藤本かずのりサポーターズ はじめました

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アクセス数4万件突破

 今日は、美祢市議選挙の応援で終日行動していました。そして、3時過ぎに「厚東川通信」を完成させるために、宇部に向かっていました。そうだ、太極拳教室の会場費を払おうと、宇部市野球場に向かっている途中、携帯電話が振動します。急いで車を停めて出てみると保育園からです。今日から、保育園を卒業した小学生が集まって合宿を行っており、我が家の男子三兄弟も参加していました。電話は、次男が骨折したというものでした。次男と言えば、先日は、喉に魚の骨が刺さり山大医学部で抜いてもらったばかりですが、今度は骨折です。手術するかも知れないので、親の同意が必要ということでした。

 急いで、野球場で支払いを済ませ、次男が治療を受けている山陽小野田市のO整形外科に向かいました。渋滞に巻き込まれながら5時過ぎにようやく病院に到着しました。すると、神妙な次男の姿。「お父さんも、小学生の頃、ロケット飛びを失敗して、足にヒビが入ったことがあるよ。男の子はこんな事があるあるものだよ。」と元気づけました。

 本日の手術はなく、念のために、明日、小野田労災病院で専門の先生を受診することになりました。

 妻は転職したばかりで、今、研修中です。明日は、私が、次男に同行します。春休みが幸いしましたが、利き腕の右手首の骨折ですから、新学期も一時不自由でしょう。そうそう、次男は、今度の日曜日は、空手教室の昇級試験を受ける予定でした。可哀相ですが、無理のようです。次回の受験となりそうです。

 次男を家に送り届け私は、事務所に向かい、ようやく4月1日付けの「厚東川通信」を完成させました。帰ってみると次男は寝息をたてていました。

 今日も激動の一日でしたが、いいこともありました。そうです。今日で、我がブログ、アクセス数4万件突破です。本ブログに対する皆さんのご愛顧に心から感謝しつつ、今日のキーを打ち終えたいと思います。

新しい年度が始まりました。

 新年度が音を立ててやってきました。今年は、特にその音が大きいようです。後期高齢者医療制度スタートの苦悩の音。穀物高騰の影響による様々な商品の値上げの悲鳴。そして、ガソリン値下げの喜びの声などなど、様々な声が聞こえてきます。いずれにしても、国民の暮らしの安定のために政治がしっかり働く春にしたいと決意を新たにしています。

 さて、新年度スタートの一日の締めくくりは、太極拳教室でした。今日は集まりもよく、楽しく真剣な教室となりました。

 そして、私が代表をしている日本中国友好協会宇部支部が共催して中国語講座を5月からスタートさせることが決まりました。詳しくは、本ブログ、インフォメーションに書いたとおりです。太極拳教室の会員である上田さんのご尽力で月1回で教室を開きます。関心のある方はご参加ください。私も少しづつ学んでいこうと思います。

 出会いが広がる春です。みなさんはいかがですか。

我が家は平常に戻りました。

 昨日、妻と子どもたちが妻の実家から帰ってきました。

 今日、仕事から帰り、夕方は、まず、新入学の三男の教材を買いに行きました、仮入学の時は、最小限の教材購入にしたので、買い足しです。二度手間でした、反省しています。お道具セットの名前書きがこれからの私の仕事です。時間をみつけて早めにしましょう。

 そして、次男の空手教室の送り迎えをしました。迎えに行った時、東岐波道場の責任者の方に話しかけられました。新年度から川上地域のある自治会館で、新しい教室がスタートすることになったという報告でした。会場の選定と交渉には私も関わったので、感謝されて私も嬉しい限りです。最近、自らの空手の鍛錬はさぼりがちですが、このような形で道場に協力できてよかったと思っています。

 そして、家に帰ると、米の精米を頼まれました。我が家の米は、わが実家で作った米です。玄米で保管しているので、精米に行きます。幸い、歩いていける距離に精米所が出来たので、長女と三男と私と三人で、小雨の中、精米に行きました。

 こうして、激動の我が家の日常が戻ってきました。

 そうそう、ホームセンターで、「しょうが」と「みょうが」を買ってきました。庭の草を抜いたあと、畑に植えたいと思います。我が家の春が、ガタゴトと賑やかにやってきました。

桜の蕾がほころびました。

 我が家の庭には、前に住んでいた方が植えられ木が残されています。もちの木と柿と桜。この桜は、私が両手を広げた位の直径で、毎年りっぱな花を咲かせます。我が家の桜の蕾もようやくほころんできました。

 桜は春の訪れを知らせてくれる「喜び」の象徴であると同時に、「別れ」の象徴でもあります。それは、桜が年度替わりの時期に咲く花だからでしょうか。春は出会いと別れの季節です。また、桜は、裸木からいきなり花を付ける大胆さとその花が全て散る潔さがある木です。その花が散る様子は、「別れ」そのものです。

 ですから、桜を見ると、「喜び」と「悲しみ」が同時に去来します。

 今日は、今からSさんの葬儀に参加します。Sさんは、私が24才で、市議会議員に立候補を決意して、厚南地域の日本共産党後援会を再構築した時の創立メンバーのお一人です。Sさんは、いつも飄々として、皆の議論をいつも傍らで見守り続けるような方でした。それでいて、酔うとシャンソンを歌われたり、詩を創作される、とても粋な方でした。細身の総髪で、いつまでも若々しかったSさんとお別れするのはとても残念です。

 私も市議会議員に立候補を決意して、20年になります。あの当時から私を支えてくださった。Nさん、Tさんも天国に旅立たれました。そして、Sさん。だんだん淋しくなります。あれから20年と言っても私は、まだ40代。Sさん、この先も天国のNさん、Tさんと一緒に私を見守り続けてください。Sさん、この20年間、本当にありがとうございました。

 Sさん、ほころんだ桜とともにお別れいたします。

農業委員さんに「政策」を届けました。

 今日、午前中は、残していた実家の田を耕しました。この田は、昨年の作業中に、トラクターが転倒したところで、かなり緊張しましたが、今日は、少々タイヤがはまったものの、無事に作業を終えることができました。

 午後は、時田宇部市議と一緒に、宇部市の農業委員さんに日本共産党が発表した「農業再生プラン」を届けて回りました。

 旧楠町の全ての農業委員さん宅を訪ねました。「私が生まれた1960年代は、80%あった食料自給率が今日40%を割っています。食料と農業を守る問題は、国を守る問題です。」「米一俵、1万7000円以上の生産者価格を実現します。現在の米価との差額を埋める『不足払い制度』の創設を提案しています。」と私は、語りました。

 お会いできたどの農業委員さんも、私たちの提案への異論はありませんでした。異論があったのは、今の自民党農政です。「品目横断対策などと言いながら、まったく私たちの実態を理解していない。」「今のままの経営を応援する農政が必要だ。」「自動車を海外に売りつけるためのつけが私たちにきている。」「生活していける価格にしないと農業は継続しない。」などなど、一つ一つの言葉に私たちは頷くばかりでした。

 「私たちの提案は、党派を超えた、これらの日本の国づくりにとって重要なものだと思います。」と、私は、自信を持って語りました。私は、今日の宇部市農業委員さんとの対話を通じて、誰が政権を取っても、価格保障による、暮らしていける農業の確立なくして、日本農業の再生はない、ひいては、食料自給率の向上はないことを痛感しました。

 来月、4月1日、2日、3日は、美祢市の農業関係者の方々に、日本共産党の「農業再生プラン」を届けます。私も農家のはしくれとして、大いに、山口県の農業者の方々と農業の未来を語り合いたいと思います。

 

「空中庭園」を観ました。

 妻は4月から新しい職場に移ります。転職前につかの間の休みが取れました。そして、子どもたちは春休みということで、二日前から、妻と子どもたちは、妻の実家に里帰りです。

 議会もなく、子どももいないので、久々にゆっくりした時間を家で過ごしています。昨日までは、ついついテレビを観すぎてしまいました。今は、4月からの番組再編成前で、特別番組のオンパレードです。1~2時間はあっという間に過ぎてしまいます。

 今日は、今読んでいる角田光代さん原作の映画「空中庭園」のDVDを借りてきて観ました。家族再生がテーマで、終わりにいくにしたがっていい映画に思えてきました。

 東京郊外の「ダンチ」に暮らす京橋家。「何事もつつみ隠さず、できるだけすべてのことを分かち合う」が京橋家のきまりです。しかし、家族の絆は、薄く、透けてしまいそうです。家族の絆を守ろうと張り詰めていた母が崩れてしまいそうです。しかし、最後は、それぞれの歪みを認め合う家族の姿がが映し出されていました。

 その母を小泉今日子が演じます。小泉今日子と言えば、私たち世代のNo1アイドルでした。本当に小泉今日子の生い立ちは映画の通りだったのではないかと思わせるほどの熱演でした。父は、板尾創路。私たちの世代では、ダウンタウンの番組でコントをやっていた彼を思い出します。頼りない父親を好演しています。

 この作品は、現代社会が抱える危さをリアルに描いた角田光代の世界を上手く映像化しています。大上段ではないけれど、確かな明日を感じさせてくれるところも角田光代の世界を上手く描いています。

 さあ、あさってには、妻と子どもたちが帰ってきます。わが家族についてもゆっくり問い直すいい時間を与えていただきました。リフレッシュして新年度から、子どもたちと新たな関係を築きたいと思います。