映画「フクシマフィフティ」を観ました。
私は、2011年6月に、福島県の被災地を党県議団として視察しました。
その中に、富岡町夜の森の桜並木がありました。
帰宅困難地域との境でした。6月でしたので、葉桜でしたが、見事な桜並木だった記憶があります。
映画の最後で、当直長の伊崎を演じる佐藤浩市さんが満開の夜の森の桜並木の下で立ち止まるシーンは、感無量でした。
12日付の中国新聞、宮崎智三論説主幹の「歩く 聞く 考える」を読みました。
私が県議になったばかりの時、宮崎さんは、山口県政担当でした。
「振り向くと宮崎さんがいらっしゃる。」という印象の方でした。
宮崎さんから、よく取材を受けましたし、数多くの調査すべきテーマにも気づかされました。
宮崎さんは、まさに「歩く 聞く 考える」方だと思います。
さて、宮崎さんの記事のテーマは「原発のしまい方」です。
宮崎さんの記事は、「フクシマフィフティ」の映画を見終わったことから始まり、こう書かれてあります。
「見終わって頭に浮かんだのは以前、福島県富岡町で見た東電社長名の『反省文』だった。『事前の備えによって、防ぐべき事故を防ぐことができませんでした』『反省と教訓を決して忘れることなく』など記されていた。発生から9年、その教訓は生かされているのか。私たちの意識はどう変化したのか。考えさせられた。」
宮崎さんは、原発に対する政府の姿勢を「政府はベースロード電源と重要視して再稼働を進める。一方で、2018年に野党が出した原発の存廃議論を避けようとしているようだ。原発推進を事故前のように強く打ち出せば、反発は必至だと考えて意図的にあいまいにしているのだろうか。」と指摘した上で、次のように書いています。
「こうした矛盾は、18年に閣議決定したエネルギー基本計画に現れている。原発依存度は可能な限り低減させるとしながら、電力に占める原発の割合は30年度で20~22%と高い設定のままだ。30基ほど再稼働させないと不可能だが、いま再稼働しているのは9基だけ。電力全体に占める割合も数パーセントにとどまっている。原子力業界でも『達成できない』との声が半数あるほどだ。あいまいな政策を政府はいつまで続けるのか。もはや限界と言わざるを得ない。原発をどうしまっていくか、考える時期ではないか。」
上関原発を取り巻く状況も、こうした矛盾の渦中にあります。
政府関係者は、「原発の新設は想定していない」などと述べる一方で、「上関原発は重要電源開発地点であることに変わりはない」などと述べ、推進方針を変更していません。
村岡県政も、中国電力に原発のための埋め立て免許を許可しながら、「本体工事の見通しが立つまでは工事を行わない」旨を通知しています。
まさに「原発をどうしまっていくのか、考えていく時期」です。
そのためには、少なくとも原発の新設は行わない、上関原発を中止することを政府が意思決定することが求められていると思います。
なぜ、「原発をどうしまっていくか、考える時期」なのかの答えは、東京電力福島原発事故が再び起こらないとは言えない現実があるからです。
福島原発事故から9年。あの事故の実態を学ぶ一つの材料が映画「フクシマフィフティ」です。
映画「フクシマフィフティ」。是非、劇場でご鑑賞下さい。
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