宇部市政施行90周年写真集「保存版 ふるさと宇部」を大先輩のYさんからお借りしました。
「藤本君は、楠出身だね。船木鉄道の事が詳しく出ているよ」と言われお借りしました。
私たちの時代の船木鉄道は、バス事業のみでした。しかし、吉部に住むものとしては、宇部や厚狭や小野田に出るためにはなくてはならない交通手段でした。
昔、宇部から吉部まで汽車が走っていたことは子どもの頃から聞かされていました。
今のJA山口宇部吉部出張所辺りが、吉部の駅でした。また、万倉のこもれびの里から、興産道路に至る真っすぐな道は、船木鉄道の軌道の後です。
私たちが通った吉部中学校(今の小学校)の前後に、鉄橋の跡があったことも懐かしく思い出します。
この本を読んで、驚いたのは、最終的には萩にまで鉄道をひく計画であったことです。
そして、船木鉄道は、昭和36年10月14日まで運行していたということです。
私が生まれる3年前まで鉄道が走っていたとは驚きです。船木の旧道にも踏み切りがあったのですね。
鉄道が人々の交通手段として生き生きと活動していた時代。そして、中山間地域に人々が多く生活していた時代。
それが、昭和30年代まであったのですね。
私の祖父は、明治33年生まれで、吉部村の職員を長く務め、最後は、助役をしていました。
「大正15年、船木鉄道の吉部開通記念アーチ」の前でという写真がこの本にありました。大正15年頃、祖父は、27才。
後列の左から二人目が祖父のような感じがするのですが、確証はありません。
5年前鬼籍に入った父にも聴けません。叔父や叔母に、今度聞いてみようと思います。
貴重な写真の数々。まさに「保存版」ですね。Yさんありがとうございました。
皆さんの船木鉄道の思い出をお聞かせ下さい。
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