増山実著「勇者たちへの伝言」を読んでいます。
この本は、第19回松本清張賞の最終候補になり、2016年度大坂ほんま本大賞を受賞した作品です。
大阪ほんま本大賞受賞作に相応しい、大阪の成り立ちがとても良くわかる作品です。
ここで言う大坂は、兵庫県の一部を含む地域が含まれています。少し広い意味でも大阪です。
主人公の正秋の父は、石川県の出身です。
小説の中に、父の両親の生い立ちが詳しく書かれています。
石川県から北海道や関西に移住した方が多いとあります。
大阪の風呂屋と豆腐屋の多くが石川県出身者とも書かれています。
私の妻は、大阪府出身です。妻の父の父。妻の祖父は、石川県の隣の富山県出身です。
世界遺産の合掌造りで有名な五箇山の近くです。
一度、子どもたちと妻と義父と義父の親戚の方のお宅を訪ねたことがあります。
味わったことのない山菜を沢山いただいたことを思い出します。
義父の父は、農家の倅で、若い時に、うどん屋の丁稚として大阪で働いていたそうです。
明治期以降、石川県や富山県など北陸地域から多くの若者が大阪に移住したことがうかがえます。
この小説には、安子という在日朝鮮人の方が登場します。
大阪には、多くの在日韓国・朝鮮人の方々が住んでおられるのも特徴の一つでしょう。
灰谷健次郎さんの「太陽の子」は、沖縄県出身の方々が大阪に移住してこられてからの話だったと記憶しています。
大阪には、沖縄県出身の方々も多いと思います。
北陸や沖縄や在日韓国・朝鮮人の方々が多く暮らし、大阪が形成されていることをこの小説を通じて感じました。
増山さんの、北陸や在日韓国・朝鮮人の方々へ向ける目の優しさがにじむ作品でもあります。
冒頭は、阪急ブレーブスファンの正秋少年の物語ですが、父の歴史を通じて、物語が大きく展開していきます。
苦労の連続を生きる庶民への増山さんの優しい筆致に、時々涙しながら読んでいます。
この小説を通じて、増山実さんのファンになりました。
増山さんは、関西を中心に活躍されてきた放送作家ですが、この作品で小説家デビューされました。
早速、今日、増山さんの第二作「空の走者たち」を書店に注文しました。
この本は、妻が実家に帰省した際に購入した本です。
妻と一緒に、増山実さんを応援していきたいと思います。
増山実ファンの皆さん、作品への感想をお聞かせ下さい。
安倍首相の国政私物化は、一昨年来、森友加計学園の問題で明らかになりましたが、首相主催でこの春行われた「桜を見る会」に安倍首相の地元下関市や長門市から数百人規模で後援会関係者が大量に招待されていたことが、しんぶん赤旗の取材で明らかになりました。
「桜を見る会」の予算は、3千万円だったものが、今年は5500万円となっています。招待客も1万4000人から1万8000人と大幅に増えています。
桜を見る会の前日には、前夜祭が行われています。政治資金規正法では、対価を徴収して行われた催し物を「政治資金パーティー」と規定し、収入や経費を収支報告書に記載するよう義務付けていますが、安倍首相が関係する政治団体や支部の収支報告書に前夜祭の記載はありません。前夜祭は政治資金規正法違反の疑いがあります。
招待者名簿などについて国会で追及した日本共産党の宮本徹議員の質問に、内閣府は、「資料が残っていない」「破棄した」と詳細が不明です。
安倍首相の後援会員を公的行事に数千人規模で参加させたことは、税金の私物化そのものです。消費税の増税の一方で、税金私物化は許せません。
しんぶん赤旗「日曜版」10月13日付の首相主催「桜を見る会」の記事には、自民党の下関市選出の友田有県議とともに、防府市選出の島田教明県議のブログからの画像が引用されています。
宇部市から「桜を見る会」に行かれた方もいらっしゃるのではないかと推察されます。
「桜を見る会」にご参加された方、あるいは、この問題に関する感想を私にお伝え下さい。
石炭火力発電は化石燃料の中でも最も二酸化炭素排出量が多く、石油の1.2倍、液化天然ガスの2.2倍です。
9月23日に開かれた国連気候行動サミットでアントニオ・グテレス事務局長は石炭火力発電が気候変動対策に最も逆行すると指摘しました。
ところが日本では、NPO法人気候ネットワークの調査によると、2012年までに稼動していた石炭火力発電所は国内に109基。発電容量は4411・9万キロワットで、電力共有は全体の32.3%。12年以降、さらに50基の石炭火力発電所を新設する計画です。
その一つが、周南市で2022年4月運転開始を目指す株式会社トクヤマトクヤマ製造所東発電所第3号発電設備です。
この石炭火力発電所は、株式会社トクヤマ、丸紅株式会社、東京センチュリー株式会社が出資、30万キロワットの発電を行う予定です。
環境影響評価法に基づき2009年に評価書の縦覧が終了しています。
2009年に山口県知事の意見も出されています。
当初は、2017年に着工する予定でしたが、建設計画を一時保留されていました。
しかし、2017年9月29日、株式会社トクヤマは、「東3号発電施設の建設について」とするプレス発表を行い建設開始を次のように表明しました。
「株式会社トクヤマは、かねてより計画を保留しておりました東3号発電設備の建設について、3社による共同事業により行うことを決定しました。」「本発電設備は2017年10月より建設工事に着手の上、運転開始は2022年4月を目指しています。」
気候ネットワーク国際ディレクターの平田仁子さんは、10月6日号のしんぶん赤旗日曜版のインタビューで次のように語っています。
「グテレス国連事務総長は『20年以降は石炭火力発電所の新設をやめよう』と呼びかけています。日本の政策はそれに反し、パリ協定の目標達成に向けた世界の努力を台無しにするものです。日本がパリ協定の目標達成に貢献するには、『50年に80%削減』という現行の目標を改め、『50年に排出量実質ゼロ』をめざすべきです。そのために『30年に発電の26%は石炭で』という目標を改める必要があります。石炭火力発電所の新設を直ちにやめ、既存の石炭力発電所も30年までに全廃すべきです。」
2012年以降、新設が計画されていた50基の石炭火力発電所の内、13基は中止になりました。
周南市の石炭火力発電所計画は、アジア・北米等から輸入するホワイトペレットと言われるバイオマス燃料を混焼するものです。
大量のCO2を排出する発電であることは明らかではないでしょうか。
パリ協定で求められる目標を達成する観点から、周南市で進められている石炭火力発電所の新設計画について再検討が必要なのではないでしょうか。
周南市で石炭火力発電所の新設が進められています。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私は、小学校高学年の頃、Hのマークの野球帽をかぶって登校していました。
小さな学校でしたが、Hのマークの帽子は私一人でした。
そうです。私は、阪急ブレーブスファンだったのです。
稲刈りが終わった肌寒くなった午後、日本シリーズを見ていた10代前半の自分をこの頃になると思い出します。
今、読売新聞阪神支局編「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」と増山実著「勇者たちへの伝言」を読んでいます。
1975年、1976年、1977年、阪急ブレーブスは、日本シリーズで優勝しているのです。
監督は上田さんでしたね。
この頃、私は、11歳、12歳、13歳。小学校高学年から中学生の頃です。
当時、プロ野球スナックというお菓子が大流行。野球選手のカードがおまけについてきます。
集めたカードは、阪急の盗塁王の福本選手やエースの山田選手のものが多かったわけです。
「勇者たちへの伝言」の著者である増山さんは、1958年生まれですから、私より6歳上。私の長姉と同い年ですね。
主人公の正秋は、作者と同年配の設定です。
1976年、正秋は中学3年生。大学時代は、阪急ブレーブスの本拠地・西宮球場でアルバイトをしたとあります。
1988年、私が大学を卒業して、宇部協立病院に就職した年に阪急ブレーブスは、球団譲渡を発表します。
その年に、山田・福本選手も引退を表明します。
2000年、西宮球場が解体し、2008年、球場跡地に「阪急西宮ガーデンズ」がオープンします。
今は、ホームベースだった真上の阪急西宮ガーデンズの5階に「阪急西宮ギャラリー」が設置され、阪急ブレーブスの歴史と選手の記録が残されているそうです。
ブレーブスは「勇者たち」の意味ですね。
小説の中で、正秋は、ブレーブスの帽子をかぶりはじめた頃に、いじめっ子と対峙する場面が出てきます。
私には同じ経験はないけれど、この逸話を読むと、私の少年時代が蘇ってきます。
私は10代を、阪急ブレースとともに歩いてきました。
しかし、阪急ブレーブスという球団も西宮球場もありません。
もう雄姿が観れないからこそ、阪急ブレーブスを深い郷愁の気持ちで思い続けていけるのかも知れません。
妻は、阪急電鉄沿線の宝塚で生まれ、阪急電鉄箕面線終点の箕面駅周辺で育ちました。
阪急箕面駅近くの妻の両親の家に、今、私の長男と次男が下宿しています。
小豆色の阪急電鉄に乗って、今日も、二人の息子は、それぞれの大学に通っていることでしょう。
阪急をめぐる10数年後の出会いがあることを、Hの野球帽をかぶっていた小学生の自分は、思いもせずに暮らしていました。
阪急ブレーブスと歩んだ10代の自分を大切に、これからも福本・山田選手の雄姿に励まされながら人生を重ねていきたいと思います。
「勇者たちへの伝言」「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」を引き続き読んで、10代の自分と対話したいと思います。
阪急ブレーブスファンだった同世代の皆さん、そして先輩方、阪急ブレーブスの思い出をお聞かせ下さい。
9月30日に開催された山口県市長会で、岩国市が「日米地位協定の改定について」を提案し、採択されました。
要望先は、外務大臣、防衛大臣、県選出国会議員、山口県知事となっています。
今月8日に倉敷市で行われる中国市長会秋季役員会に同提案が提出され可決後、政府や関係機関に要望される見込みです。
岩国市が提案し、県市長会で採択された「日米地位協定の改定について」とは以下の通りです。
「日米地位協定が締結されて以来、日米を取り巻く安全保障体制は我が国の社会経済環境は大きく変化している。この間、当協定においては、一定の運用改善がされているものの、基地に起因する諸問題の解決には至っていない状況が続いている。このため、全国市長会においては、平成16年6月に日米地位協定の抜本的な見直しを行っているが、いまだ見直しはされていない。こうした中、全国知事会は、平成30年7月、日米地位協定の抜本的見直しを全会一致で日米政府へ提言したところである。日米地位協定の見直しは、米軍基地を抱える自治体の共通の課題であることは言うまでもなく、全ての国民の生命、財産、人権等に係る重要な問題であることから、改めて、国に強く要望する。」
4日の読売新聞には、4日に行われた県市議会議長会で、「沖縄の基地負担軽減を」国に求める決議が全員一致で可決したと報じられています。
また、読売新聞は「基地負担に関する議案では、日米地位協定の改定も同時に求めている」と報じています。
2議案は、防府市で開かれる中国市議会議長会に提出される見込みです。
9月県議会には、「地位協定の抜本的改定を求める」請願が提出されました。
請願を審議した県議会総務企画委員会は、2016年に全会一致で意見書を採択していることなどを理由に「不採択」としました。
私は、9月県議会最終日の反対討論で、「16年6月の意見書は、地位協定の運用改善を求める内容で「抜本的改定」を求めたものではありません。」と不採択とする理由はないことを発言しました。
県市長会でも県市議会議長会でも「地位協定の改定」を国に求める要望が採択されたようです。
私たち一人一人の県議会議員は、県内地方2団体の意思を真摯に受け止めるときだと思います。
私は、県内地方2団体の意思をしっかり受け止めて、今後の議会活動を続けたいと決意を新たにしています。
地位協定の改定について皆さんのご意見をお聞かせください。
4日、宇部市で上演された前進座公演を観ました。
ちひろ役の有田さんと善明役の新村さんと私
「ちひろ」を観ながら考えたことの第一は、ちひろが受けた戦中の傷についてです。
公演のパンフレットでいわさきちひろ・松本善明の子どもさんであり、美術評論家の松本猛さんが戦中のちひろをこう書いています。
「岩﨑家の三姉妹の長女だったちひろは家を継ぐために婿養子を取らねばならない立場にあった。親が決めた相手を好きになれず、抵抗するものの、ついに意に沿わない結婚をすることになる。しかし、この結婚は2年も持たずに、夫の自殺という悲劇で幕を閉じた。」
パンフレットで、女優の黒柳徹子さんは、ちひろが受けた傷をこう綴っています。
「私が一番驚いたのは、ご主人の松本善明さんも息子の猛さんも、ちひろさんが泣くのを一度も見たことがない、と、いったことです。例えば、テレビドラマでもドキュメンタリーでも、みんなが涙するところで、一度も泣かなかったというのです。私は、何度もそのことを考えてみました。(ちひろさんのように繊細なかたが、泣かないはずがない。)多分ちひろさんは、一生分の涙を、どこかで流していたのでしょう。前の旦那さまのことでも、戦争中にお母さまのした事でも、学生旅行でも、そのとき気がつかなかった。なんて自分は考えの足りない人間だったんだろう。きっと、ちひろさんは、自分を責めてどこかで泣いて、そして、子どもを可愛く可愛く描いていらしたのだと思います。」
ここで、戦争中にお母さまがした事は、「ちひろさんのお母様は女学校の先生で、戦争中、軍部の命令で、満州に開拓などに行った若者に、お嫁さんを送る仕事をしていました。」と黒柳さんがこの文の前段で書いています。
また、学生旅行とは、ちひろが結婚する前の学生時代に満州を旅行したことです。
この公演の演出を務めた鵜山仁さんは、ちひろの絵の背景について、飯沢匡さんの言葉を次のように引用しています。
「あの清らかな絵の背景には、戦前、国策とはいえ満州への開拓民移住の片棒を担いだ岩﨑家の贖罪があると、飯沢匡さんも指摘されています。ともすれば現実と妥協し、理想を裏切りがちなわれわれ大人の罪を糾弾し、しかしどこかで過ちを許し、再生への励ましとなってくれているような子どもたち。彼らと、その背景の複雑な色合い、涙で滲んだような深い闇とのコントラストは、この世界を更新するためのエネルギーをたたえている。こんな子どもたちに背中を押されて励まされながら、われわれは生きているのかもしれません。」
「大人の罪を糾弾し、しかしどこかで過ちを許し、再生への励ましとなってくれているような子どもたち。」
ちひろの絵の子どもたちは、ちひろ自身の再生への願いが込められいたのですね。深い洞察です。
ちひろの絵の背景がしっかり理解できました。
もう一つ、この公演を観ながら感じたのは、「ちひろ」の今日的意義についてです。
パンフレットの冒頭の「ごいあさつ」の中で、前進座は、こう書いています。
「あの戦争で、この国がどんなことをして、それはどのように私たちに伝えられてきたのか・・・。今、そのように『世の中』は伝えようとしているのか・・・・。隣国や自国の離島を、いつまで、差別する感覚でい続けるのか・・・。ちひろの願った未来からだんだん離れていってしまってはいないか・・・。今日は、このお芝居をご覧になった皆さまと、ちひろの『願い』で繋がり、その輪が広がることを祈って、本日の舞台をお贈りいたします。」
私には、ちひろの『願い』がこの演劇からしっかり繋がりました。
演出の鵜山さんはパンフレットにこう書いています。
「いつのころからか、世界は雪崩をうって効率へ、数字へ、そして自国中心主義へと傾斜しつつあります。それを後押ししているのは、やはりわれわれ一人一人の心の中にある自己中心主義に違いない。再演にあたって、いわさきちひろの真率さと改めて向き合うことで、今われわれが『ちひろ』を必要としている、核心の部分に踏み込んで行きたいと、そんなことを、改めて考えています。」
公演の中で、宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」が出てきました。
「いわさきちひろの真率さ」とは、自国とか自己の幸福を超えた「世界全体の幸福」への願いだと思いました。
私自身も真率な議員として、一人の人間として生きていきたいと思いました。
前進座の皆さん、公演を成功させた実行委員会の皆さん、素晴らしい公演をありがとうございました。