議員日誌

アショア配備で 来月1日説明へ

 21日、NHK山口放送局は、次のように報じました。

 「新型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』の配備をめぐって防衛相は6月1日にも、候補地となっている山口県に防衛政務官を派遣し、具体的な調整に入る方向を固めました。防衛省は北朝鮮による弾道ミサイル攻撃に備え、地上配備型の新型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』2基を導入することにしていて、配備先の候補地として、日本海側の萩市と秋田氏の2か所の自衛隊の演習場を検討しています。こうしたなか防衛省は、来月1日にも山口県に防衛政務官を派遣し具体的な調整に入る方針を固めました。防衛省は山口県の村岡知事や地元自治体の視聴らにイージス・アショアの安全保障上の必要性や、強い電磁波を発するレーダーによる周辺への影響の程度などを説明し理解を求めたい考えで、必要に応じて地元住民を対象にした説明会を開催することも検討しています。イージス・アショアの導入には5年程度かかるとみられ、防衛省は、今年度の当初予算に7億円あまりを盛り込み、地質調査や基本設計に着手する方針です。これについて山口県防災危機管理課の森重孝之課長は『現段階では日程を調整中だが住民の不安がないよう丁寧な説明を求めたい』と話しています。」

 以前の本ブログでも紹介しましたが、4月8日の山口新聞は、ある防衛官僚の声として「『深刻な脅威』としてきた北朝鮮の情勢も急速に対話へと動く。防衛省筋は、5月までの米朝首脳会談で核・ミサイル廃棄への動きが進むようだと、野党や関係自治体から導入に懐疑的な声が強まりかねない、とみる。」と報じました。また、政府関係者の声として「これまで北朝鮮の脅威を追い風に防衛政策を進められた。今後はどれもそう簡単にはいかないだろう」と報じました。

 米朝首脳会談の延期の可能性とも報じられていますが、板門店宣言で交わされた朝鮮半島の非核化の流れは不変だと思います。

 このような中、「なぜ今、日本で『地上イージス』導入なのか」。

 政府が説明しようとするイージス・アショアの「安全保障上の必要性」は瓦解していると言わなければなりません。

 安倍政権は、「地上イージス」の配備計画を白紙撤回すべきです。

 その上で、山口県や萩市は、「安全保障上の必要性」はなく、住民の生命と財産を危険にさらすイージス・アショアであることを国にはっきり述べるべきだと思います。

 防衛省は、「イージス・アショア」配備に向けて、6月1日に、候補地である山口県に防衛政務官を派遣する方針を固めたとNHKが報じました。

 皆さんは、この問題をどうお考えですか。

 

宇部市立地適正化計画策定に向けた意見交換会

 昨日、二俣瀬ふれあいセンターで、「宇部市立地適正化計画策定に向けた意見交換会」が開催されました。

 宇部市総合戦略局コンパクトシティ・共生型包括ケア推進グループの担当者は、宇部市の人口が将来的に10万人を下回ることが予想されるとし、このままの状況が続くと次の3つの問題は生まれると説明しました。

 ①中心市街地が空洞化すると、市全体の魅力や利便性、地域経済の低下につながる

 ②公共交通沿線から離れた地域に住む人が多くなると、公共交通の維持が難しくなる

 ③人口が減って高齢化が進行すると、生活に不安を感じやすくなる

 市の担当者は、これらの問題を解決するために、立地適正化計画を策定したいと説明しました。

 その上で担当者は、「多極ネットワーク型コンパクトシティ」と「地域支え合い包括ケアシステム」を連携させた計画にしたいと説明しました。

 立地適正化計画では、2035年までに、①都市機能誘導(都市拠点=中心市街地と地域拠点=中心市街地を補完する拠点の求心性を高めて、市全体の魅力と利便性の向上に取り組む)②居住誘導(居住誘導地域と地域特性に応じた居住区域を設定し、それぞれの区域に応じたまちづくりに取り組む③公共交通ネットワーク(『地域公共交通網形成計画』と連携して、使いやすく持続的な地域公共交通網で市民の暮らしを支える)の計画づくりを行うとしています。

 立地適正化計画では、5つの居住区域を決めて、それぞれの区域に応じたまちづくりをすすめるとしています。

 ①まちなかエリア(都市拠点) 

 ②暮らしの重点エリア(地域拠点)

 ③暮らしのおすすめエリア

 ④暮らしのエリア

 ⑤自然と暮らしの共生エリア

 宇部市は、9回開催する意見交換会で出された意見を参考にして秋までに宇部市立地適正化計画の素案を作成し、パブリックコメントを実施した後、来年の3月ころに宇部市立地適正化計画を策定することとしています。

 宇部市の北部や楠地域は、船木が一部「暮らしのエリア」になっていることお除いて、全てが「自然と暮らしの共生エリア」になっています。

 私は、「宇部市立地適正化計画における自然と暮らしの共生エリア区域におけるメリットはなにか」との意見を発表しました。

 参加者の皆さんから「二俣瀬地域の人口減少をどう食い止めていく計画なのか」「北部地域における営農や林業に力を入れる計画にすべき」などの意見が数多く出されました。

 市の担当者は、「立地適正化計画を策定することにおける補助メニューのうち、現時点で北部・楠地域を振興するものはない」「自然と暮らしの共生エリカにおける振興策も計画づくりの中で検討していかなければならない」と説明しました。

 私は、「農業を基幹産業に位置づけた北部・楠地域の振興策を盛り込むべきだ」との意見を発表しました。

 私は、「居住誘導をどのように進めようとしているのか」との意見を発表しました。

 市の担当者は「強制的に居住誘導を行うものではない。新たな住居を求めている人への居住を誘導しようとするものだ」と説明しました。

 参加者から「北部・楠地域の子どもたちが、就職・結婚して宇部市に帰ってきた場合、居住誘導区域へ住むことになれば、北部・楠地域の人口はますます減ることになる」との指摘が出されました。

 私は、「市会議員・県議会議員として約25年前から中心市街地の振興計画を見てきた。これまでの計画をどう総括し、今回の計画が成功する見通しをどう考えているのか」との意見を発表しました。

 市の担当者からは、中心市街地のにぎわいの創出の意義などが語られました。

 参加者からは、「この計画は、結局、宇部市の南地域の振興をすすめるためのものではないか。北部・楠地域の振興を考えてほしい」との意見が多数出されました。

 その他、「宇部テクノパーク・山口テクノパーク周辺に従業員が居住できる区域を作るべきではないか」「バス路線が廃止された地域などに対する交通手段の確保などを更に進める必要があるのではないか」などの意見が出されました。

 私は、本ブログで再三書いているように、少なくとも江戸時代から続いている吉部荒滝の農家の倅です。

 「持続可能な地域づくり」が繰り返し書かれていましたが、重要なキーワードである食の維持・確保についてほとんど触れられていなかったのは残念です。

 利便性・効率性だけで都市機能を集約するためだけの計画ではなく、本腰を入れて、北部・楠地域の振興をどう図っていくのかについて検討すべきだと思いました。

 参加者からの多数出された意見を是非計画に反映させていただきたと思います。

 参加者の皆さんから出された意見は、私自身も大変参考になりました。

 宇部市が立地適正化計画を策定しようとしています。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

「参りました」と言わぬ総理

 昨日の毎日新聞、特別編集委員の山田孝男さんの「風知草」を興味深く読みました。

 「明治維新に先立つこと8年前の1860年、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、幕府は井伊の存命を取り繕う虚偽の公文書で1か月しのいだ。『井伊の首(浪士が携えて市中を歩いた)を民衆が見ていたのに偽りの文書を出し、幕府が信用を失って倒れるきっかけとなりました。見えているものに対しうそをついたら、政権は短命化する』磯田道史・国際日本文化研究センター准教授の詩的である(朝日新聞4月25日朝刊『耕論』)。加計学園の問題も、元首相秘書官と自治体職員の面会が争われ、『将棋で言えばとっくに詰んじゃってるのに(首相側が)『参りました』と言わぬだけ』(霞が関OB)の状態が続いている。幕末、井伊の存命を装った幕府をあざける落首、川柳、俗謡がはやった。森友、加計の政府答弁を聞かされる現代人の気分にも通じるものがあろう。」

 今朝の朝刊は、愛媛県が昨日、参議院予算委員会に提出した学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる官邸や学園などとの面談記録について報道が一面トップとなっています。(少なくとも、毎日・赤旗)

 記録には、2015年2月25日に安倍首相が加計幸太郎児李朝と面会し、「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」と語ったと記載されています。

 学園の獣医学部新設を知ったのは昨年1月20日という安倍首相の国会答弁が協議だった疑いが強まりました。

 いよいよ政局を将棋に例えると「詰んできた」状況です。

 安倍さんはこれでも「参りました」と言わないのか。

 徳川幕府が井伊の存命を装ったように、安倍政権は、加計学園への安倍首相の関与を隠し続けるようと言うのでしょうか。

 「見えいているものに対しうそをついたら、政権は短命化する」

 徳川幕府の末路は歴史が証明しています。

 安倍首相は、磯田准教授の指摘に真摯に向き合い、真実を国民に語り、自らの責任を明らかにする時です。

 安倍首相が加計学園の獣医学部新設に対し2015年2月に「獣医大いいね」と発言していたとの資料が明らかになりました。

 みなさんはこの問題をどのようにお感じですか。ご意見をお教え下さい。

そろばん侍 風の市兵衛

 19日土曜日のしんぶん赤旗「日刊紙」の「試写室」にNHKテレビで放映が始まった「そろばん侍 風の市兵衛」が取り上げられていました。

 「戦はやみ、町民文化が花開いた文政期、そろばん(経済)で身を立てる若侍(向井理)の活躍を描く。」「複雑な収支決算を早業でそろばん処理をする市兵衛は、現代ならさしずめスマホ練達者だ。しかも剣の腕も立つ『二刀流』。賊に襲われながら、柳に風と、ひらひら舞うように剣を交える市兵衛の殺陣も見ものだ。」「目元涼しく、小顔の向井理は、従来のコテコテ路線の時代ドラマにあって、じつに新鮮だ。」

 早速、第1部「春の風」上を観ました。向井理さん演じる市兵衛の心優しい力持ちぶりが見事でした。

 原田泰造さん演じる「鬼渋」も見事。第一部では、鶴見辰吾演じる柳屋稲左衛門がキーマンとなりそうです。

 文庫「風の市兵衛」の解説は、文芸評論家の細谷正充さん。

 細谷さんは、私が大好きで読み続けた「みをつくし料理帖」を評価した人でもあります。

 細谷さんは、本書の魅力の第一は「興趣に富んだストーリーだ。」と指摘し次のように書いています。

 「台所事情に厳しい旗本家を建て直すだけの、渡り用人としてはありふれた仕事。しかし、そのために市兵衛が動くことで、事態は思いもかけぬ広がりを見せていく。徳川幕府を震撼させる一歩手前まで行ってしまう物語を、すんなりと読ませる作者の技量が素晴らしい。」

 「徳川幕府を震撼させる一歩手前までいってしまう物語」に興味をひかれます。

 今でいえば、森友・加計問題ではありませんか。

 森友・加計問題は「一歩手前」で終わらせてはいけません。

 幕府の闇を照らす市兵衛の活躍に期待したいと思います。

 細谷さんは、本文から次の文章を引用しています。

 「己が算盤をはじいて稼ぎを手にしたとき、己が耕した土地に実った白い米を食ったとき、己が醸し手をかけた酒を呑んだとき、己が世間に生きてあることの喜びを知りました。その喜びを言葉にすると、生きる意味になりました。」

 その上で細谷さんは、市兵衛についてこう書いています。

 「ああ、市兵衛という男は、人が生きる喜びを知っている。人が生きる意味を知っている。それを踏まえた上で、ただ『風』のように世間を渡っているのだ。だから彼は、こんなにも魅力的なのだろう。」

 「書下ろし長編時代小説」では、先述した「みをつくし料理帖」シリーズにはまり読み切りました。

 風の市兵衛シリーズ第一巻「風の市兵衛」の帯には、「全国の読者・書店員より圧倒的支持を受けて125万部突破 『風の市兵衛』にハマる!一気読み間違い無しの面白さ」とあります。

 久々に、「書下ろし長編時代小説」「風の市兵衛」にハマりたいと思います。

 「みをつくし料理帖」もそうでしたが、何よりもドラマとしても楽しめるのですから今が読み時です。

 ドラマは早くもシリーズ化に期待しています。

 なにせ、風の市兵衛シリーズは、20巻。風の市兵衛弐シリーズも始まったのですから。

 辻堂魁さんの老練な筆致に魅了されながら風の市兵衛の世界を巡りたいと思います。

 「風の市兵衛」シリーズファンの皆さん、新参者の私をよろしくお願いします。

 先輩各位の皆さん「風の市兵衛」の魅力をお教え下さい。

ワンダーストラック

 昨日は、田植えに向けて実家の田を鋤く予定でしたが、金曜日が大雨だったので中止しました。

 少し時間が取れたので映画を観に行きました。

 昨日観た作品は、トッド・ヘインズ監督の映画「ワンダーストラック」です。

 この作品は、1927年の物語と1977年の物語がクロスして展開します。

 1927年の主人公は、ニュージャージー州に住む耳の聞こえない少女・ローズ。ローズは母を訪ねてニューヨークへ。

 1977年の主人公は、ミネソタ州に住む耳が聞こえなくなった少年・ベン。ベンは、父を訪ねてニューヨークへ。

 ニューヨークで、ローズとベンが巡り会います。

 1977年に12歳のベン。ベンは、私たちの世代です。

 1927年に12歳のローズは、私の祖父母たちの世代です。

 1927年の場面は、サイレント映画として撮影されています。

 耳が聞こえないローズを演じたのは、聴覚障害を持つミリセント・シモンズさんです。

 1927年は、今から90年以上前、1977年も、今から40年以上前です。

 それぞれの当時の街の風景が見事に再現されていました。

 聴覚を失うというハンディを乗り越えながら、最愛の人を求める少年・少女の心の成長を見事に描き出した作品です。

 原作は、「ユゴーの不思議な発見」でも有名なブライアン・セルズニックさん。

 ローズとベンがどのように出会うのか、ここでは書けませんが、ミステリーとしてもとても興味深い作品です。

 監督のトッド。ヘインズさんは、「キャロル」「エデンより彼方に」で有名です。

 人種差別や同性愛など、現在を生きる私たちにとって重要な問題をテーマにしてきた監督です。

 映画のパンフレットにトッド監督は「1927年と1977年という二つの時代を舞台に、50年の時を隔てマンハッタンを駆け抜ける二人の子どものユニークな物語だ。二人とも聴覚障害者で、ベンの方は、途中で耳が聞こえなくなった。彼らは自分が何者であるのか、どこから来たのかを解き明かそうとする。映画は観客を二人の旅に誘い、彼らが自分自身を発見した時、その答えも明らかになるんだ。」と書いています。

 アメリカ自然史博物館やクイーンズ美術館が舞台になっていることも重要だと思います。

 吉野源三郎の「きみたちはどう生きるか」の問いが、この映画のテーマでもあるように感じました。

 一人ひとりの人間は大きな世界で繋がっている。

 その世界の中で一人一人の役割がきっとある。

 トッド監督は、このような事がこの映画で描きたかったのではないかと私には思えました。

 トッド監督の他の作品からもしっかり学びたいと思いました。

 映画は、心を豊かにしてくれます。トッド監督いい作品をありがとうございました。

 

子ども

 昨日のNHKラジオ「すっぴん」。高橋源一郎の「ゲンちゃんの現代国語」で、「あなた自身の社会 スェーデンの中学教科書」が紹介されていました。この本の中に、アメリカの家庭教育学者・ドロシー・ロー・ノルトさんの「子ども」という詩が引用されているそうです。

 子どもという詩はこのような詩です。

 「批判ばかりされた 子どもは 避難することを おぼえる

  殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる

  笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる

  皮肉にさらされた 子どもは 鈍い両親の もちぬしとなる

  しかし、激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる

  寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる

  賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる

  フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる

  友情を知る 子どもは 親切を おぼえる

  安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる

  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じることを おぼえる」

 ドロシー・ロー・ノルトさんは「子どもが育つ魔法の言葉」の著作で有名な方です。

 堀川惠子さんの「教誨師」には、教誨師・渡邉普相さんが出会った多くの死刑囚の生い立ちが出てきます。

 堀川さんは渡邉教誨師の大橋光宏(仮名)死刑囚との邂逅の場面で次のように書いています。

 「死刑事件の加害者である死刑囚には、大橋と同じような被害者的な恨みに捉われている者があまりに多く見受けられた。幼い頃から家や社会で虐げられ、謂れのない差別や人一倍の不運に晒されて生きてきた者が圧倒的に多い。」

 死刑囚の生い立ちの共通点を考えると子どものころに「激励」「寛容」「賞賛」「友情」「安心」「愛情」に接することの大切さを痛感します。

 この詩を読むと、アメリカンフットボールの試合で日大選手が極めて悪質なタックルで関学大選手を負傷させた問題を思い出します。

 「フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる」

 このような社会にしたいものです。

 その点で、今の政治はどうでしょうか。

 時事通信の直近の世論調査で、加計学園の獣医学部新設について「安倍晋三首相に責任がある」との回答が65・2%でした。

 安倍首相は、子どもたちに「公正」を教える時です。

 安倍首相は、加計・森友学園での自らの責任を国民と子ども前で明らかにすべき時です。

 4人の子どもを持つ親としてドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩は座右に置きたい詩です。