藤本かずのりサポーターズ はじめました

新着情報

情緒学級が開設されます

 荒川市議と一緒に要望していた、東岐波中学校への情緒学級が開設される運びとなりました。市教委と県教委に感謝します。一時は、川上中学校への通学を通告されていた対象児童のお母さんは大変喜んでおられます。

 今後とも市議・県議が連携して、宇部市民の福祉・教育の向上のために頑張っていきます。

重税反対全国統一行動宇部地区集会に参加

 先ほど行われた重税反対全国統一行動宇部地区集会に参加しました。私はあいさつで、新年度の個人県民税の話をしました。山口県の新年度予算は、7年連続のマイナス予算です。しかし、県税収入が大幅に伸びると見込んでいます。その一つの要因は、老年者控除の廃止や定率減税の縮減・廃止による個人県民税の増税です。新年度だけで36億円の負担増です。これは、昨年度は、21億。来年度は、36億ありますので、小泉首相が道をつけ、安倍さんが進める庶民大増税のために、この3年で山口県の個人県民税が、約100億増えてしまうことになります。

 国が決めたこととはいえ、山口県が県民の暮らしを守る何らかの方策を検討すべきです。

DSCN0234.JPG

集会後行われた、デモ行進の先頭に立つ私(左端)

新子さん本当にありがとう

 昨日、昼食をとっていたそば屋で、新聞を読んでいて、体が固まってしまいました。時実新子さん逝去の記事を見たからです。朝、我が家で朝刊に目を通したのですが気づかず、そば屋で5分位固まってしまいました。涙もにじみました。

 私には、時実さんからの宝物が3つあります。一つは、個人ゼミの添削です。これは、以前にも書きました。もう一つは、04年岡山市の吉備路文学館で行われた「文業五十年 時実新子展―新子 その愛」のポスターに書かれた新子さんのサインです。丁度その時、神戸で川柳大学の大会が行われ、私は、新子さんにポスターへのサインを頼みました。先生のしっかりした字が今も残っています。

 文学館の新子展に行った時に、「投句コーナー」があって、私は投句して帰りました。投句した方の中からいくらかの方に、展示されていた句のボードが送られました。私にも先生の句が届きました。

 この句のことは、誰にも今まで話したことがありませんが、私の生きる力になっている句です。

 「今ぞ今 死は生きること 生きて死ぬこと 」

 先生には、先月まで、私の句へ添削をしていただきました。先生は、今月号の川柳大学誌上でも、、学長の言葉をはじめ、冒頭にいくつかの句を発表されていました。

 まさに、先ほどの句を実践されたのが、新子さんでした。

 私も、与えられた命を最後まで生かしきりたいと思います。この句を力に、日々精一杯生きていこうと思います。

 新子先生。本当に、78年間、おつかれ様でした。本当にありがとうございました。 

こぐま保育園の卒園式に行きました。

 妻が、38度代の熱で、寝込んでいますので、子ども4人と昨日は、こぐま保育園の卒園式に行きました。保育園の子どもは、2才と5才で、卒園ではありませんが、生活発表もあり、はりきっていました。

 私もわが子の卒園式に2度出席しましたが、わが子が卒園でなくても、こぐまの卒園式は感動します。親からのメッセージが特に、グッときます。それに、卒園児の自信と不安が入り混じった顔を見るのもグッときます。

 いよいよわが3男も、来年は卒園です。最近、ずいぶんしっかりしてきました。

 行事の中で、こぐま保育園の歴史のスライドがありました。1973年にこぐま保育園は誕生しました。こぐま保育園は、34年の歴史を重ねています。もう少しで認可されるという時期がありましたが、現在まで無認可のままです。しかし、多くの支援者と父母の力で、新園舎建設まで辿りつきました。これまでが、こぐま保育園の前史なら、これからが、こぐまの本史でしょう。今後のこぐまの歴史の中で、何らかの「認可」が実現しできるよう、私としてもお手伝いできればと思っています。

 ぜひ、一度こぐま山の保育園に来てください。園庭と園舎は、山口県の保育園の中でも屈指の環境だと自負しています。

64回目のご褒美に

 議員生活16年。64議会連続質問の自分へのご褒美にビギンの最新アルバム「オキナワンフールオーケストラ」を買いました。やっぱりいいですね。質問が終わった開放感と一緒にビギンを聴いています。特に、後半の「ミーファイユー」「五線紙の街」「あとからな」三線の花」「うたのうた」は、いいです。歌詞もいいしメロディーもいいです。これでは、どういいのか伝わらないでしょうが、そういう時は、買ってとにかく聴いてみてください。ビギンは家族みんなが大好きです。ビギンの歌は、体のこりが取れる感じですね。質問準備は、cobaさんでしたが、あと1ヶ月は、ビギンを繰り返し聴いて頑張りましょう。

丸尾港開港の歴史

 昨日、丸尾漁協の元組合長さんにご近所を一緒に訪問していただきました。その方から、丸尾港の歴史をお聞きました。また、地元の郷土史家、吉村富雄さんの「丸尾の歴史あれこれ」という本もお借りしました。

 丸尾港開港のいきさつは、「上関から赤間関(下関)にいたる34里の間に船舶を繋留する港がないのは航海に危険であると江戸表(公儀) に於いて詮議が行われ、中間の地に港を築くことが提案された。」と先述した「丸尾の歴史あれこれ」にあります。そこ頃に、堤防や灯台が設置されたそうです。今も当時の堤防の石組みの一部が残っています。

 今も残る旧道は、大変な賑わいがあったそうです。その道を歩いていると当時の喧騒が響いてくるようです。