年金者一揆2007が、宇部市でも行われ、私も参加しました。
今、社会のしわ寄せが高齢者に集中しています。医療の切捨て、年金制度の後退などです。
全ての75才以上を高齢者を対象にした医療制度に関して、山口県の連合会が保険料の試算を発表しました。平均年額9万1千円ということです。政府は7万円台と言っていましたので、全国平均よりも高い水準です。
そもそも医療費がかかる年代を集めて、独自の医療制度を創設すること自体が誤りです。どんどん保険料が高くなりはしないか心配です。
これは、高齢者の問題だと無視するわけにはいきません。私たちの老後の問題でもあります。高齢者を犠牲にする政治は今改めるべきだと感じました。
会場で、私の川柳句集を編集していただいた田中さんに久しぶりにお会いしました。田中さんから「今、山口詩人会議の冊子を編集している」との話しをお聞きしました。今日中なら作品を募集しているとのことでした。仕事の合間に作成し、先ほど届けてきました。先日は、「詩とファンタジー」に投稿しましたし、最近、詩に目覚めつつあります。
これらの作品を活動トピックスで紹介しようかと思いましたが、まだ自信がないのでやめます。何らか活字として冊子等に発表されたら、ブログで紹介することにします。「山口詩人会議」という発表の場が一つできました。少し試作を続けてみることにしましょう。
今日は、一日、農業デーでした。
畑を二枚、田を三枚、トラクターで鋤きました。
今年の春、あわやという事故をしかけたので、それがトラウマとなり、慎重に作業をすすめました。
天気は、日本晴れ。遠くの荒滝山がくっきり見えます。昼前は、蒸し暑いくらいでした。時々農家ですが、今日は、事故もなく、とても気持ちのよい作業となりました。
昼前に、西吉部の人来られ「大棚から藤ヶ瀬にかけての側溝がきれいになっていました。」と報告して帰られました。私も嬉しくなりした。明日にでも現場を確認し、今度の厚東川通信で報告しようと思っています。
夕方、下荒滝で、市の河川が壊れている箇所を母と一緒に見ていると、近所の大滝さんに声を掛けられました。他にも傷んでいるところがあるので見て欲しいということでした。あっちもこっちも大変な状況です。すぐに、楠総合支所に連絡を取り、明日、市の職員の方に現場を見ていただくことにしました。
中山間地域を維持していくのは大変です。地域の支えには限界です。行政の援助が強く求められています。
昨日のブログで、日本中国友好協会のことを後日報告すると書きましたので、今日書きましょう。
日本中国友好協会について、パンフレットから引用します。中華人民共和国建国(1949年)の翌年の1950年10月1日、広範な人々の呼びかけで創立されました。両国の友好関係を進め、アジアと世界の平和をめざす団体です。
全国に支部があり、中国料理、太極拳、中国語講座、中国旅行、中国「残留孤児」支援、平和のための戦争展などを行っています。
山口県連合会では、「山口戦争体験を記録する会」の母体となり、戦争記録集を発行し、現在までに13集発表しています。
会長を務めていた方が体調をこわされ、数年前から、私に会長への依頼が届いていました。私は、「次回の自らの選挙が終わるまでは」と固辞していましたが、選挙も終わり、ついにお引き受けすることになりました。昨日は、正式な総会ではなかったので、理事の長、つまり理事長に私がなったということです。
会は、高齢化し、活動が停滞しているようですが、私としては、様々な楽しい行事を行い会を活性化したと思っています。個人的には、「太極拳」に興味があります。宇部市で教室が開けないか、今、萩にいらっしゃる先生と交渉中です。
そして、昨日の役員会で、来年度の活動の概要が協議されました。一つは、文化行事に取り組もうということになりました。映画などの上映を計画します。二つには、中国旅行に行こうということになりました。北京オリンピック後の秋以降に行こうという計画です。三つには、戦争記録集の第14集を発行しようということが話し合われました。私は、今度は、祖母の妹の満州での苦難を書こうと思っています。
皆さんの中で、中国に関することで、このようなことをしてはどうかなどの要望がありましたらどしどしお知らせください。
さて、わが末娘の喘息はひどく、今朝(午前3時)にも緊急に病院に行きました。ぜいぜいで眠れなかったようです。おかげで、今朝、我が家は、全員が7時過ぎに起床。小学生は、急いで着替え食事をすませて、急いで出ていきました。季節が変り目です。ご自愛ください。
11日の日曜日に、西宇部小学校では、西小まつりが行われます。前日の土曜日は、練習のため登校。つまり、今週は、土日に登校するため、今日と、12日月曜日が休みとなりました。12日に、我が家ではじめての魚釣りに行くことになりました。そのために、今日の午前中、子どもたちと父が遺した釣竿を求めに、実家に向かいました。7本位ありましたが、どの竿もかなり傷んでいました。なんとか長男、次男、三男、私の4本を選びかえりました。そして、釣具屋に行って、その他の道具を揃えました。
全くのビギナーなので、ロープ付きバケツ、仕掛けなどから揃えました。釣り方は、サビキ釣りにしました。なので、コマセ袋なども買いました。
さあ、12日は、天気はどうでしょうか。釣果は、後日のブログを乞うご期待。
午後は、日本中国友好協会山口県連合会の役員会に参加しました。何と私が、理事長に選任されました。この件については徐々に報告していきます。
夕方からある会合に参加をして、午後9時過ぎに帰宅すると、末娘が喘息で受診したことが分かりました。あわや入院という事態だったとのことです。どうりでコンコンが最近多いと思いました。子どもが4人いると日々ドラマです。
子どもの健康が親の健康にもつながります。
この数日、小川洋子さんの作品を読んでいます。近著の「物語の役割」は、ものの見方、生きた方に刺激を受けるものです。
小川さんは、フランス人作家フィリップ・ソレルスの文章を引用しています。「書くこと、文章に姿をあらわさせること、これは、特権的な知識を並べることではない。これは人皆が知っていながら、誰ひとり言えずにいることを発見しようとする試みだ」
彼女には、「博士の愛した数式」という作品がありますが、彼女は、この作品を作るにあたってある数学者をインタビューしています。その数学者は、こう言ったといいます。
「数学者は、偉大な何者かが世界のあちらこちらに隠した秘密を、洞窟から宝石を掘り返すようにして見つけだす、それが仕事だ」
彼女は、数学者を含めた科学者の人たちが、ある特別な謙虚さをもって自分の仕事に当っていることが、大変魅力的だったと語ります。
そして、作家にとっても、「自分が考えついたわけではなく、実はすでにそこにあったのだ、というような謙虚な気持ちになったとき、本物の小説が書けるのではないかという気がしています」と述べています。
私も、川柳などひねったりします。また、議員として発言もしています。そして、一人の人間としても、この考え方は、大いに刺激になるものだと感じました。
こう考えると、表現したりや議員活動を行う上で、傲慢になったり、また、行き詰ったりすることもなくなるのではないかと思いました。ありのままに耳を傾ける。それを、文章や、議会での発言にすればいい。このことにだた徹すればいいのだ。とても心が和らぐ考え方だと思いました。
小川洋子さんに少々陶酔し、今日は、映画になった「博士の愛した数式」をビデオで観ました。これも大変いい作品でした。
それから、彼女の作家としての原点である「アンネ・フランクの記憶」という本を次に読もうと思っています。
彼女の作品から読書の面白さを改めて思い知らされています。いくつになっても読書は楽しいものですね。
わが古里、吉部八幡宮芋煮祭に子どもたちと一緒に行ってきました。また、メインイベントの地元の方々が出演される村芝居も見てきました。子どもの頃から毎年参加しているまつりです。久しぶりに参加してみて、子どもの頃の賑わいはありませでしたが、村芝居の熱気は凄まじいものでした。実は、この村芝居、私の父親が参加していました。父の演技を見た覚えはないのですが、とにかく懐かしかったです。
演目は、監督の重岡さんが脚本・演出された「任侠石地蔵」です。
パンフレットからストーリーを紹介します。
「家を飛び出た百姓の倅(宇之助)を探す旅をしている目の不自由な年老いた母親。それを知った宇之助は、母がお参りした目無し地蔵へ。再開し母は宇之助に一緒に田舎へ帰ってくれと懇願するが・・・。」
役者さんの中に私の一つ後輩も。迫真の演技に拍手喝采でした。
今は、3年に1度の芝居になっているそうです。早くも3年後が楽しみです。懐かしい一日を過ごしました。明日は、宇部まつり、こぐま保育園も参加します。応援に行こうと思っています。