツは、甘く感じます。農薬とキャベツの辛さに因果関係があるのでしょうか。辛いキャベツは舌がヒリヒリします。やはり、身土不二でしょうか。
私は、選挙があると肥るほうで、体重が、70キロに近づいています。早く65キロをきるよう、努力します。
機械植えで抜けた苗を手植えで補う子どもたち
バックは、我が実家と荒滝山
6月の住民税値上げの総額は、3.4兆円です。その半分の1.7兆円が、定率減税廃止分です。
なぜ、定率減税が廃止されたのでしょうか。これには、公明党の責任が重大です。公明党は、03年総選挙で、年金の国庫負担を2分の1に引き上げる財源として定率減税の廃止を公約しました。これが「与党税制改正大綱」に盛り込まれたのです。
しかし、財務省によると、定率減税の全廃で生まれる財源の3.3兆円の内、年金の国庫負担引き上げに使われた金額は、二千二百億円にすぎません。
その一方で、今年度予算では、減価償却費の見直し、証券優遇税制の延長で、1・7兆円の減税が組み込まれています。つまり、定率減税廃止にともなう増税分は、大企業・資産家向けの減税に吸い込まれている計算です。
肝心な年金の国庫負担を2分の1へ引き上げる財源は、必要額の2割程度しか確保されていません。そこで、尾身財務大臣は、残りの2.5兆円の財源確保のために「消費税を含む税体系の抜本的改革」が必要を言っています。
福祉や年金を理由に、増税が相次ぐ、結局、その犠牲を受けるのは、庶民ばかりである。結局、福祉や年金の水準は確保されないどころか悪くなる一方である。その一方で、減税の恩恵を受けるのは、いつも大企業や資産家である。このような構図がこの十数年続いているのでないでしょうか。
今日から住民税が上がるというこの時を、この逆立ちした税制を正す契機としようではありませんか。日本共産党は、今度の参議院選挙の争点は、格差是正と憲法改悪阻止だと位置づけています。格差是正の一つの大きな柱は、この逆立ち税制を正す問題です。
年金が消える問題と合わせて、こんなデタラメや与党の政治を転換する結果を参議院選挙で示しましょう。
私は、今日、午前中は、PTAの役員会に参加し、午後は、以上のようなことを街頭から訴えます。今日は、金曜日。私の街頭宣伝デーです。
先日、受診した日帰り人間ドックの結果が出ました。胸部レントゲン異常なし、心電図異常なし、尿検査異常なし、ただ慢性胃炎との診断が出ました。ピロリ菌が多いということで薬をいただきました。それと血液検査で、中性脂肪と尿酸値が高いと指摘されました。特に中性脂肪に対しては、しっかり運動して、青魚をしっかり取りなさいと先生に言われました。
実は、久しぶりの検診だったのですが、これからは毎年受診しようと思います。来年の検診で数値が改善されるように、早速、今日は、子どもと一緒に空手教室に行ってきます。
自らの選挙が終わり、子どもに本び読みをせがまれます。小学生の二人には、「ズッコケ3組」を読んでいます。50巻の内、今、9巻目です。この巻は、北京原人の骨が紛失し、「ズッコケ3人組」が探検するというものです。この話の背景には、しっかりした考察があります。北京原人を発見した中国に、日本が侵略した。その骨が紛失してしまった。戦時中に日本に持ち込まれたのではないか。その疑問に、ズッコケ3人組が挑むといいうものです。那須先生は、毎巻、興味深いテーマを提供されます。それぞれの深い考察に頭が下がります。読み聞かせをしている大人も毎巻、感服させられます。
昨日、市内の障害者施設を訪問しました。障害者自立支援法の本格実施を受けて、状況は深刻さを増しています。お話をお聞きした施設では、①通所部門で、昼食を取らない人が増えた②利用料の滞納が増えた③職員のパート化がすすんだ という状況が広がっているとのことでした。どれも、障害者自立支援法の根幹である利用料の増加にともなうサービスの利用控えによる影響です。4月から利用料の負担を軽減する国・県の対策が、すすめられていますが、状況がどれだけ改善するのか見極めていかなければなりません。
また、事務長さんにもお話をお聞きしましたが、事務は煩雑になるばかりなのに、会計システムなどの移行経費は、一施設当り5万円しかないそうです。事務長さんは、障害者自立支援法の中に、事務職員の人件費の算定がされていないことに憤りを感じておられました。
これら問題解決の前提として、障害者自立支援法の本格実施後の、施設と障害者の状況を行政(県・市)が十分把握することが重要です。
障害者と施設の苦しみの根本は、障害者自立支援法の欠陥にあります。応益負担と日額式を改善する機会が、今度の参議院選挙です。私は、障害者の方々の生活と権利を守るために、6月議会と国政選挙に向けて全力を尽くします。
憲法を守り、格差のない社会をめざして
参院選勝利へ事務所びらき行う
6月3日まで、県内キャラバン
日本共産党山口県委員会(山本丈夫委員長)は、二十七日、参議院選挙勝利に向けて、比例代表と山口選挙区の事務所びらきを山口市小郡の県委員会事務所で行いました。山本丈夫選対本部長は、「参議院選挙では、暮らしと福祉を守る要求を実現するため、山口選挙区の吉田候補を先頭に頑張ろう」とあいさつしました。
山口選挙区候補の吉田貞好さんは、「貧困と格差が進んだ責任は自公連立政権と民主党にある。人間らしい生活を取り戻し、憲法をまもり抜くために全力を尽くす」と決意を述べました。
吉田候補は、事務所開き後に、県内キャラバンのため宣伝カーで出発しました。県内キャラバンは、六月三日まで行われます。
事務所びらきで決意表明を行う吉田候補
藤本県議が毎週金曜日を街頭宣伝デーに
藤本県議は、自らの選挙後、宣伝活動を強めていくために、毎週金曜日を街頭宣伝デーにすることにしました。宣伝を開始した五月十八日は、東岐波地域、三ヶ所で宣伝。前田集会所前では、差入れまでいただくなど大きな反応がありました。藤本県議は、「議会中を除き、四年間通しての宣伝を続けていきたい。」と決意を語っています。
街頭から訴える藤本県議
教職員宇部住宅の改修を
万倉の県道側溝の改修を
藤本県議の元に様々な要望が寄せられています。一つは、恩田陸上競技場の横にある教職員宇部住宅を改修してほしいというものです。2号住宅については、藤本県議が要望を県教育委員会に伝え、外壁の改修などが行われました。今回要望が出たのは1号住宅です。藤本県議の問い合わせに対して県教委の担当者は、「要望を聞いて、必要なものなら対応したい」と答えました。二つ目は、万倉の県道小野田美東線の泥で埋まった側溝を元に戻してほしいというものです。早速、藤本県議は、県宇部土木建築事務所へ要望を伝えました。県土木建築事務所の担当者は、「現地を調査し、対応方法を検討したい」と答えました。
一気
先の県議選挙で、ふるさと楠が選挙区となりました。ご支援をいただいた多くの皆さんの前で、「田の手伝いを頑張ります」と何度も訴えました。昨年父が亡くなり、まったなしで今シーズンから、田を母と一緒に耕作することとなりました▼選挙が終わって、トラクターに乗って田おこしは三度行いました。一回は、水を入れる前、最後のおこし。次に水を入れて最初の荒かき。そして田植え前の代かき。荒かきの途中で、トラクターが横転するというハプニングもありましたが、ようやく田植え前の準備は完了しました。指導を受けた親戚の方からは注意され通しでしたが、作業を終えた水田の水面に写る雄大な荒滝山に心を癒されます▼耕作面積は、三反程度ですが、母と一緒に、家族や親戚の援助を受けながら、農民ビギナーとして歩みだしました。