今日は、西宇部小PTA主催の青空読書会が行われ、子どもと一緒に参加しました。低学年の部に参加し、ある先生が芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読されました。
国ノ多(かんだた)という男が天国から伸びた蜘蛛の糸を昇ります。気がつくと何千という罪人が下から這い上がってきます。国ノ多は「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きます。
その途端に蜘蛛の糸は切れてしまいます。
私は、この話しは、現在の格差社会そのものだと思いました。自民党は、立ち直れる社会を作るといって、「起業」などを進めます。一部の成功者は生まれるかもしれませんが、根本的な解決にはなりません。
自分だけ勝組に入ろうではなくて、連帯して、勝組・負組のない社会を作る努力が重要だと思いました。
あるお母さんは、蜘蛛の糸を読んで、「それにしても、お釈迦様も冷たいよね。」と感想を述べておられました。
蜘蛛の糸は、極楽の様子をこう書いています。「しかし極楽の蓮池は、少しもそんな事には頓着いたしません。」。「極楽ももう午に近くなったのでございましょう。」という文章で「蜘蛛の糸」は、終わります。
お釈迦様は、「国ノ多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、又ぶらぶらお歩きになり始めました。」とあります。この辺りから、先ほどのお母さんの感想になったのかも知れません。
極楽を勝組の世の中にすると、「負組の人の事には頓着しない」とも読むことができそうです。
このように、様々思いを巡らせながら読めるのも名作たる所以でしょう。皆さんは、「蜘蛛の糸」をどのように読まれましたか。お聞かせください。
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