奥間勝也監督の映画「骨を掘る男」を観ました。
この映画は、沖縄戦の戦没者の遺骨収集を40年続けてきた具志堅隆松さんの姿を追うドキュメンタリーです。
映画批評の三浦哲哉さんは、映画のパンフレットに「奥間監督は次のように自問する『会ったことがない者の死を悼むことができるのか』。」「この問いへ回答を与えるため取材調査が一直線に進むのではなく、開かれた複数のアプローチへと分岐していく」と述べ、アプローチは次の4つだとしています。
第一に、血縁を辿っていくアプローチ。奥間監督の大叔母である國吉正子さんも沖縄戦の戦没者です。奥間監督は、正子さんを辿っていきます。
第二に、沖縄戦の映像アーカイブへの沈潜。専修大学教員の森啓補さんは、この辺りを映画のパンフレットに次のように語っています。
森さんは沖縄戦に関する現存する歴史資料の多くが、米軍により記録された資料群であることに対して、「具志堅さんの実践は、死者の側から、沖縄戦を捉えるための資料発掘実践として位置づけられる」と述べています。
第三に、「遺骨土砂問題」の提示。この辺りを奥間監督は、映画のパンフレットに次のように書いています。
「正直、『またか・・・』と思った。沖縄で暮らす、あるいは沖縄を表現するということは、米軍基地をはじめとするポリティカルイシューが好むとも好まずとも否応なしに入り込むということだ」
その上で、奥間監督は「結果的には具志堅さんの抗議活動を撮影したことは、多くの人が同じ目的のたけに集まり行動するという点において、後の平和の礎を読み上げる行為と共振した」と述べています。
第四に、平和祈念公園に立ち並ぶ「平和の礎」に刻まれた戦没者24万人の名前を呼ぶプロジェクト。
三浦さんは、その上で遺骨や映像について次のように述べています。
「遺骨や映像は、死者を想うための物質的な手がかりであり、それなしには想うことが可能にならない、きわめて重要な依代であることが、そのとき理解された」
戦争を体験した私の父母の世代が90代前後になった今、奥間監督の「会ったことがない者の死を悼むことができるか」の問いは、私たち世代以降に突き付けられた命題でもあると思います。
そして、具志堅さんが最後に語るメッセージ「戦没者に対する最大の慰霊は、二度と戦争を起こさせないことだと思っています」を私たちが引き継いでいかなければならないと思います。
なぜ戦争してはいけないのかを考える上で、沖縄、広島、長崎で、どのような悲劇があったのかを、学ぶ必要があります。
学ぶ教材の一つが、私は、映画「骨を掘る男」だと思います。
具志堅さんの遺骨を掘る姿と4つのアプローチの広がり、どのアプローチも必見です。
79回目の終戦祈念日を迎え、一人でも多くの皆さんに奥間勝也監督の映画「骨を掘る男」を観ていただきたいと思います。私の今年の夏休み最大のご褒美となりました。
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